ぽんきちさん
レビュアー:
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「月」とは何か、「六ペンス」とは何か。
サマセット・モームの古典的名著。
平凡な夫・父親から突如、絵画への異常な執着に取りつかれ、妻子を捨て、果ては南の島へと渡り、その地で果てた男の一生を描く。語り手は男の知人である作家。
主人公の画家、ストリックランドには、いくつかの点で、ポール・ゴーギャンを思わせる特徴があるのだが、一方で、いくつかの点で、ゴーギャンとは大きく異なる。また、語り手の「私」も、作家である点などで著者モームを思わせるが、モームが実際にゴーギャンと交流があったわけではない。
訳者あとがきにあるように、本作は、「ゴーギャンもモームも忘れて読」むべき作品であろう。
ストリックランドは堅実な暮らしを営んでいた株式仲買人だった。夫人は作家や芸術家の「追っかけ」を趣味としており、語り手の「私」も作家仲間の紹介で彼女と知り合った。夫のストリックランドを見かけたことはあったが、大した興味も持たなかった。ところが、そのストリックランドが突然失踪したとの噂を聞く。夫人には「もう、家にはもどらない。わたしの心は変わらない。」と簡単な書置きがあったのみ。女と駆け落ちしたとの見方が大勢を占めていた。夫がパリに行ったと知った夫人は、「私」にその様子を見てきてくれるように頼みこむ。
こうした顛末を綴る冒頭の数章はどちらかというと退屈なのだが、「私」がパリに着いてストリックランド失踪の真相を知るあたりからギアが上がる。
ことは単純な惚れた腫れたの話ではなかった。ストリックランドはただただ、絵を描きたかったというのだ。その話を聞いて、安心するかと思いきや、案に相違して激怒する夫人。
このあたりが最初の山場である。人情の機微を描いてぐいぐい読ませる。
次の山場に登場するのは、そこそこ「売れる」絵を描くけれども、職業画家以上にはなれないお人好しで滑稽な画家、ストルーヴェ。何かとストリックランドの世話を焼くストルーヴェだが、病に伏したストリックランドを家で看病したばかりに、ストルーヴェとその妻に思わぬ悲劇が訪れることになる。
最後の山はストリックランドが南の島に渡って後のこと。「私」との交流が途絶えた後のことで、証言を組み合わせてその日々が綴られる。
ストリックランドという男は粗野で嫌な奴である。教養もあまり高くはなく、付き合っておもしろいわけでもない。しかし、その作品は「本物」の輝きを示す。
よき家庭人であった前半生から、突然、芸術に取りつかれる転換点が何だったのかが書かれていないため、どこか人物像にちぐはぐな印象も受ける。だが、あるいは、このあたりを書き込まないところも、モームのたくらみのうちであったのかもしれない。
全般にこの物語には、かっちりと描きこまれ過ぎない「余白」がある。
ストリックランドだけでなく、悲惨な結末を迎えるストルーヴェの妻も実のところ、何を考えていたのかよくわからない。
「私」のいささかシニカルな人物観察を通じて、物語は進む。その陰に、「私」が見落としたドラマもまたあるのかもしれない。そう思わせる余地がある。
メインストーリーのほかにも様々な人物の人生の点描がある。
個人的には、夫に捨てられた形だが最終的にはそこそこ満足が行く生活を手に入れたストリックランド夫人、不毛の島を見事な農園に作り替えたブリュノ船長のエピソードに魅かれる。
どこかいびつさも感じるストーリーだが、このある種異様な物語をモームに想起させる何かが、モデルとなったゴーギャンの絵にはあったということだろう。そのあたりもいささか興味深い。
本作がロングセラーとなった理由の1つには、タイトルの秀逸さもあるだろう。
つまるところ、月とは何か、六ペンスとは何か。
訳者はあとがきで
地上にいるものには手の届かない月と、日常的に手にする硬貨と。どちらを求め、どちらに重きを置くかは人それぞれだろう。
生活に汲々とすることが卑しいか、けれども月を美しいと見ることばかりが高尚なのか。
それぞれの「月」、それぞれの「六ペンス」、そしてそれぞれがどちらを選ぶのか。すべては読者にゆだねられる。
*『夏だ! 「新潮文庫の100冊2019」にチャレンジ!』参加レビューです。本読書会、皆様のおかげをもちまして、全作品制覇しました。本作も2人の方がコメントしてくださっているのですが、いずれも中野好夫訳。現ラインナップには金原瑞人訳(2014)が入っているので、一応こちらで読んでみました。こうして新訳が出るというのも名著の証といえましょうか。『月と六ペンス』はほかに、光文社古典新訳文庫(土屋政雄)、岩波文庫(行方昭夫)、角川文庫(厨川圭子)などからも出ています。
平凡な夫・父親から突如、絵画への異常な執着に取りつかれ、妻子を捨て、果ては南の島へと渡り、その地で果てた男の一生を描く。語り手は男の知人である作家。
主人公の画家、ストリックランドには、いくつかの点で、ポール・ゴーギャンを思わせる特徴があるのだが、一方で、いくつかの点で、ゴーギャンとは大きく異なる。また、語り手の「私」も、作家である点などで著者モームを思わせるが、モームが実際にゴーギャンと交流があったわけではない。
