ぽんきちさん
レビュアー:
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そして人は楽園を追われる。それでもなお残る希望とは何か。
『失楽園』上
旧約聖書「創世記」中、禁断の木の実を食べたアダムとイヴが楽園を追われるエピソードを元にした、ジョン・ミルトンによる一大叙事詩『失楽園』。
全12巻からなり、岩波文庫版では1~6巻を「上」、7~12巻を「下」としている。
「上」では、イヴを誘惑した蛇がそもそも何者であったか、なぜ彼は人間が神に背くよう唆したか、その前段が語られる。
「下」では、いよいよ人間が罪を犯し、楽園を追われるまでが描かれる。
この物語詩では、天使と人間、神と人間、人間同士など、会話で語られる部分が多い。
7~8巻では、天使ラファエルがアダムに、神による天地創造がどのようなものであったかを語っている。おもしろいのは8巻で、当時の、そしてミルトン自身の宇宙観が滲む部分である。上巻でも少し触れたが、ミルトンはガリレオとも面識があった。時代的には天動説から地動説、プトレマイオス的天文学からコペルニクス・ガリレオ的天文学への過渡期であった。そのようなときに、全知全能の神がどのように世界を作ったかを述べることはなかなか野心的ともいってよい試みだったのではないだろうか。ただ、ミルトンは、新しい学説も取り入れつつも、それに固執しているようにも感じられない。新しいものを頑迷に拒否するわけではないが、それに熱中するわけでもない姿勢がほの見える。結局のところ、ミルトン自身の主軸は天文学そのものにはなく、神と人との関わりを詩人として考えることだったのだろう。
神の偉大さ・世界の壮大さを語る7・8巻から急転直下、9巻は本作のクライマックス、人の裏切りに場面が移る。サタンの目論見が功を奏し、人は許されぬ罪を犯す。それまでの完全な幸福は影を潜め、アダムとイヴの間には不信感が生まれ、互いになじり合い、諍うようになる。そして彼らは、「死すべきもの」となり、楽園を追われることになる。
己の愚行を後悔しつつも、アダムは歎く。
「塵から出たものが塵に帰る」ことが当然と思いつつ、死がいつ訪れるかわからぬことに彼は苦悶する。いっそのこと、直ちに破滅が訪れればよいとさえ思う。
ではこれは絶望の物語か。
いや、少なくともミルトンは人間がただの悪しき者として追われたとは書いていない。
12巻で、神は、「未来には救いがある」ことを人間に伝えた上で、楽園を去らせるよう、天使に命じる。
天使はアダムにこれ以後人間に起こるであろうことを幻として見せる。旧約聖書のダイジェストのように、バベルの塔やノアの箱舟のシーンが繰り広げられる。神の教えに背を背け、病に苦しむもの、闘い殺し合うもの、淫蕩に耽るものもいる。自らの子孫が経験するあまりの悲惨さ、あまりの困難に絶望するアダムだが、天使は優しく教え諭す。
取りなすものである神の御子(=キリスト)を通じて、いずれは救いが訪れる。人間を陥れたサタンにもいつか復讐が果たされる。
「いつか」を胸に、アダムとイヴは互いに手を取り、楽園を後にする。
人は罪を犯した。けれども直ちに滅せられはしなかった。
物語の顛末に完全に納得するかと問われると、信仰を持たないものとしては答えに窮するところがあるのだが、本作の読後感は意外に明るい。
困難を抱えつつ、なお、生きることには希望がある。
生きた環境と時代を超えて、不思議に響く明るさの源はどこにあるのか、もう少し考えてみたいと思っている。
旧約聖書「創世記」中、禁断の木の実を食べたアダムとイヴが楽園を追われるエピソードを元にした、ジョン・ミルトンによる一大叙事詩『失楽園』。
全12巻からなり、岩波文庫版では1~6巻を「上」、7~12巻を「下」としている。
「上」では、イヴを誘惑した蛇がそもそも何者であったか、なぜ彼は人間が神に背くよう唆したか、その前段が語られる。
「下」では、いよいよ人間が罪を犯し、楽園を追われるまでが描かれる。
この物語詩では、天使と人間、神と人間、人間同士など、会話で語られる部分が多い。
