はるほんさん
レビュアー:
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明治文豪にツッコめ祭 写真のような小説?正直「面白い」話ではないのだが、そこから見えてくる様々が「興味深い」。
「草枕」──旅先の仮宿のことだ。
その名の通り、ふらりと熊本の温泉街を訪れた画家の
目にしたもの耳にしたものが綴られている。
故に文章も風景描写に筆を尽くしており、
「写真集のような小説」になっている。
そういう意味では「読み辛い」小説であろう。
「眺めて楽しむ」小説はなかなかに珍しい。
画家は絵の題材を捜し求め、ある宿に逗留する。
そこには出戻りで「気狂い」と噂される娘がいた。
彼女の言動になにかと驚かされながらも、
その機知や所作には惹かれるものがある。
だが絵にするには、彼女に「何か」が足りないと画家は思う。
この画家の芸術観が独特だ。
「非人情」──、簡単に言うと固定概念や偏見なく、
ものの在りようを見よということである。
ふと思う。
実はこの主人公は、画家ではないのではないかと。
実際彼は詩作はひりだすものの、作中ではほとんど絵を描かない。
なんらかを見いだすために旅をしていることは確かだが、
その為に「画家の視点になり切る」ことが肝要なだけではないだろうか。
「吾輩は猫である」が猫だからこそ見える人間観察なら
これは「吾輩は画家である」と言い換えてもいい。
「智に働けば角が立つ 情に棹させば流される。
意地を通せば窮屈だ 兎角に人の世は住みにくい 」
有名な草枕の冒頭文だが、この住みにくい世の中が
「非人情」に見ることで変わるやもしれぬ──
これは主人公のそんな「自分探し」の旅だったのだと思う。
宿屋の娘に足りない「何か」と、主人公が探し求めるものは
多分だが同じものなのだろう。
多分というのは漱石がそれを積極的に、アピールしていない事による。
ここにテーマをつけて煽ることは、「非人情」に反する。
ひたすら外側から、漱石はストーリーを綴っている。
いずれも鮮烈な冒頭文ではじまる漱石の初期作品。
それはキャンバスのど真ん中に突然、原色の絵の具を置いたかのようだ。
が、出来上がった絵はいずれも1枚の日常画のようで、話筋は平(たいら)かだ。
「決定的瞬間」ではなく、風景画にしてしまうのは
漱石文学の特徴だと個人的に思う。
この「非人情」という芸術観は、在る物を見るという点で
ノボさん(下)で出てきた子規の「写生」俳句に、何処か似ている。
限られた文字数の中で無駄を削ぎ落とし、
余分な情を剥ぎ落とし、ありのままを見る視点。
だがそれは、人を無視することではない。
もし本当にこの「非人情」に子規の芸術観を重ねているのなら
これはとても「人間臭い」作品だ。
角が立ち、流され、窮屈で住みにくい世の中だからこそ、
人は醜くも美しく、また尊い。
ラストで人情を垣間見せた娘に
「それだ!それだ!それが出れば画になりなますよ」と叫んだ主人公は
確かに己の「非人情」を成就し、同時に消失したのではあるまいか。
その名の通り、ふらりと熊本の温泉街を訪れた画家の
目にしたもの耳にしたものが綴られている。
故に文章も風景描写に筆を尽くしており、
「写真集のような小説」になっている。
そういう意味では「読み辛い」小説であろう。
「眺めて楽しむ」小説はなかなかに珍しい。
画家は絵の題材を捜し求め、ある宿に逗留する。
そこには出戻りで「気狂い」と噂される娘がいた。
彼女の言動になにかと驚かされながらも、
その機知や所作には惹かれるものがある。
だが絵にするには、彼女に「何か」が足りないと画家は思う。
この画家の芸術観が独特だ。
「非人情」──、簡単に言うと固定概念や偏見なく、
ものの在りようを見よということである。
ふと思う。
実はこの主人公は、画家ではないのではないかと。
実際彼は詩作はひりだすものの、作中ではほとんど絵を描かない。
なんらかを見いだすために旅をしていることは確かだが、
その為に「画家の視点になり切る」ことが肝要なだけではないだろうか。
