紅い芥子粒さん
レビュアー:
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滑稽を装ってはいるが、心身が衰弱していた作者の、心のうめきが聞こえてくるような短編である。
昭和二年三月「改造」に発表された作品である。
芥川龍之介は、昭和二年七月二十四日に致死量の睡眠薬を飲んで自死している。
「河童」を書いていた時は、すでに心身が衰弱していたのだろう。
滑稽を装ってはいるが、作者の心のうめきが聞こえてくるような短編である。
ある精神病患者が語る話として書かれている。
三十を少し過ぎたばかりの男で、病室の番号か患者番号かはわからないが、第二十三号と呼ばれている。二十三号は、だれに対しても同じ話を語る。河童の話を……
彼が河童の国へ落ちたのは、穂高へ登るために熊笹の中を歩いていたときだった。
たまたま河童を見かけ、追いかけているうちに、深い闇の中へ転げ落ちたのである。
河童は、大人でも身長一メートルほどと小さく、頭には皿があり、顔にはくちばしが突き出ており、手足の指の間には水かきがある。
河童の国には、人間社会とほぼ変わらぬ文明があり、工場もあれば自動車も走っている。哲学者もいれば詩人もいる。医者もいれば漁師もいる……
そんな発達した文明がありながら、彼らには衣服というものがない。全裸なのである。パンツもはかない。隠さなくていいのかと、二十三号がきくと、漁師の河童が、隠すほうがおかしいと笑う。
人間社会の常識は、河童の社会の非常識。
河童の社会は、人間社会の虚飾や欺瞞を剥ぎ取ったものであるらしい。
二十三号は河童の国で、「特別保護住民」として暮らすことになった。
働かなくても遊んで暮らせる特権を与えられたのである。
彼はそこで多くの河童と知己になった。
医者のチャック、漁師のバッグ、学生のラップ、詩人のトック、などなど……
資本家もいれば裁判官もいれば心霊学協会会長もいる。
そして、河童社会のあんなこと、こんなことを見聞きすることになる。
まず、これは「河童」の中でも有名な話だが、河童の出産。
河童は雌が出産するにあたって、父親が胎児に、この世に生まれてきたいかどうかきくのだという。
二十三号は、漁師のバッグのおくさんが出産する場面を見物することができた。
生まれてきたいかどうか聞かれた胎児は、こう答えたのだ。
「いいえ、ぼくは生まれたくありません。おとうさんの精神病の遺伝だけでもたいへんですから」
これを書いていたころ、芥川には、まだ二歳にもならない小さな子があったはずだ。
夫人の文さんは、雑誌に発表された「河童」を読んだだろうか。
河童の胎児の口を借りてこんなことをいう夫は、身勝手で残酷だ。
もし読んだとしたら、夫人は、きっと泣いただろう。
幼子を抱きしめて泣いただろう。
二十三号は、河童の詩人トックと親しくなった。
トックは、ある日とつぜん、拳銃自殺をしてしまう。
かけつけた二十三号は、倒れたトックにすがりついて泣いている雌の河童を抱き起す。
傍には、何も知らずに笑っている二歳か三歳の河童……
ここでも、わたしは夫人の文さんのことを思わずにいられない。
だれよりも芥川の近くにいて、苦しむ夫をハラハラしながら見守っていた妻。
これを読んだ文さんの耳には、拳銃の音が響いたにちがいない。
耳をふさいでギュッと目をつむったかもしれない。その母のひざに、きょとんとした顔で上ろうとする幼子の姿も目に浮かぶ。
そもそも地の底にあるという河童の国。
そこは、根の国、黄泉の国、死の世界を連想させる。
二十三号は、河童の国から人間社会に帰って来たものの、精神病院に入れられてしまった。
病室には、知己になった河童たちが入れ替わり立ち代わり遊びにくるという。
それは、きっと死の誘いだ。
芥川は、この作品を書きながら、死の誘惑と闘っていたのではないか。
芥川龍之介は、昭和二年七月二十四日に致死量の睡眠薬を飲んで自死している。
「河童」を書いていた時は、すでに心身が衰弱していたのだろう。
滑稽を装ってはいるが、作者の心のうめきが聞こえてくるような短編である。
ある精神病患者が語る話として書かれている。
