紅い芥子粒さん
レビュアー:
▼
東京の省線のある駅で、”私”は、来る日も来る日も、誰か(何か)を待っている。
大戦争が始まったころ、東京の省線のある駅で、待合室のベンチに腰かけて、
”私”は、来る日も来る日も誰かを(何かを)待っている。
そういう話です。
(JR線のことを、昔は国鉄、もっと昔は省線といいました)
買い物帰りにといいますから、夕刻でしょうか。
上り下りの電車がホームに着くたびに、改札口はごったがえします。
”私”は母親とふたりぐらしで、家でひっそりと縫物をしているのが好きでした。
愛想よく笑ったり、そらぞらしくお世辞をいったりすることができない性分で、
自分に正直でいるには、人に会わないのがいちばんよいと思うのです。
(80年後の日本だったら、「ひきこもり」といわれます)
しかし、大戦争は、そんな”私”をも外にひきずり出します。
家にひっそりじっとしていることを、世間はゆるしてくれません。
お国のために一心不乱に働けよと、世間は”私”をムチ打ちます。
でも、何をしたらいいのでしょうか。
何かに追い立てられるように外に出て、行くところもないから駅に来て、
誰かをひたすら待っている(ふりをしている)のです。
”私”の一人語りの小説ですが、最後の最後に”私”の正体が明かされます。
”私”は二十歳の娘です。
はたち。まだ若い。でも、ひとりでいるには若くない。
この時代の二十歳なら、だれかの妻になって子どものひとりもいてあたりまえ。
”娘”というには年をとりすぎで、「いきおくれ」とか、「いかずごけ」とか、こころない言葉のつぶてを背中に投げつけられる、そういうとしごろです。
大戦争のはじまりが、そんな”私”の存在の不安に輪をかけます。
だから、駅の人ごみに紛れて、あてもないのに待っているのでしょう。
”私”を不安から救済してくれる誰か(何か)を。
”私”は、来る日も来る日も誰かを(何かを)待っている。
そういう話です。
(JR線のことを、昔は国鉄、もっと昔は省線といいました)
買い物帰りにといいますから、夕刻でしょうか。
上り下りの電車がホームに着くたびに、改札口はごったがえします。
”私”は母親とふたりぐらしで、家でひっそりと縫物をしているのが好きでした。
愛想よく笑ったり、そらぞらしくお世辞をいったりすることができない性分で、
自分に正直でいるには、人に会わないのがいちばんよいと思うのです。
(80年後の日本だったら、「ひきこもり」といわれます)
しかし、大戦争は、そんな”私”をも外にひきずり出します。
家にひっそりじっとしていることを、世間はゆるしてくれません。
お国のために一心不乱に働けよと、世間は”私”をムチ打ちます。
でも、何をしたらいいのでしょうか。
何かに追い立てられるように外に出て、行くところもないから駅に来て、
誰かをひたすら待っている(ふりをしている)のです。
”私”の一人語りの小説ですが、最後の最後に”私”の正体が明かされます。
”私”は二十歳の娘です。
はたち。まだ若い。でも、ひとりでいるには若くない。
この時代の二十歳なら、だれかの妻になって子どものひとりもいてあたりまえ。
”娘”というには年をとりすぎで、「いきおくれ」とか、「いかずごけ」とか、こころない言葉のつぶてを背中に投げつけられる、そういうとしごろです。
大戦争のはじまりが、そんな”私”の存在の不安に輪をかけます。
だから、駅の人ごみに紛れて、あてもないのに待っているのでしょう。
”私”を不安から救済してくれる誰か(何か)を。
掲載日:
書評掲載URL : http://blog.livedoor.jp/aotuka202
投票する
投票するには、ログインしてください。
読書は、登山のようなものだと思っています。読み終わるまでが上り、考えて感想や書評を書き終えるまでが下り。頂上からどんな景色が見られるか、ワクワクしながら読書という登山を楽しんでいます。
この書評へのコメント
 - コメントするには、ログインしてください。 
書評一覧を取得中。。。
- 出版社:
- ページ数:4
- ISBN:B009AJ8JZA
- 発売日:2012年09月12日
- Amazonで買う
- カーリルで図書館の蔵書を調べる
- あなた
- この書籍の平均
- この書評
※ログインすると、あなたとこの書評の位置関係がわかります。








 
 













