hackerさん
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「詞(ことば)にも 歌にも なさじ わがおもひ その日そのとき 胸より胸に」(本書で引用されている与謝野晶子の歌)
2010年刊の本書については、いろいろな方が賞賛の書評を書いておられますし、カバーの裏表紙には「最終章が深い余韻を残す傑作」と謳ってありますが、まさにその通りの作品だと思います。本書は、昭和の初期に山形の田舎から東京へ女中として働きに出たタキという13歳の少女だった女性が、年老いてからの一人暮らしの中で、終戦までの日々を回想して書いた手記という構成をとっています。ただ「小さいおうち」と題された最終章で、タキの甥に語り手は引き継がれます。物語については、他の方の書評でも詳しいですし、太平洋戦争前の東京の裕福な家庭の生活の、実感のこもった生活描写の見事さを、この拙文であらためて詳しく語るつもりはありません。ただ、本書全体の謎について、思うところを書きます。
本書には、巻末に『私たちと地続きの時代の物語』と題する、作者の中島京子とノンフィクション作家船曳由美の対談が載せられていますが、その最後の箇所を引用します。
「船曳 タキはなぜ泣いたのか、何を後悔していたのか、いろいろ考えられるけれども、真実が明かされないことがなみなみならぬ小説なのです。
中島 ありがとうございます。私が考えている理由はあるのですけれども、読んでくださったかたが自由に想像してくださったらうれしいですね」
小説に限らず、どんな芸術でも発表された瞬間に、作者のものではなくなるわけで、中島京子のこの奥ゆかしい発言は好感が持てます。しかし、この謎とは何なのでしょう。それは、本書の物語の大きな軸として、タキが女中をしていた「小さなおうち」の、かなり年上の男の元に、男の子を連れて後妻として嫁いだ美しい平井時子と、彼女より年下の青年でイラストが得意の板倉正司との秘めた恋があるのですが、この二人に対してタキがとったある行動のことです。
ところで、本書には重要な引用が二つあります。一つは、与謝野晶子の歌です。
「詞(ことば)にも 歌にも なさじ わがおもひ その日そのとき 胸より胸に」
この歌がきっかけで、時子と板倉の秘めた想いに、タキは気づくのですが、二人の切ない恋心が沁みるような痛みを読む者に与えてくれます。しかし、この歌は、同時にタキにも当てはまる歌だと思うのです。その相手は、時子だったかもしれませんし、板倉だったかもしれません。それについては、タキは一言も手記の中では触れていないので、分かりません。しかし、本当の意味で、タキが愛していた、あるいは生きがいだったのは、時子と住んでいた「小さなおうち」だったのではないかと思います。
その理由は、本書のもう一つの重要な引用が、バージニア・リー・バートンの絵本の古典『ちいさいおうち』だからです。この絵本について、松居直は次のように書いています。
「一日、一週間、ひと月、春夏秋冬の四季の移り変わりを通じて一年、さらには人間社会の時代の変遷と、その中での人々のくらしや幸福感までもが語られています。また目には見えない『時間』が、子どもにも眼に見えるように理解できる奇跡のような本です」
この文は、まるで本書の紹介文のようでもありますが、この絵本の最大の特徴は、主人公は「ちいさいおうち」であって、人間ではないということです。実は、タキが最も大切にしていたのは、平井家の「小さいおうち」であり、そこで自分に与えられた小さい部屋だったのではないかと思います。タキは6人兄弟の5番目の子供で、当時の農家のそういう女性に「自分の部屋」と呼べるようなものは想像できなかったことでしょう。ですから、タキにとっては、平井家の「小さいおうち」は自分の家であり、女中部屋は自分の部屋だったはずです。この家が古くからあったものではなく、時子の再婚にあたって、時子と連れ子とタキを迎え入れるために新築されたというのも、重要なポイントです。そして、タキの生きてきた時代は、家というものは守るべきものであり、今よりはずっと価値の高いものとされていたはずです。家の価値を両親に押しつけられて育った私には、それがよく分かります。
したがって、空襲で「小さいおうち」が焼失した後のことを、手記に書いていないのは、タキにとっては、その後はもう意味のない人生だったからではないでしょうか。ですから、1LDKの借り住まいのマンションで最期を迎えるタキの寂しさと痛ましさが、一層胸に迫るのです。本書の読後の深い余韻は、こういう感情がもたらすものではないかと思います。
最後に、時子の恋人であった板倉正司についてですが、戦争中、死亡率90%超といわれる悲惨な戦場だったニューギニア戦線に送られ、そこから生還しています。ガダルカナルやインパールと並び、餓死者や病死者を数多く出したことで知られた戦場ですが、高い死亡率ゆえに、生存者が少なかったせいか、一般にはあまり知られていないように思えます。トキの手記にも、ニューギニアの戦いへの言及はありません。それを知っていると、板倉正司が、戦後自分の思い出のために描いたとされる『小さいおうち』と題する連作紙芝居の背景をより理解できると思います。興味のある方は、いずれも私はレビューを書いていますが、『地獄の日本兵―ニューギニア戦線の真相』(飯田進)『東部ニューギニア戦線鬼哭の戦場―生き残った将兵が語る最後の証言』『西部ニューギニア戦線極限の戦場―飢餓地獄を彷徨した将兵の証言』(共に平山忍)のどれかをお読みください。自作『小さいおうち』に込められた板倉正司の、そしておそらく作者中島京子の語られない想いも、より強く感じられると思います。「詞(ことば)にも 歌にも なさじ わがおもひ」というのは、恋心だけではないのです。
