あかつきさん
レビュアー:
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事故から27年(*2012年出版)。事故を忘れず静かな祈りを捧げる優しい人々の姿を伝えることで、筆者は3.11のあとに日本に出来た大きな傷を、癒したかったのではないだろうか。
昭和60年8月12日。
当時幼稚園児だった自分が、この事故の報道を執拗に覚えているのは何故だろう。
ホバリングする空挺隊ヘリに収容される生存者の記録画像を、繰返し見たからだろうか。
それとも、「墜落遺体」を何度も読んできたからだろうか。
「墜落遺体」「墜落現場」に続く、御巣鷹墜落事故三部作。完結巻である。
事故から27年の歳月が経った2012年になって、高齢の筆者が書き残したかったことは何だろう。
遺族の悲哀、警察や自衛隊の慟哭は既に全二作で書き尽くしている。
何故、今、御巣鷹なのか。
27年前、御巣鷹の尾根を抱える上野村は、静かな過疎の村だった。村人は生まれた村で結婚し、子を育て、老いていた。
筆者は、ノンフィクション・ノベルの形を借りて、空前の大事故に臨んだ村人たちの姿を丁寧に浮き彫りにしていく。
事故に直面し、陣頭指揮を執った元零戦パイロットの村長。
遺族に無償で宿を提供し、遺族に寄り添い、やがて墓守りとなっていく前科者の元極道。
機動隊を案内して道なき道を進んでいった消防団員、猟友会の人々。
そして、遺体の収容が終わった後も、遺族のために登山道を整え、霊園を建設し、それらを維持してきた人々。
確かに日航が資金を出してはいるが、遺族の心に寄り添って鎮魂を祈ってきたのは、村の人々だった。
何故、今、御巣鷹なのか。
風化させるまじ、という意図か。
それもあるだろう。
しかし、私が行間から感じたのは、静かな鎮魂の祈りと、癒しだった。
事故から27年。
毎日、御巣鷹の登山道を見回り、ごみを拾って道を整える、優しいひとがいる。
御巣鷹を訪れることができなくなった高齢の遺族のため、墓標を磨き、四季の移ろいを写真におさめて送り続ける優しいひとがいる。
そんな姿を伝えることで、筆者は3.11のあとに日本に出来た大きな傷を、癒したかったのではないだろうか。
当時幼稚園児だった自分が、この事故の報道を執拗に覚えているのは何故だろう。
ホバリングする空挺隊ヘリに収容される生存者の記録画像を、繰返し見たからだろうか。
それとも、「墜落遺体」を何度も読んできたからだろうか。
「墜落遺体」「墜落現場」に続く、御巣鷹墜落事故三部作。完結巻である。
事故から27年の歳月が経った2012年になって、高齢の筆者が書き残したかったことは何だろう。
遺族の悲哀、警察や自衛隊の慟哭は既に全二作で書き尽くしている。
何故、今、御巣鷹なのか。
27年前、御巣鷹の尾根を抱える上野村は、静かな過疎の村だった。村人は生まれた村で結婚し、子を育て、老いていた。
筆者は、ノンフィクション・ノベルの形を借りて、空前の大事故に臨んだ村人たちの姿を丁寧に浮き彫りにしていく。
事故に直面し、陣頭指揮を執った元零戦パイロットの村長。
遺族に無償で宿を提供し、遺族に寄り添い、やがて墓守りとなっていく前科者の元極道。
機動隊を案内して道なき道を進んでいった消防団員、猟友会の人々。
そして、遺体の収容が終わった後も、遺族のために登山道を整え、霊園を建設し、それらを維持してきた人々。
確かに日航が資金を出してはいるが、遺族の心に寄り添って鎮魂を祈ってきたのは、村の人々だった。
何故、今、御巣鷹なのか。
風化させるまじ、という意図か。
それもあるだろう。
しかし、私が行間から感じたのは、静かな鎮魂の祈りと、癒しだった。
事故から27年。
毎日、御巣鷹の登山道を見回り、ごみを拾って道を整える、優しいひとがいる。
御巣鷹を訪れることができなくなった高齢の遺族のため、墓標を磨き、四季の移ろいを写真におさめて送り続ける優しいひとがいる。
そんな姿を伝えることで、筆者は3.11のあとに日本に出来た大きな傷を、癒したかったのではないだろうか。
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色々世界がひっくり返って読書との距離を測り中.往きて還るかは神の味噌汁.「セミンゴの会」会員No1214.別名焼き粉とも.読書は背徳の蜜の味.毒を喰らわば根元まで.
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- 出版社:河出書房新社
- ページ数:200
- ISBN:9784309021454
- 発売日:2012年11月09日
- 価格:1680円
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