hackerさん
レビュアー:
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「人形は作られたその瞬間、仕上げをされたその瞬間から、もう変わることもなければ、大きくなることもないのです」(本書より) 天満博士とアトムのことを思い出してしまいました。
本書のことを知った時、イプセンの有名な『人形の家』と同じタイトルで、子ども向けの本を書くとは、何と大胆なと思いましたが、実際には本書の原題は The Doll's House であるのに対し、イプセンの方の英語の題は A Doll's House となっていて、元のノルウェー語でも不定冠詞が使われていますから、同じというわけではありません。先に書いた、アニー・エルノーの『ある女』のレビューでも触れましたが、定冠詞と不定冠詞とでは意味が異なってしまうので、本書に関しても、そこは留意しておく必要がありそうです。
イギリスの作家ルーマー・ゴッテン(1907-1998)が1947年に刊行した本書は、彼女が最初に書いた児童文学とのことです。本書の中心キャラクタは、本物の人形たちです。その中で、主役と言えるのは、上等な木で作られてはいるものの、昔は一文で(要するに、とっても安価に)売られていた小さなオランダ人形の、トチー・プランタガネットです。この名前は、彼女の現在の持ち主であるエミリーとシャーロットの姉妹が与えたものでした。彼女は百年も生きていて、エミリーとシャーロットのひいおばあさん姉妹の頃から、この人間一族と一緒でした。トチーには、お父さん役のプランタガネットさんと、「ことりちゃん」とも呼ばれているお母さん役のプランタガネット奥さん、それに弟役のりんごちゃん、飼い犬役のかがりがいて、みんなで仲良く暮らしていました。もちろん、人形ですから、本物の親子や姉弟ではなくて、そういう役を演じているだけなのですが、それは皆承知の決まりごとでした。もちろん、誰もそんなことは言ったりしません。ちょうど、アトムの家族のように。
ただ、皆にも不満はありました。それは、自分たちの家、つまり人形の家がないことです。よせばいいのに、トチーが大昔住んでいた立派な人形の家のことを話したものですから、皆は余計不満が高まります。ところが、ある秋の日、姉妹の大おばあさんが亡くなり、その遺品を整理をしていると出てきた、トチーが住んでいた人形の家が、エミリーとシャーロット姉妹のところへ送られてきます。もちろん、いろいろなものがボロボロになっていましたし、汚れてはいましたが、姉妹は手を入れて、ぴかぴかの人形の家にしてくれます。人形たちは大喜びでした。
と、こういう風に書くと、人形たちと人間姉妹の心温まるお話かと思われるでしょう。とんでもない!この話は、この後、トチーもよく知っている、と言うか、昔同じ人形の家に住んでいたマーチペーンというきれいで高慢ちきな人形が登場し、エミリーのお気に入りになって、次第に人形の家の自分の居場所(=縄張り)を広げていくという展開を見せるのです。
そして、ちょっと驚くのが、マーチペーンが他の人形たちへ見せる底意地の悪い優越感の描写と、トチーはさすがに違うのですが、人形なので何もできないでそれを受け入れているプランタガネット家の描写です。要するに、本書の人形たちは、下克上など思いもよらないのです。そう考えると、英国女王陛下(出版年からすると、昨年亡くなったエリザベス女王の母親のエリザベス王妃のことだと思います)ありがたや、という描写も途中にあって、それもどうもあまり気に入りません。嫌なことがあっても、我慢していれば、最後は良くなるから、我慢しなさい、という展開は、私の好みではないのです。それと、マーチペーンは、結局人形の家から追い出されるのですが、本人はもっと良い場所(と思っている)に収まって、満足しているという終わり方もどうなんでしょうか。この手の話は勧善懲悪が大原則とは言いませんが、これでは、お子様たちのためにならないと思うのですが...。更に、冒頭に述べた定冠詞の原題からすると、本書の人形の家は、ある家庭の話というわけではなく、もっと普遍的な意味を持っているはずで、それも余計気になります。
というわけで、好きになれない作品でした。ただし、この作者は、ヒマラヤに現地の子供たちの教育のためにイギリスかは派遣された尼僧たちの性的欲求不満と挫折を描いた映画『黒水仙』(1946年)の原作者なので、もしかしたら児童文学というのは本領ではなかったのかもしれません。本書も、実は、裏目読みをしようと思えば、マーチペーンが最後に収まる場所は人形が本来居るべき場所でない等、相当できるのですが、児童文学でこれをしても仕方ないと思います。まぁ、これは、ひねた老人の個人的見解です。可愛らしいアンティーク人形がたくさん登場する、この本が好きな方も当然いらっしゃるであろうことは理解します。
