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あかつき
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過剰な演出を退けた文章から、生身のセーラ・クルーが立ち上がる。 彼女は決して高潔で愛らしいだけの少女ではない。セーラには、誰とも同じ座標に立とうとしない超然とした残酷さがある。
夕日の壮麗さをすべて目にできる場所がひとつだけあった。
西に積み上がる茜色や黄金色の雲。
目もくらむまばゆさに縁どられた紫色の雲。
あるいは、小さくてふわふわでばら色を帯び、風があれば、青空を大急ぎでわたっていくうす紅の鳩の群れに見える雲。
こんな光景を見渡せて、それと同時に普段よりも澄んだ空気を吸えるように思える場所というのはもちろん屋根裏部屋の窓だった。
時折雲は島を作ったり、巨大な山々となって、濃いターコイズやとろりとした琥珀や緑玉髄の色をした湖を囲み込んだりする。
奇妙な、どことも知れない海に黒々とした岬が突き出したり、不思議な細長い土地が、ほかの不思議な土地同士をつないだりする。
走ったり上がったり、立ち止まったり、次に何が起こるか見ていられそうな場所もありーー最後にはすべてが溶けゆくのかもしれなくて、そのときには自分も遠くに流れていけるのかもしれない。
少なくともセーラにはそのように思えた。

バーネットの著作を制作順から逆にご紹介ちゅう。
「秘密の花園」に続くは、ご存知、小公女セーラである。
日本人のある年齢以上には、アニメ世界名作劇場の黒髪の少女のイメージが強いに違いない。
わたしは子供のとき、バーネット作品のうち「小公子」や「小公女」よりも「秘密の花園」が好きだった。
健気でも美しくも賢くもなかったわたしは、「良い子が幸せになる」話には辟易していたし、大人にとっての理想的な良い子なんて胡散臭いと思っていた。特に「小公女」は「シンデレラ」とどう違うのさ、みたいな気持ちでちゃんと読んだことはなかったかもしれない。
今回、改めて新訳を読んで気付いたのは、光文社古典新訳文庫の土屋京子版「秘密の花園」を彷彿とさせるような、地の文の素っ気なさである。
わたしは、さぞかし「小公女」は「なんて可哀想なセーラ」という過剰な湿度で描かれているのだろうと思っていたのだが、何ともあっさりとしか描かれていないのだ。ミンチン先生によるセーラ虐めも、執拗に描かれているわけではなく、物語はむしろ淡々とセーラを取り巻く情景を描いていく。
きっと、「小公女=可哀想」というイメージは、子供用に編集した際に書き加えられた色眼鏡やアニメの過剰演出によるイメージに過ぎないのだろう。
余分なライティングを退けた文章から、生身のセーラ・クルーが立ち上がる。
彼女は決して、高潔で愛らしいだけの少女ではないし、全ての他者を愛し赦すといった博愛精神の持ち主でもない。怒るときは怒るし、軽蔑もするし、意地悪もする。
彼女と、妻を亡くしたその父親との関係はどこか性的で、奇妙に歪んでさえいる。
生身のセーラに、もっと早く出会えていたら子供のわたしも彼女を好きになれたかもしれない。

ところで、小公子セドリックと異なりセーラは貴族ではない。
爵位もちだったら屋敷でガヴァネスに教育を受けるか、そうでないにしてもあんな怪しい下町の学校ではなくもっと違う寄宿学校に入っていただろうし、父親が死んだ後にも親戚たちが家名の保持のために手を出したはずだ。
彼女の「小公女」という仇名には「貴族でもないくせに」というニュアンスが含まれる。
セーラは、何故「小公女」と呼ばれたのだろうか?
資本を取り戻した後、憎々しげに「またプリンセスになった気分でしょうね」と言ったミンチン先生にセーラは静かに答える。
「私はーーほかのものになろうとしたことはありません。一番さむくて、一番おなかが空いていたときでもーーほかのものにはならないように努めました」

「小公女」の精神、それは自分はより高い存在であると自覚し、周囲を寛容で以て受入れ、そして不幸な人々を憐れまなければならないという精神と言い換えられる(少なくともセーラにとっては)。
「一番寒くて空腹な時」、彼女が彼女でいるために、精神のない歯車になってしまわないためにその「小公女」の心が必要だった。少女は、自然とそうなったのではない。そうであり続けなければならなかったのだ。
その心は、「ほかの者」にとっては、つまり彼女に「憐れまれる者」にとっては憧憬とーー憎悪の対象にならざるを得ないではないか。
セーラはある意味、残酷だ。
誰とも同じ座標に立とうとしないその超然さは、人を惹きつけもするが憎悪を掻き立てもする。

「秘密の花園」のメアリと、「小公女」のセーラには共通点がいくつもある。
二人ともインドで傅かれて育ち、そして孤児となって英国で暮らす。
しかし、メアリが引き取られるのは荒々しい荒野の中の屋敷で、セーラが生活するのは無機質な建物が立ち並ぶロンドンだった。
自分が哀れな子供であることを知らないメアリは、自然の中でその魂を再生させる。
自分が憐れまれる存在であることを拒否したセーラは、他者を憐れむことで自己を保つ。
想像力が欠如したメアリは、その野生の魂で次々に人々の心の扉をこじ開ける。
想像力のみが自由だったセーラは、窓越しにその翼を拡げていく。
そんな情景が、レビューの冒頭にあげた抜粋だ。

秘密の花園」が『扉』の物語とすれば、「小公女」は『窓』の物語だ、という畔柳氏の解説には、膝を打つべきものがあった。
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あかつき
あかつき さん本が好き!1級(書評数:760 件)

色々世界がひっくり返って読書との距離を測り中.往きて還るかは神の味噌汁.「セミンゴの会」会員No1214.別名焼き粉とも.読書は背徳の蜜の味.毒を喰らわば根元まで.

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