私は今、バロックの古楽器を用いたアンサンブルに嵌っているのだが、この「ヴィオラ・アルタ」なる楽器もヴィオラ・ダ・ガンバのようなバロックの楽器かと思ったのだ。
しかし、ヴィオラ・アルタは新しい楽器である。
19世紀末にドイツでヴィオラの改良種として生まれ、20世紀初頭には確かに使われていた。
かのワーグナーがこの新しい楽器を見初め愛したというのに、今日その足跡は消え失せてしまっているという。
何故、この楽器は幻の楽器となってしまったのか。
で、ヴィオラ・アルタである。
ヴィオラ・アルタは緻密な計算に基づいて作られた楽器だ。
ラテンの地で生まれた気ままなサイズのヴァイオリン(事実、私のヴァイオリンはネックがかなり短い。工房の人は「黄金律じゃないから修理しよう」と言ったが、私は絶対嫌ーと断っている。)と異なり、全てのヴィオラ・アルタは、0.1mmまでサイズがピッタリ同じらしい!さすがドイツ人の仕事!
表板は、平坦。ヴァイオリンは結構中央に膨らみがあり、左右が僅かに非対称だったりして個性的なのだが、ヴィオラ・アルタにはそんな愛嬌はなく、ただただストイック。さすがドイツ人の仕事!
そして、かつては5弦張られていたという痕跡がある。
つまり、音域が広かったのだ。
サイズはでかい。ヴィオラよりかなりでかい。きっと、女には弾けないと思う。
裏板は47cm、ネックは29.8cm。つまり、全長75cm強。
私の腕の長さが70cm強だぞ、んな化け物楽器、顎に挟んで弾けるわけがない。
このでかさが衰退した理由か?
いや、楽器は音だ。
youtubeで筆者が弾く動画を探し聴いてみる。
うん、これは確かにヴィオラの音じゃない。
ヴィオラの、悪く言えばくすんで、ちょっともどかしい、よく言えば渋い深みのある音とは全く異なる。
チェロの澄んだ、それでいて強靭な音とも異なる。ヴァイオリンの華やかでヒステリックな音とも違う。
先入観なしに目を瞑ってこの音を聴いたら、私は何の音だと思ったろう。
この、艶のある、澄んで、それでいて深みのある音は……。
偶然にこの楽器とであったヴィオラ奏者の筆者は、この楽器と失われた歴史に囚われてしまう。
何故、そんなに古くもない、そして美しい楽器が歴史から消されてしまったのか?
この楽器のための曲は、どのようなものであったのか?
そこから先の探求は、出会いの連続である。
まず、特注したケースの工房から「昔大量に作っていた」という証言が得られ、ふと記憶から「ヴィオラに弾けない音域のある、ヴィオラ曲」が蘇り、あれは、ヴィオラ・アルタのための曲なのではなかったか?と思いつく。
そして、世界にもう一人だけいた、ヴィオラ・アルタ奏者との出会いが手繰り寄せられるのだ。
筆者はドイツに跳ぶ。
ヴィオラ・アルタの生まれ故郷に。
彼の地での演奏会のおり、観客の一人の老人が筆者に呟いた。
「懐かしいな、ヴィオラ・アルタ。もう一度、弾いてみたいよ」ヴィオラ・アルタはマイナーな楽器だったかもしれない。
しかし、確かにその老人が若い頃までは、生きていた楽器だったのだ。
それが、今や楽器として生きているものは、数台しかなく(どこかの工房や骨董屋に埋れているかもしれないが)、ヴィオラ・アルタ奏者は筆者含めて二人しかいない。
何故、こんなにもヴィオラ・アルタは存在を抹消されてしまったのだろうか。
ヴィオラ・アルタは、かつてワーグナーに絶賛され、そのオペラにも使用された。
しかし、20世紀、ワーグナーの音楽はナチスに「真にドイツ的なもの」として祭り上げられ、ドイツの敗戦後は一転して忌避すべきものとされてしまった。
欧米の有力な交響楽団には、全てパトロンがついている。そこには、資本が動く。ユダヤの資本が。
彼らはワーグナーを、ヴィオラ・アルタを赦さなかった。