イギリスの作家ルーマー・ゴッテン(1907-1998)が1947年に刊行した本書は、彼女が最初に書いた児童文学とのことです。本書の中心キャラクタは、本物の人形たちです。その中で、主役と言えるのは、上等な木で作られてはいるものの、昔は一文で(要するに、とっても安価に)売られていた小さなオランダ人形の、トチー・プランタガネットです。この名前は、彼女の現在の持ち主であるエミリーとシャーロットの姉妹が与えたものでした。彼女は百年も生きていて、エミリーとシャーロットのひいおばあさん姉妹の頃から、この人間一族と一緒でした。トチーには、お父さん役のプランタガネットさんと、「ことりちゃん」とも呼ばれているお母さん役のプランタガネット奥さん、それに弟役のりんごちゃん、飼い犬役のかがりがいて、みんなで仲良く暮らしていました。もちろん、人形ですから、本物の親子や姉弟ではなくて、そういう役を演じているだけなのですが、それは皆承知の決まりごとでした。もちろん、誰もそんなことは言ったりしません。ちょうど、アトムの家族のように。
ただ、皆にも不満はありました。それは、自分たちの家、つまり人形の家がないことです。よせばいいのに、トチーが大昔住んでいた立派な人形の家のことを話したものですから、皆は余計不満が高まります。ところが、ある秋の日、姉妹の大おばあさんが亡くなり、その遺品を整理をしていると出てきた、トチーが住んでいた人形の家が、エミリーとシャーロット姉妹のところへ送られてきます。もちろん、いろいろなものがボロボロになっていましたし、汚れてはいましたが、姉妹は手を入れて、ぴかぴかの人形の家にしてくれます。人形たちは大喜びでした。
と、こういう風に書くと、人形たちと人間姉妹の心温まるお話かと思われるでしょう。とんでもない!この話は、この後、トチーもよく知っている、と言うか、昔同じ人形の家に住んでいたマーチペーンというきれいで高慢ちきな人形が登場し、エミリーのお気に入りになって、次第に人形の家の自分の居場所(=縄張り)を広げていくという展開を見せるのです。
そして、ちょっと驚くのが、マーチペーンが他の人形たちへ見せる底意地の悪い優越感の描写と、トチーはさすがに違うのですが、人形なので何もできないでそれを受け入れているプランタガネット家の描写です。要するに、本書の人形たちは、下克上など思いもよらないのです。そう考えると、英国女王陛下(出版年からすると、昨年亡くなったエリザベス女王の母親のエリザベス王妃のことだと思います)ありがたや、という描写も途中にあって、それもどうもあまり気に入りません。嫌なことがあっても、我慢していれば、最後は良くなるから、我慢しなさい、という展開は、私の好みではないのです。それと、マーチペーンは、結局人形の家から追い出されるのですが、本人はもっと良い場所(と思っている)に収まって、満足しているという終わり方もどうなんでしょうか。この手の話は勧善懲悪が大原則とは言いませんが、これでは、お子様たちのためにならないと思うのですが...。更に、冒頭に述べた定冠詞の原題からすると、本書の人形の家は、ある家庭の話というわけではなく、もっと普遍的な意味を持っているはずで、それも余計気になります。
というわけで、好きになれない作品でした。ただし、この作者は、ヒマラヤに現地の子供たちの教育のためにイギリスかは派遣された尼僧たちの性的欲求不満と挫折を描いた映画『黒水仙』(1946年)の原作者なので、もしかしたら児童文学というのは本領ではなかったのかもしれません。本書も、実は、裏目読みをしようと思えば、マーチペーンが最後に収まる場所は人形が本来居るべき場所でない等、相当できるのですが、児童文学でこれをしても仕方ないと思います。まぁ、これは、ひねた老人の個人的見解です。可愛らしいアンティーク人形がたくさん登場する、この本が好きな方も当然いらっしゃるであろうことは理解します。
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「本職」は、本というより映画です。
本を読んでいても、映画好きの視点から、内容を見ていることが多いようです。
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- 出版社:岩波書店
- ページ数:235
- ISBN:9784001140675
- 発売日:2000年10月01日
- 価格:672円
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