素通堂さん
レビュアー:
▼
魔法ってものはな、そうやっておこるのさ。
梨木香歩さんの「西の魔女が死んだ」の中で、主人公のまいは魔女であるおばあちゃんに魔女になるための基礎トレーニングとして、「規則正しい生活をすること」と教わります。
魔法、というのは不思議なこと、現実離れしたことですが、逆に言うと魔法が使える、ということは現実をちゃんと分かっている、ということでもあります。
子どもというのはよく不思議なことをするものですが、彼らは魔法使いではありません。というのは、子どもは何が不思議で何が不思議じゃないか、分かっていないからです。
この短編集の最後のお話で、幽霊の女の子と出会う男の子が登場しますが、幽霊の女の子は言うのです。
「かんじんなのは、あのひとが、幽霊を見ても、それが幽霊だとわかるかどうかってことだわね」
だから魔法使いというのはおじいさんやおばあさんなのですね。
この本にはいろいろな不思議な話、楽しい話、ちょっと悲しい話があり、いろいろな魔法使いや魔女や不思議なものたちが登場します。
中でも僕は表題作の「魔法使いのチョコレート・ケーキ」が好きです。
あるところに魔法使いがいます。彼はあまり腕のよくない魔法使いなので、周りから悪い魔法使いだと思われています。
彼はチョコレート・ケーキをつくることが得意だったので、チョコレート・ケーキをつくって町の人々をお茶に招待します。
ところが彼は悪い魔法使いだと思われているので、誰も来てくれません。
仕方がないので彼はリンゴの苗木を植えて、その木の下で一人でお茶会をします。
そのとき彼はふと思いつくのです。「そうだ、この木にちょっと肥料でもやろうか」と。
そこで彼は肥料の粉でケーキを作ります。そしてそれを木にやって、「もう一ぱい、つぎますかな?」なんて言いながら木に水をやるのです。
魔法使いのお話や魔法のお話というのは本当にたくさんありますが、僕はこの物語の魔法使いと、彼の魔法がいちばん好きです。
木に肥料をやり水をやる、というのは当たり前の、普通のことです。
でも肥料の粉でケーキをつくり、「お茶でもそうぞ」と言いながら水をやるだけで、その当たり前のことが少しだけ素敵なことに変わります。
そんな些細なちょっとした不思議なことが、やがて世界中に広がってゆくのです。
そうすると、小さな不思議なことはいつの間にか、普通のことになってしまいます。
こういうのを、魔法というのだと僕は思うのです。
この物語の魔法使いは、箒で空を飛ぶこともなければ火や水を自由に操れるわけでもありません。そういう「腕のいい」魔法使いならできるはずのことを、彼は何一つしないのです。
ただ彼がすることは、チョコレート・ケーキをつくることだけです。
でも魔法とはそういうことです。そういうことが言いたかったからこそ、作者はこの物語のタイトルを「おじいさんのチョコレート・ケーキ」ではなくて「魔法使いのチョコレート・ケーキ」にしたのだと思うのです。
魔法使いのチョコレート・ケーキなのだから、きっとどれだけ食べても太らないし虫歯にもならないチョコレート・ケーキなのだと思ったとしたら、それは甘いですね☆(ドヤ顔)
魔法、というのは不思議なこと、現実離れしたことですが、逆に言うと魔法が使える、ということは現実をちゃんと分かっている、ということでもあります。
子どもというのはよく不思議なことをするものですが、彼らは魔法使いではありません。というのは、子どもは何が不思議で何が不思議じゃないか、分かっていないからです。
この短編集の最後のお話で、幽霊の女の子と出会う男の子が登場しますが、幽霊の女の子は言うのです。
「かんじんなのは、あのひとが、幽霊を見ても、それが幽霊だとわかるかどうかってことだわね」
だから魔法使いというのはおじいさんやおばあさんなのですね。
この本にはいろいろな不思議な話、楽しい話、ちょっと悲しい話があり、いろいろな魔法使いや魔女や不思議なものたちが登場します。
中でも僕は表題作の「魔法使いのチョコレート・ケーキ」が好きです。
あるところに魔法使いがいます。彼はあまり腕のよくない魔法使いなので、周りから悪い魔法使いだと思われています。
彼はチョコレート・ケーキをつくることが得意だったので、チョコレート・ケーキをつくって町の人々をお茶に招待します。
ところが彼は悪い魔法使いだと思われているので、誰も来てくれません。
仕方がないので彼はリンゴの苗木を植えて、その木の下で一人でお茶会をします。
そのとき彼はふと思いつくのです。「そうだ、この木にちょっと肥料でもやろうか」と。
そこで彼は肥料の粉でケーキを作ります。そしてそれを木にやって、「もう一ぱい、つぎますかな?」なんて言いながら木に水をやるのです。
魔法使いのお話や魔法のお話というのは本当にたくさんありますが、僕はこの物語の魔法使いと、彼の魔法がいちばん好きです。
木に肥料をやり水をやる、というのは当たり前の、普通のことです。
でも肥料の粉でケーキをつくり、「お茶でもそうぞ」と言いながら水をやるだけで、その当たり前のことが少しだけ素敵なことに変わります。
そんな些細なちょっとした不思議なことが、やがて世界中に広がってゆくのです。
そうすると、小さな不思議なことはいつの間にか、普通のことになってしまいます。
こういうのを、魔法というのだと僕は思うのです。
この物語の魔法使いは、箒で空を飛ぶこともなければ火や水を自由に操れるわけでもありません。そういう「腕のいい」魔法使いならできるはずのことを、彼は何一つしないのです。
ただ彼がすることは、チョコレート・ケーキをつくることだけです。
でも魔法とはそういうことです。そういうことが言いたかったからこそ、作者はこの物語のタイトルを「おじいさんのチョコレート・ケーキ」ではなくて「魔法使いのチョコレート・ケーキ」にしたのだと思うのです。
魔法使いのチョコレート・ケーキなのだから、きっとどれだけ食べても太らないし虫歯にもならないチョコレート・ケーキなのだと思ったとしたら、それは甘いですね☆(ドヤ顔)
投票する
投票するには、ログインしてください。
twitterで自分の個人的な思いを呟いてたら見つかってメッセージが来て気持ち悪いのでもうここからは退散します。きっとそのメッセージをした人はほくそ笑んでいることでしょう。おめでとう。
今までお世話になった方々ありがとうございました。
この書評へのコメント
コメントするには、ログインしてください。
書評一覧を取得中。。。
- 出版社:福音館書店
- ページ数:181
- ISBN:9784834019995
- 発売日:2004年08月20日
- 価格:630円
- Amazonで買う
- カーリルで図書館の蔵書を調べる
- あなた
- この書籍の平均
- この書評
※ログインすると、あなたとこの書評の位置関係がわかります。