ウロボロスさん
レビュアー:
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朝刊コラムにカフカの『変身』について触れていた。「何かの依存症を伴って生まれる人はいない。どこでそうなったのか。」今話題の通訳の人の変身ぶりをそう表現しての内容だった。そこで『変身』を再読しました。
ある新聞の朝刊コラムにカフカの『変身』について触れていてその後の文章に「何かの依存症を伴って生まれる人はいない。どこでそうなったのか。」今話題の通訳の人の変身ぶりをそう表現しての内容だった。というわけで『変身』を再読しました。
《ある朝、グレゴール・ザムザが気がかりな夢から目ざめたとき、自分がベッドの上で一匹の巨大な毒虫に変ってしまっているのに気づいた。》
あまりにも名高いこの書き出しではじまるカフカの不条理小説『変身』……。
粗筋は巷間にあまねく流通しているので省略します。
この冒頭の最初の一文にある〈気がかりな夢〉を〈不安な夢〉と訳しているものもあるようです。〈不安な夢〉というのは多くの人がおよそイメージできるが〈気がかりな夢〉というものはその人が今まさに直面している不透明で不気味な夫々の〈個人的な夢〉であるような気がしてなりません。この〈気がかりな夢〉はそれが何であるのか?最後までこの小説を読み終えてもわかりません。このキガカリは、仕事を通じての自分の将来の漠然とした不安なのか?家族を扶養しなければならないという負荷重荷なのか?あるいは恋煩いの心の情緒不安定なキガカリなのか?さらにそれは、ある種のフェティッシュなのか?
この〈気がかりな夢〉が錬金術的な魔法の化学変化を発生させてグレゴールを巨大な毒虫に変身させたのではないのだろうか?
そしてもうひとつの私のキガカリが「そもそもこの毒虫の大きさはどれほどのものだったのか?」という疑問でした。ネットを遍く探索したら、その毒虫の大きさの変化に着目した論文にヒットした。
それは〈高岡法科大学紀要 第10号〉に掲載されていた大山一郎という人の論文フランツ・カフカ『変身』について─「虫」の大きさについての考察─でした。これは素晴らしい論文だと思いました。要約すると虫の大きさは1、2、3章へと進むにしたがって大→中→小と変化し最後は手伝い婆さんの女中に箒で掃いて吹き飛ばされてしまうほどの小ささに変化していると。そしてそれは家族や社会との繋がりの希薄さと比例しているという洞察でした。とくに家族との関係の変化がそれを如実に示しいるとの指摘は炯眼です。
以下に妹と父親の会話の断片を抜き書きます。
妹はささやくのだった。「グレゴール、開けてちょうだいな。ね、お願い」
「あいつがわれわれのことをわかってくれたら」と、父親はくり返して、眼を閉じ、そんなことはありえないという妹の確信を自分でも受け容れていた。
「あいつはいなくならなければならないのよ」と、妹は叫んだ。
当初の「兄さん」「グレゴール」から「あいつ」という代名詞へと変化している。
そしてグレゴールは例の毛皮ずくめの貴婦人の写真をとおしてそのフェティッシュな愛情を母親にむけているのではないか?
グレゴールは妹、父親、母親とのそれぞれの関係が変貌しても彼らへの愛情の配慮、顧慮は一貫して変わらないでいる。
《感動と愛情とをこめて家族のことを考えた。
自分が消えてしまわなければならないのだという彼の考えは、おそらく妹の意見よりももっと決定的なものだった。》
この小説は人生というものがいかに不条理なものであるかというのを自身をグロテスクな者へと、変身させ他者や社会へのキガカリとして提示して見せたキガカリ的不条理小説なのです。
グレゴールの最後はレギュラーサイズのカブトムシの大きさに戻って死にいたる。そして彼がこの地上から消え去っても「世界」は依然として日常を持続させるのです。
《彼らは、グレゴールが探し出した現在の住居よりももっと狭くて家賃の安い、しかしもっといい場所にある、そしてもっと実用的な住居をもとうと思い、三人で外出し、電車に乗りやがて終点に着いた。(中略)そして娘は立ち上がって、その若々しい身体をぐっとのばしたとき、老夫妻にはそれが自分たちの新しい夢と善意とを裏書きするもののように思われた。》
当然ながらこの小説を精読しても〈一平くん〉の〈変身の謎〉はわかりませんでした!悪しからず!(笑)。
《ある朝、グレゴール・ザムザが気がかりな夢から目ざめたとき、自分がベッドの上で一匹の巨大な毒虫に変ってしまっているのに気づいた。》
あまりにも名高いこの書き出しではじまるカフカの不条理小説『変身』……。
粗筋は巷間にあまねく流通しているので省略します。
この冒頭の最初の一文にある〈気がかりな夢〉を〈不安な夢〉と訳しているものもあるようです。〈不安な夢〉というのは多くの人がおよそイメージできるが〈気がかりな夢〉というものはその人が今まさに直面している不透明で不気味な夫々の〈個人的な夢〉であるような気がしてなりません。この〈気がかりな夢〉はそれが何であるのか?最後までこの小説を読み終えてもわかりません。このキガカリは、仕事を通じての自分の将来の漠然とした不安なのか?家族を扶養しなければならないという負荷重荷なのか?あるいは恋煩いの心の情緒不安定なキガカリなのか?さらにそれは、ある種のフェティッシュなのか?
