あかつきさん
レビュアー:
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誰もが、成長の過程で経験したことがあるだろう。
望んでいるものに、自分は必ずしも望まれるわけではないという絶望を。
彼は、音楽には選ばれなかった。
しかし、音楽は、ずっと彼と共に在ったのだ。
主人公は、一流高校に入り損ねた音高生。
音楽一家という恵まれた環境に育ち当たり前のように音楽を志したけれど、一流になるには、ほんの少しの努力と運と才能が足りない。
コドモの常として、勿論その事に本人は気付いていない。
語り手は大人になった彼で、その言葉の端々から彼が現在は音楽とは縁のない生活を送っていることや、高校時代の自分へ一種の哀れみと悔恨を抱いていることが垣間見える。
しかし、物語はそんな影を感じさせないような疾風怒濤の勢いで一人の少年の音楽高校の日々を語りだす。
音楽と、哲学と、恋と、友情の喜びと切なさに満ちた日々を。
誰もが、成長の過程で経験したことがあるだろう。
望んでいるものに、自分は必ずしも望まれるわけではないという絶望を。
(それは才能であったり進路であったり特定の人の友情や愛情であったりする)
そしてまた、それに気付いた後のやるせなさ、切なさ、苦しみを誰もが経験する。
それを乗り越えて、若しくはその感覚を鈍磨させて、人は大人になっていく。
「船に乗れ!」の「船」とは、「オーケストラ」のことだと思って読んでいた。最終巻の最後の数頁でニーチェの言葉だとわかる。
でも、そのラストより、私は大人になった主人公が二十数年ぶりにチェロを抱きかかえる番外編のラストシーンが好きだ。
彼は、音楽には選ばれなかった。
しかし、音楽は、ずっと彼と共に在ったのだ。
私の音楽についての記憶も、切ないものが多い。
楽器が弾けるという事は私の幼い虚栄心を満たしてくれたが、同時に同じ楽器を弾く姉との能力の差を嫌と言うほど思いしらせてもくれた。
唯一無二と思えた友人との架け橋も音楽であったが、その繋がりがちぎれた時、音楽は私にとって苦痛となった。
小さな町小さな社会で同じ楽器を弾いている以上顔を突き合わせないわけにはいかない。もう会わせる顔などないのに。
針のむしろのような2年の後、「受験」という音楽を辞める格好の理由が出来た。
寧ろ「受験」に逃げたと言うべきか。
しかし、受験が終わっても、私は楽器のケースを開けようとしなかった。
胼胝のように固かった指先は萎え、爪は指先まで伸びて鮮やかに彩られ、その指には指輪が嵌った。
そして気付いたときには、楽譜も読めず左手も右手も動かなくなっていた.
そうなって初めて、私は音楽から離れたことを悔やんだ。
しかし、もう、何も戻らなかった。
私も最近やっと、自分の楽器を自分の意思で触れるようになった。
音楽が好きだと、また純粋に思えるようになった。
主人公のように気が付けばよかった。
わたしが背を向けている間も、音楽は其処にあったのに。
音楽一家という恵まれた環境に育ち当たり前のように音楽を志したけれど、一流になるには、ほんの少しの努力と運と才能が足りない。
コドモの常として、勿論その事に本人は気付いていない。
語り手は大人になった彼で、その言葉の端々から彼が現在は音楽とは縁のない生活を送っていることや、高校時代の自分へ一種の哀れみと悔恨を抱いていることが垣間見える。
しかし、物語はそんな影を感じさせないような疾風怒濤の勢いで一人の少年の音楽高校の日々を語りだす。
音楽と、哲学と、恋と、友情の喜びと切なさに満ちた日々を。
誰もが、成長の過程で経験したことがあるだろう。
望んでいるものに、自分は必ずしも望まれるわけではないという絶望を。
(それは才能であったり進路であったり特定の人の友情や愛情であったりする)
そしてまた、それに気付いた後のやるせなさ、切なさ、苦しみを誰もが経験する。
それを乗り越えて、若しくはその感覚を鈍磨させて、人は大人になっていく。
「船に乗れ!」の「船」とは、「オーケストラ」のことだと思って読んでいた。最終巻の最後の数頁でニーチェの言葉だとわかる。
でも、そのラストより、私は大人になった主人公が二十数年ぶりにチェロを抱きかかえる番外編のラストシーンが好きだ。
彼は、音楽には選ばれなかった。
しかし、音楽は、ずっと彼と共に在ったのだ。
私の音楽についての記憶も、切ないものが多い。
楽器が弾けるという事は私の幼い虚栄心を満たしてくれたが、同時に同じ楽器を弾く姉との能力の差を嫌と言うほど思いしらせてもくれた。
唯一無二と思えた友人との架け橋も音楽であったが、その繋がりがちぎれた時、音楽は私にとって苦痛となった。
小さな町小さな社会で同じ楽器を弾いている以上顔を突き合わせないわけにはいかない。もう会わせる顔などないのに。
針のむしろのような2年の後、「受験」という音楽を辞める格好の理由が出来た。
寧ろ「受験」に逃げたと言うべきか。
しかし、受験が終わっても、私は楽器のケースを開けようとしなかった。
胼胝のように固かった指先は萎え、爪は指先まで伸びて鮮やかに彩られ、その指には指輪が嵌った。
そして気付いたときには、楽譜も読めず左手も右手も動かなくなっていた.
そうなって初めて、私は音楽から離れたことを悔やんだ。
しかし、もう、何も戻らなかった。
私も最近やっと、自分の楽器を自分の意思で触れるようになった。
音楽が好きだと、また純粋に思えるようになった。
主人公のように気が付けばよかった。
わたしが背を向けている間も、音楽は其処にあったのに。
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色々世界がひっくり返って読書との距離を測り中.往きて還るかは神の味噌汁.「セミンゴの会」会員No1214.別名焼き粉とも.読書は背徳の蜜の味.毒を喰らわば根元まで.
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この書評へのコメント
- 三太郎2017-08-04 07:09
一つの楽器を突き詰めようとする人はどこかストイックになるのでしょうね。それは解る気がします。でもいろんな楽器を渡り歩く人もいます。
僕のある友人は中学では金管楽器を、高校では僕と同じクラリネットを、大学ではチェロを演奏していて、今は弦楽器工房を営んでいます。
僕自身は高校でクラリネットに2年間熱中して、1年ほどのブランクの後、久しぶりに吹いたら口の周りの筋肉がすっかり弱っていて、もう以前の音色は出せませんでした。そこで大学ではファゴットに挑戦しましたが、忙しくなって1年で辞めてしまいました。ファゴットが僕には合っていたかもしれませんが、個人で楽しむには特殊な楽器過ぎました。
楽器はまともな音が出るまでの1年間が楽しかったかなあ。今ではCDで聴くだけになっていますが。クリックすると、GOOD!と言っているユーザーの一覧を表示します。 
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