7~8巻では、天使ラファエルがアダムに、神による天地創造がどのようなものであったかを語っている。おもしろいのは8巻で、当時の、そしてミルトン自身の宇宙観が滲む部分である。上巻でも少し触れたが、ミルトンはガリレオとも面識があった。時代的には天動説から地動説、プトレマイオス的天文学からコペルニクス・ガリレオ的天文学への過渡期であった。そのようなときに、全知全能の神がどのように世界を作ったかを述べることはなかなか野心的ともいってよい試みだったのではないだろうか。ただ、ミルトンは、新しい学説も取り入れつつも、それに固執しているようにも感じられない。新しいものを頑迷に拒否するわけではないが、それに熱中するわけでもない姿勢がほの見える。結局のところ、ミルトン自身の主軸は天文学そのものにはなく、神と人との関わりを詩人として考えることだったのだろう。
神の偉大さ・世界の壮大さを語る7・8巻から急転直下、9巻は本作のクライマックス、人の裏切りに場面が移る。サタンの目論見が功を奏し、人は許されぬ罪を犯す。それまでの完全な幸福は影を潜め、アダムとイヴの間には不信感が生まれ、互いになじり合い、諍うようになる。そして彼らは、「死すべきもの」となり、楽園を追われることになる。
己の愚行を後悔しつつも、アダムは歎く。
おお、創造主よ、土塊から人間に造っていただきたいと、私が
あなたに頼んだことがあったでしょうか? 暗闇の世界から私を
導き出していただきたい、この楽しい園に住まわせて
いただきたいと、懇願したことが果たしてあったでしょうか?
「塵から出たものが塵に帰る」ことが当然と思いつつ、死がいつ訪れるかわからぬことに彼は苦悶する。いっそのこと、直ちに破滅が訪れればよいとさえ思う。
ではこれは絶望の物語か。
いや、少なくともミルトンは人間がただの悪しき者として追われたとは書いていない。
12巻で、神は、「未来には救いがある」ことを人間に伝えた上で、楽園を去らせるよう、天使に命じる。
天使はアダムにこれ以後人間に起こるであろうことを幻として見せる。旧約聖書のダイジェストのように、バベルの塔やノアの箱舟のシーンが繰り広げられる。神の教えに背を背け、病に苦しむもの、闘い殺し合うもの、淫蕩に耽るものもいる。自らの子孫が経験するあまりの悲惨さ、あまりの困難に絶望するアダムだが、天使は優しく教え諭す。
取りなすものである神の御子(=キリスト)を通じて、いずれは救いが訪れる。人間を陥れたサタンにもいつか復讐が果たされる。
「いつか」を胸に、アダムとイヴは互いに手を取り、楽園を後にする。
人は罪を犯した。けれども直ちに滅せられはしなかった。
物語の顛末に完全に納得するかと問われると、信仰を持たないものとしては答えに窮するところがあるのだが、本作の読後感は意外に明るい。
困難を抱えつつ、なお、生きることには希望がある。
生きた環境と時代を超えて、不思議に響く明るさの源はどこにあるのか、もう少し考えてみたいと思っている。
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分子生物学・生化学周辺の実務翻訳をしています。
本の大海を漂流中。
日々是好日。どんな本との出会いも素敵だ。
あちらこちらとつまみ食いの読書ですが、点が線に、線が面になっていくといいなと思っています。
「実感」を求めて読書しているように思います。
赤柴♀(もも)は3代目。
この夏、有精卵からヒヨコ4羽を孵化させました。そろそろ大雛かな。♂x2、♀x2。ニワトリは割と人に懐くものらしいですが、今のところ、懐く気配はありませんw
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- 出版社:岩波書店
- ページ数:431
- ISBN:9784003220634
- 発売日:1981年02月16日
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