戦後、ヴィオラ・アルタ奏者たちは、そっと楽器を置き換える。
ヴィオラ・アルタからヴィオラへ。
そして、ヴィオラ・アルタは、忘れ去られたのだ。
20世紀の歴史の闇の中に。
クラシック音楽と戦争の関わりは、「戦争交響曲」に詳しい。
「ストラディヴァリウスとグァルネリ」でも、クレモナの街がヴァイオリン職人の街としてムッソリーニによって復活した小話が紹介されていた。
ヴィオラ・アルタもまた、戦争によって運命を変えられた楽器だったのだ。
しかし、時代は変わる。
イスラエル人音楽家がワーグナー楽曲の演奏を目指すようになったように、クレモナの街がムッソリーニの影を払拭したように、いつかまた複数台のヴィオラ・アルタが、その共振によって「パイプオルガンのような」音を奏でる日が、やって来るのかもしれない。
興味を持たれたら、ぜひ聞いてみてほしい。
クロアチアの作曲家、イヴァン・ザイツの「エレジー(悲しい歌)」。
筆者が、初めてヴィオラ・アルタを聴衆の前で弾いた曲でもある。
UPされているヴィオラ・アルタの曲は全て聴いたが、この曲が良い。ヴィオラとの違いが如実にわかる。
まず低音で始まるが、その透明さを聞いて欲しい。
ピアノの間奏の後、曲は高音域に移動する。この高音と言ったら、表現の仕様がない。
短い曲なので、是非。





色々世界がひっくり返って読書との距離を測り中.往きて還るかは神の味噌汁.「セミンゴの会」会員No1214.別名焼き粉とも.読書は背徳の蜜の味.毒を喰らわば根元まで.
この書評へのコメント
- oldman2017-08-04 11:08
ヴィオラ・アルタ非常に興味深い楽器ですね。お薦めの演奏 聞かせて頂きました。この澄んだそれでいて深い音色何とも言えません。
この弦楽器が消えたのは確かに第二次大戦におけるユダヤ人迫害の影響が多いのだと思います。ユダヤ資本だけでなく世界的音楽家の多くはユダヤ系が多い事は周知の事実ですから…
それにしても、ちょっとしか聞いていないのに惚れ惚れする音色です。勉強になりました。
しかしデカいなぁ( ゚Д゚)
ヴィオラ・アルタの動画を見つけたので追加します。 筆者以外のもう一人ヴィオラ・アルタ奏者カール・スミス氏によるヴィオラとの共演 [[https://www.youtube.com/watch?v=aGa4GuKF6y0&list=PL1BAE43552B1A0A7D&index=6]] Offenbachの「舟歌」
ヴィオラとの差が良く解ります。クリックすると、GOOD!と言っているユーザーの一覧を表示します。 - 三太郎2017-08-04 17:27
音だけ聴くと、硬めのチェロの音のようです。
無くなったのはワグナー以外つかう作曲家がいなかったからですかね。
同じワグナーが作った楽器にワグナーチューバがあります。形は小さめのチューバで吹口がホルンみたいな細い形だそうです。こいつは今でもブルックナーの交響曲でよくみかけますね。
ワグナーチューバは移調楽器で、ベー(B♭)管とエフ(F)管があるそうです。僕はクラリネットだったから分かりますが、自分のパート譜の調性が皆と違うんですよね。他の楽器のパートは移調しないと吹けません。Cとb♭なんて2度しか違わないから、これは音域の問題ではなくて、管の長さが変わると音色が変わるからだろうと思います。クリックすると、GOOD!と言っているユーザーの一覧を表示します。 
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- ページ数:192
- ISBN:9784087206746
- 発売日:2013年01月17日
- 価格:735円
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