本書には、巻末に『私たちと地続きの時代の物語』と題する、作者の中島京子とノンフィクション作家船曳由美の対談が載せられていますが、その最後の箇所を引用します。
「船曳 タキはなぜ泣いたのか、何を後悔していたのか、いろいろ考えられるけれども、真実が明かされないことがなみなみならぬ小説なのです。
中島 ありがとうございます。私が考えている理由はあるのですけれども、読んでくださったかたが自由に想像してくださったらうれしいですね」
小説に限らず、どんな芸術でも発表された瞬間に、作者のものではなくなるわけで、中島京子のこの奥ゆかしい発言は好感が持てます。しかし、この謎とは何なのでしょう。それは、本書の物語の大きな軸として、タキが女中をしていた「小さなおうち」の、かなり年上の男の元に、男の子を連れて後妻として嫁いだ美しい平井時子と、彼女より年下の青年でイラストが得意の板倉正司との秘めた恋があるのですが、この二人に対してタキがとったある行動のことです。
ところで、本書には重要な引用が二つあります。一つは、与謝野晶子の歌です。
「詞(ことば)にも 歌にも なさじ わがおもひ その日そのとき 胸より胸に」
この歌がきっかけで、時子と板倉の秘めた想いに、タキは気づくのですが、二人の切ない恋心が沁みるような痛みを読む者に与えてくれます。しかし、この歌は、同時にタキにも当てはまる歌だと思うのです。その相手は、時子だったかもしれませんし、板倉だったかもしれません。それについては、タキは一言も手記の中では触れていないので、分かりません。しかし、本当の意味で、タキが愛していた、あるいは生きがいだったのは、時子と住んでいた「小さなおうち」だったのではないかと思います。
その理由は、本書のもう一つの重要な引用が、バージニア・リー・バートンの絵本の古典『ちいさいおうち』だからです。この絵本について、松居直は次のように書いています。
「一日、一週間、ひと月、春夏秋冬の四季の移り変わりを通じて一年、さらには人間社会の時代の変遷と、その中での人々のくらしや幸福感までもが語られています。また目には見えない『時間』が、子どもにも眼に見えるように理解できる奇跡のような本です」
この文は、まるで本書の紹介文のようでもありますが、この絵本の最大の特徴は、主人公は「ちいさいおうち」であって、人間ではないということです。実は、タキが最も大切にしていたのは、平井家の「小さいおうち」であり、そこで自分に与えられた小さい部屋だったのではないかと思います。タキは6人兄弟の5番目の子供で、当時の農家のそういう女性に「自分の部屋」と呼べるようなものは想像できなかったことでしょう。ですから、タキにとっては、平井家の「小さいおうち」は自分の家であり、女中部屋は自分の部屋だったはずです。この家が古くからあったものではなく、時子の再婚にあたって、時子と連れ子とタキを迎え入れるために新築されたというのも、重要なポイントです。そして、タキの生きてきた時代は、家というものは守るべきものであり、今よりはずっと価値の高いものとされていたはずです。家の価値を両親に押しつけられて育った私には、それがよく分かります。
したがって、空襲で「小さいおうち」が焼失した後のことを、手記に書いていないのは、タキにとっては、その後はもう意味のない人生だったからではないでしょうか。ですから、1LDKの借り住まいのマンションで最期を迎えるタキの寂しさと痛ましさが、一層胸に迫るのです。本書の読後の深い余韻は、こういう感情がもたらすものではないかと思います。
最後に、時子の恋人であった板倉正司についてですが、戦争中、死亡率90%超といわれる悲惨な戦場だったニューギニア戦線に送られ、そこから生還しています。ガダルカナルやインパールと並び、餓死者や病死者を数多く出したことで知られた戦場ですが、高い死亡率ゆえに、生存者が少なかったせいか、一般にはあまり知られていないように思えます。トキの手記にも、ニューギニアの戦いへの言及はありません。それを知っていると、板倉正司が、戦後自分の思い出のために描いたとされる『小さいおうち』と題する連作紙芝居の背景をより理解できると思います。興味のある方は、いずれも私はレビューを書いていますが、『地獄の日本兵―ニューギニア戦線の真相』(飯田進)『東部ニューギニア戦線鬼哭の戦場―生き残った将兵が語る最後の証言』『西部ニューギニア戦線極限の戦場―飢餓地獄を彷徨した将兵の証言』(共に平山忍)のどれかをお読みください。自作『小さいおうち』に込められた板倉正司の、そしておそらく作者中島京子の語られない想いも、より強く感じられると思います。「詞(ことば)にも 歌にも なさじ わがおもひ」というのは、恋心だけではないのです。
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「本職」は、本というより映画です。
本を読んでいても、映画好きの視点から、内容を見ていることが多いようです。
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- 出版社:文藝春秋
- ページ数:348
- ISBN:9784167849016
- 発売日:2012年12月04日
- 価格:570円
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