訳者あとがきにあるように、本作は、「ゴーギャンもモームも忘れて読」むべき作品であろう。
ストリックランドは堅実な暮らしを営んでいた株式仲買人だった。夫人は作家や芸術家の「追っかけ」を趣味としており、語り手の「私」も作家仲間の紹介で彼女と知り合った。夫のストリックランドを見かけたことはあったが、大した興味も持たなかった。ところが、そのストリックランドが突然失踪したとの噂を聞く。夫人には「もう、家にはもどらない。わたしの心は変わらない。」と簡単な書置きがあったのみ。女と駆け落ちしたとの見方が大勢を占めていた。夫がパリに行ったと知った夫人は、「私」にその様子を見てきてくれるように頼みこむ。
こうした顛末を綴る冒頭の数章はどちらかというと退屈なのだが、「私」がパリに着いてストリックランド失踪の真相を知るあたりからギアが上がる。
ことは単純な惚れた腫れたの話ではなかった。ストリックランドはただただ、絵を描きたかったというのだ。その話を聞いて、安心するかと思いきや、案に相違して激怒する夫人。
このあたりが最初の山場である。人情の機微を描いてぐいぐい読ませる。
次の山場に登場するのは、そこそこ「売れる」絵を描くけれども、職業画家以上にはなれないお人好しで滑稽な画家、ストルーヴェ。何かとストリックランドの世話を焼くストルーヴェだが、病に伏したストリックランドを家で看病したばかりに、ストルーヴェとその妻に思わぬ悲劇が訪れることになる。
最後の山はストリックランドが南の島に渡って後のこと。「私」との交流が途絶えた後のことで、証言を組み合わせてその日々が綴られる。
ストリックランドという男は粗野で嫌な奴である。教養もあまり高くはなく、付き合っておもしろいわけでもない。しかし、その作品は「本物」の輝きを示す。
よき家庭人であった前半生から、突然、芸術に取りつかれる転換点が何だったのかが書かれていないため、どこか人物像にちぐはぐな印象も受ける。だが、あるいは、このあたりを書き込まないところも、モームのたくらみのうちであったのかもしれない。
全般にこの物語には、かっちりと描きこまれ過ぎない「余白」がある。
ストリックランドだけでなく、悲惨な結末を迎えるストルーヴェの妻も実のところ、何を考えていたのかよくわからない。
「私」のいささかシニカルな人物観察を通じて、物語は進む。その陰に、「私」が見落としたドラマもまたあるのかもしれない。そう思わせる余地がある。
メインストーリーのほかにも様々な人物の人生の点描がある。
個人的には、夫に捨てられた形だが最終的にはそこそこ満足が行く生活を手に入れたストリックランド夫人、不毛の島を見事な農園に作り替えたブリュノ船長のエピソードに魅かれる。
どこかいびつさも感じるストーリーだが、このある種異様な物語をモームに想起させる何かが、モデルとなったゴーギャンの絵にはあったということだろう。そのあたりもいささか興味深い。
本作がロングセラーとなった理由の1つには、タイトルの秀逸さもあるだろう。
つまるところ、月とは何か、六ペンスとは何か。
訳者はあとがきで
「(満)月」は夜空に輝く美を、「六ペンス(玉)」は世俗の安っぽさを象徴しているのかもしれないし、「月」は狂気、「六ペンス」は日常を象徴しているのかもしれないとしている。
地上にいるものには手の届かない月と、日常的に手にする硬貨と。どちらを求め、どちらに重きを置くかは人それぞれだろう。
生活に汲々とすることが卑しいか、けれども月を美しいと見ることばかりが高尚なのか。
それぞれの「月」、それぞれの「六ペンス」、そしてそれぞれがどちらを選ぶのか。すべては読者にゆだねられる。
*『夏だ! 「新潮文庫の100冊2019」にチャレンジ!』参加レビューです。本読書会、皆様のおかげをもちまして、全作品制覇しました。本作も2人の方がコメントしてくださっているのですが、いずれも中野好夫訳。現ラインナップには金原瑞人訳(2014)が入っているので、一応こちらで読んでみました。こうして新訳が出るというのも名著の証といえましょうか。『月と六ペンス』はほかに、光文社古典新訳文庫(土屋政雄)、岩波文庫(行方昭夫)、角川文庫(厨川圭子)などからも出ています。
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分子生物学・生化学周辺の実務翻訳をしています。
本の大海を漂流中。
日々是好日。どんな本との出会いも素敵だ。
あちらこちらとつまみ食いの読書ですが、点が線に、線が面になっていくといいなと思っています。
「実感」を求めて読書しているように思います。
赤柴♀(もも)は3代目。
この夏、有精卵からヒヨコ4羽を孵化させました。そろそろ大雛かな。♂x2、♀x2。ニワトリは割と人に懐くものらしいですが、今のところ、懐く気配はありませんw
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- 出版社:新潮社
- ページ数:378
- ISBN:9784102130278
- 発売日:2014年03月28日
- 価格:680円
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