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紅い芥子粒
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モデルは藤村の父・島崎正樹。幕末から明治へ。動乱の世を木曽の深い山の中にあって真摯に生き、最期は精神を病んで座敷牢で狂死した人。息子藤村の筆で、青山半蔵としてよみがえる。
積読の本の山から取り出し、読み始めたのが、1月10日。今月中にはきっと読み切るぞ、と固い決意で読み進め、読み終えたのは1月31日。
長かった。幕末から明治へ、動乱の時代を青山半蔵とともに長い旅をして、疲れた。

「木曽路はすべて山の中である」とは、あまりにも有名な書き出しの一文である。
青山半蔵の生れた家は、木曽街道馬籠宿の本陣と庄屋と問屋を兼ねる名家だった。
幕府全盛の時代には、大名行列のお殿様たちの宿となった家だ。
そういう青山家の惣領として生まれた半蔵だが、幼いころから学問が好きで、青年のころには国学に深く傾倒するようになった。

黒船がきて開国を迫る。沿岸の警備やら外国人への対応やらで、幕府の財政はひっ迫し、大名行列は廃止になった。木曽街道には、皇女和宮降嫁の行列が通る。
木曽の山中にいても、街道を通る人々の変遷から世の動きが見える。
国学に傾倒する青山半蔵は、尊王攘夷の思想に染まった。半蔵は、木曽にいながら平田派の門人となった。

本居宣長とか平田篤胤とか、人名だけは歴史の教科書で覚えたことはある。本居宣長の「古事記伝」のヤマトタケルのところだけを、図書館から借りてきて読んだこともある。国学とは、国文学のことだと、わたしは長い間、思っていた。しかし、どうもちがうらしい。国学とは何か。この本を読んで、おぼろげながら分かったような気がする。本居宣長は、日本人は自然に帰れという。仏教も儒教も渡来していなかった万葉の昔こそ、この国のあるべき姿だと説く。国学とは、思想、宗教に近い学問のようだ。

天皇を神と崇める祭政一致の国体。そういう国の実現のために京都で活動したいと半蔵は望むが、馬籠の旧家の惣領としての立場が許さない。心は国学に、体は陣屋庄屋として家の経営に。半蔵の精神と肉体の分裂は、若いころから始まっていたのだ。

幕府は倒れ、王政は復古しても、半蔵が焦がれた万葉の昔のような世はこなかった。
廃藩置県。庄屋は戸長と名が変わる。
官有林となった木曽の山林は厳しく管理され、農民が立ち入ることさえ許されなくなった。古代のような自然と一体となったおおらかな暮らしどころか、木曽の百姓の生活は苦しくなる一方だ。大名行列のなくなった木曽街道はさびれ、経済もたちゆかなくなる。

天皇親政になっても、攘夷どころか西欧化がどんどん進む。
祭政一致どころか、政教は分離される。
国学は、学問としても衰退の一途だ。

農民のために官に直訴状を書いて、半蔵は戸長の職を解かれた。
新しい国のために働きたいと、四十代で家督を長男にゆずり、東京に出て官職に就くが、半蔵が夢見た古の国の姿は遠くかすんでいくばかりだ。
息子に譲った家の経営はうまくいかず、父祖伝来の田畑や山林を手放し、青山の家は没落した。
真摯に一途に生きた半蔵だが、やがて精神を病み、座敷牢に幽閉されて56年の生涯を終える。

島崎藤村は、父をモデルにこの小説を書いたという。
村の子どもたちを愛し、教育に熱心だった藤村の父・島崎正樹。しかし、世の中は、彼が教え導こうとした古き良き世とは、逆の方向に進んでいった。
報われない一生だったが、わが子が書いた小説に青山半蔵としてよみがえることができ、救われたと思いたい。

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紅い芥子粒
紅い芥子粒 さん本が好き!1級(書評数:560 件)

読書は、登山のようなものだと思っています。読み終わるまでが上り、考えて感想や書評を書き終えるまでが下り。頂上からどんな景色が見られるか、ワクワクしながら読書という登山を楽しんでいます。

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