この〈気がかりな夢〉が錬金術的な魔法の化学変化を発生させてグレゴールを巨大な毒虫に変身させたのではないのだろうか?
そしてもうひとつの私のキガカリが「そもそもこの毒虫の大きさはどれほどのものだったのか?」という疑問でした。ネットを遍く探索したら、その毒虫の大きさの変化に着目した論文にヒットした。
それは〈高岡法科大学紀要 第10号〉に掲載されていた大山一郎という人の論文フランツ・カフカ『変身』について─「虫」の大きさについての考察─でした。これは素晴らしい論文だと思いました。要約すると虫の大きさは1、2、3章へと進むにしたがって大→中→小と変化し最後は手伝い婆さんの女中に箒で掃いて吹き飛ばされてしまうほどの小ささに変化していると。そしてそれは家族や社会との繋がりの希薄さと比例しているという洞察でした。とくに家族との関係の変化がそれを如実に示しいるとの指摘は炯眼です。
以下に妹と父親の会話の断片を抜き書きます。
妹はささやくのだった。「グレゴール、開けてちょうだいな。ね、お願い」
「あいつがわれわれのことをわかってくれたら」と、父親はくり返して、眼を閉じ、そんなことはありえないという妹の確信を自分でも受け容れていた。
「あいつはいなくならなければならないのよ」と、妹は叫んだ。
当初の「兄さん」「グレゴール」から「あいつ」という代名詞へと変化している。
そしてグレゴールは例の毛皮ずくめの貴婦人の写真をとおしてそのフェティッシュな愛情を母親にむけているのではないか?
グレゴールは妹、父親、母親とのそれぞれの関係が変貌しても彼らへの愛情の配慮、顧慮は一貫して変わらないでいる。
《感動と愛情とをこめて家族のことを考えた。
自分が消えてしまわなければならないのだという彼の考えは、おそらく妹の意見よりももっと決定的なものだった。》
この小説は人生というものがいかに不条理なものであるかというのを自身をグロテスクな者へと、変身させ他者や社会へのキガカリとして提示して見せたキガカリ的不条理小説なのです。
グレゴールの最後はレギュラーサイズのカブトムシの大きさに戻って死にいたる。そして彼がこの地上から消え去っても「世界」は依然として日常を持続させるのです。
《彼らは、グレゴールが探し出した現在の住居よりももっと狭くて家賃の安い、しかしもっといい場所にある、そしてもっと実用的な住居をもとうと思い、三人で外出し、電車に乗りやがて終点に着いた。(中略)そして娘は立ち上がって、その若々しい身体をぐっとのばしたとき、老夫妻にはそれが自分たちの新しい夢と善意とを裏書きするもののように思われた。》
当然ながらこの小説を精読しても〈一平くん〉の〈変身の謎〉はわかりませんでした!悪しからず!(笑)。
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堀江敏幸、多和田葉子、中原清一郎、等々...です。
音楽は、洋楽、邦楽問わず70年代、80年代を中心に聴いてます。初めて行ったLive Concertが1979年のエリック・クラプトンです。好きなアーティストはボブ・ディランです。
格闘技(UFC)とソフトバンク・ホークス(野球)の大ファンです。
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- 出版社:
- ページ数:51
- ISBN:B009B1Q8TG
- 発売日:2012年09月14日
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