「吾輩は猫である」が猫だからこそ見える人間観察なら
これは「吾輩は画家である」と言い換えてもいい。
「智に働けば角が立つ 情に棹させば流される。
意地を通せば窮屈だ 兎角に人の世は住みにくい 」
有名な草枕の冒頭文だが、この住みにくい世の中が
「非人情」に見ることで変わるやもしれぬ──
これは主人公のそんな「自分探し」の旅だったのだと思う。
宿屋の娘に足りない「何か」と、主人公が探し求めるものは
多分だが同じものなのだろう。
多分というのは漱石がそれを積極的に、アピールしていない事による。
ここにテーマをつけて煽ることは、「非人情」に反する。
ひたすら外側から、漱石はストーリーを綴っている。
いずれも鮮烈な冒頭文ではじまる漱石の初期作品。
それはキャンバスのど真ん中に突然、原色の絵の具を置いたかのようだ。
が、出来上がった絵はいずれも1枚の日常画のようで、話筋は平(たいら)かだ。
「決定的瞬間」ではなく、風景画にしてしまうのは
漱石文学の特徴だと個人的に思う。
この「非人情」という芸術観は、在る物を見るという点で
ノボさん(下)で出てきた子規の「写生」俳句に、何処か似ている。
限られた文字数の中で無駄を削ぎ落とし、
余分な情を剥ぎ落とし、ありのままを見る視点。
だがそれは、人を無視することではない。
もし本当にこの「非人情」に子規の芸術観を重ねているのなら
これはとても「人間臭い」作品だ。
角が立ち、流され、窮屈で住みにくい世の中だからこそ、
人は醜くも美しく、また尊い。
ラストで人情を垣間見せた娘に
「それだ!それだ!それが出れば画になりなますよ」と叫んだ主人公は
確かに己の「非人情」を成就し、同時に消失したのではあるまいか。
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歴史・時代物・文学に傾きがちな読書層。
読んだ本を掘り下げている内に妙な場所に着地する評が多いですが
おおむね本人は真面目に書いてマス。
年中歴史・文豪・宗教ブーム。滋賀偏愛。
現在クマー、谷崎、怨霊、老人もブーム中
徳川家茂・平安時代・暗号・辞書編纂物語・電車旅行記等の本も探し中。
秋口に無職になる予定で、就活中。
なかなかこちらに来る時間が取れないっす…。
2018.8.21
- この書評の得票合計:
- 32票
| 読んで楽しい: | 18票 | |
|---|---|---|
| 素晴らしい洞察: | 2票 | |
| 参考になる: | 12票 |
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この書評へのコメント
- はるほん2016-06-21 20:29
作品とは別の話なのだが、コレを読んで
芥川の「文芸的な、余りに文芸的な」をふと思い出した。
「話筋の無い小説」もアリだと主張する芥川の論文だが、
ひょっとして漱石リスペクトの上での発言なのかもな、と。
ストーリーがない訳ではないが、イメージ的に何か近い。
漱石先生がこんなにも弟子たちに熱愛されたのは
なんでだろうという妄想を次回にしたい。クリックすると、GOOD!と言っているユーザーの一覧を表示します。 - Wings to fly2016-06-21 21:20
>「決定的瞬間」ではなく風景画にしてしまう
私はこの作品はちょっとだけ『夢十夜』に似ているような気がしてるんですね。あれも一種の風景画だと思います。漱石には美意識と通俗と可愛げの同居してるようなところがあって、弟子はどうだったかわからないけど、私はそこが好きです(^ ^)クリックすると、GOOD!と言っているユーザーの一覧を表示します。 
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- ページ数:103
- ISBN:B009IXKOFQ
- 発売日:2012年09月27日
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