三十を少し過ぎたばかりの男で、病室の番号か患者番号かはわからないが、第二十三号と呼ばれている。二十三号は、だれに対しても同じ話を語る。河童の話を……
彼が河童の国へ落ちたのは、穂高へ登るために熊笹の中を歩いていたときだった。
たまたま河童を見かけ、追いかけているうちに、深い闇の中へ転げ落ちたのである。
河童は、大人でも身長一メートルほどと小さく、頭には皿があり、顔にはくちばしが突き出ており、手足の指の間には水かきがある。
河童の国には、人間社会とほぼ変わらぬ文明があり、工場もあれば自動車も走っている。哲学者もいれば詩人もいる。医者もいれば漁師もいる……
そんな発達した文明がありながら、彼らには衣服というものがない。全裸なのである。パンツもはかない。隠さなくていいのかと、二十三号がきくと、漁師の河童が、隠すほうがおかしいと笑う。
人間社会の常識は、河童の社会の非常識。
河童の社会は、人間社会の虚飾や欺瞞を剥ぎ取ったものであるらしい。
二十三号は河童の国で、「特別保護住民」として暮らすことになった。
働かなくても遊んで暮らせる特権を与えられたのである。
彼はそこで多くの河童と知己になった。
医者のチャック、漁師のバッグ、学生のラップ、詩人のトック、などなど……
資本家もいれば裁判官もいれば心霊学協会会長もいる。
そして、河童社会のあんなこと、こんなことを見聞きすることになる。
まず、これは「河童」の中でも有名な話だが、河童の出産。
河童は雌が出産するにあたって、父親が胎児に、この世に生まれてきたいかどうかきくのだという。
二十三号は、漁師のバッグのおくさんが出産する場面を見物することができた。
生まれてきたいかどうか聞かれた胎児は、こう答えたのだ。
「いいえ、ぼくは生まれたくありません。おとうさんの精神病の遺伝だけでもたいへんですから」
これを書いていたころ、芥川には、まだ二歳にもならない小さな子があったはずだ。
夫人の文さんは、雑誌に発表された「河童」を読んだだろうか。
河童の胎児の口を借りてこんなことをいう夫は、身勝手で残酷だ。
もし読んだとしたら、夫人は、きっと泣いただろう。
幼子を抱きしめて泣いただろう。
二十三号は、河童の詩人トックと親しくなった。
トックは、ある日とつぜん、拳銃自殺をしてしまう。
かけつけた二十三号は、倒れたトックにすがりついて泣いている雌の河童を抱き起す。
傍には、何も知らずに笑っている二歳か三歳の河童……
ここでも、わたしは夫人の文さんのことを思わずにいられない。
だれよりも芥川の近くにいて、苦しむ夫をハラハラしながら見守っていた妻。
これを読んだ文さんの耳には、拳銃の音が響いたにちがいない。
耳をふさいでギュッと目をつむったかもしれない。その母のひざに、きょとんとした顔で上ろうとする幼子の姿も目に浮かぶ。
そもそも地の底にあるという河童の国。
そこは、根の国、黄泉の国、死の世界を連想させる。
二十三号は、河童の国から人間社会に帰って来たものの、精神病院に入れられてしまった。
病室には、知己になった河童たちが入れ替わり立ち代わり遊びにくるという。
それは、きっと死の誘いだ。
芥川は、この作品を書きながら、死の誘惑と闘っていたのではないか。
掲載日:
書評掲載URL : http://blog.livedoor.jp/aotuka202
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読書は、登山のようなものだと思っています。読み終わるまでが上り、考えて感想や書評を書き終えるまでが下り。頂上からどんな景色が見られるか、ワクワクしながら読書という登山を楽しんでいます。
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- ページ数:45
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- 発売日:2012年09月27日
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