ぽんきちさん
レビュアー:
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神も仏もありなのか? 神と仏はどちらが「偉い」のか?
日本人の宗教観というと、例えば年末年始では、クリスマスを祝い、除夜の鐘を突き、初詣に行くというような、ある種、節操がないというか、いや、それは宗教とは違うんじゃ?というような、どこかふわりとしたところがある。いろんなものを許容しているといえば聞こえはよいが、いい加減といえばいい加減である(いや、もちろん、何らかの宗教に対して、強い信仰を持っている人もいるとは思うが)。
今年は大河ドラマで紫式部が取り上げられていることもあり、掲示板企画にお邪魔して、源氏物語を読み進めているのだが、ここでも伊勢の斎宮として仕えたにもかかわらず「怠っていた仏勤めを」するために尼になりたいと思う例などが出てきていて、え、なになに? 神様にお仕えしただけじゃダメなの?とよくわからなくなる。
それとはまた違うのかもしれないが、と思いつつ、そういえば「神仏習合」ってどういうものだっけ?と、目についた本書を読んでみた。
本書は平将門の乱(935年)から書き起こす。この時、将門に帝位を授けるとする巫女の託宣では「八幡大菩薩」と「菅原道真」の名が出てくる。八幡大菩薩とは応神天皇を指すのだが、しかし、名称からすると菩薩の形をした八幡神ということになる。菅原道真は、この時代には帝釈天の弟子の観自在天神に転生したと考えられていたという。
儀式の際に演奏された音楽は雅楽で仏事の音楽だが、儀式そのものを行った巫女は神祇祭祀に仕えるもの。つまりは神事と仏事の組み合わせである。
この「神仏習合」が、どこまでさかのぼるかと言えば、奈良時代後半であるようだ。
伊勢国の多度山の神が奈良時代後半(763年)、人に乗り移って「長年、この地を治めてきたが、神道からはずれて重い罪業に苦しめられ、神道の報いを受けている。神の身を離れ、仏教に帰依したい」という。こうして、神宮寺が建立され、神が仏になる。
いや、それはどういうこと?という感じだが、そうして仏になりたいと願う神はこれだけではなく、各地の神々が似たような願いを訴え、あちこちに神宮寺ができる。
こうした神宮寺にも2つのタイプがあったようで、1つは鹿島や伊勢など、もともと国家守護の役割を持っていたもの、そしてもう一方は土地生え抜きのタイプ(前出の多度山など)で、これらが仏教を志向した背景や理由はやや異なるようなのだが、いずれにしてもこれは大きな流れとなる。
この8世紀後半から9世紀後半というのは律令国家の基盤である社会統合の在り方が変わりつつある時代でもあった。
神を祀り、共同体全体として栄えていくはずが、時代が下るにつれて貧富の差も出てくる。上に立つ富める者には罪の意識も生じるが、かといって逆戻りもできない。皆で行う祭祀の意味は薄れる。というようなところに仏教の救いの思想が入り込み、ということのようである。
さらには、密教の呪術的な修法や怨霊信仰、ケガレ忌避観念、浄土信仰などが絡んで変遷し、平安末や鎌倉初期以降には、本地垂迹説と中世日本紀が登場する。本地垂迹は菩薩や諸天が神と化して跡を日本各地に垂れて現れることで、日本各地の神々は仏教の神仏が仮の姿を取って現れたと理解する。中世日本紀は『古事記』『日本書紀』の神話や神々を本地垂迹で説明しようとするものである。
・・・それで結局、最初の疑問は解けたのか?と言われると依然よくわからないのだが。
つまり、歴史的背景があって、神道と仏教が混じりあい、押し合って、その時々の形をとってきた、というところだろうか。実際、明治期には廃仏毀釈などという動きもあるわけで。
時代時代の人々が心の救いを求め、それに合った宗教の形が生まれてきた、ということかもしれない。
相変わらず、よくわからないけど、ひとまず、先への宿題としておく。
今年は大河ドラマで紫式部が取り上げられていることもあり、掲示板企画にお邪魔して、源氏物語を読み進めているのだが、ここでも伊勢の斎宮として仕えたにもかかわらず「怠っていた仏勤めを」するために尼になりたいと思う例などが出てきていて、え、なになに? 神様にお仕えしただけじゃダメなの?とよくわからなくなる。
それとはまた違うのかもしれないが、と思いつつ、そういえば「神仏習合」ってどういうものだっけ?と、目についた本書を読んでみた。
本書は平将門の乱(935年)から書き起こす。この時、将門に帝位を授けるとする巫女の託宣では「八幡大菩薩」と「菅原道真」の名が出てくる。八幡大菩薩とは応神天皇を指すのだが、しかし、名称からすると菩薩の形をした八幡神ということになる。菅原道真は、この時代には帝釈天の弟子の観自在天神に転生したと考えられていたという。
儀式の際に演奏された音楽は雅楽で仏事の音楽だが、儀式そのものを行った巫女は神祇祭祀に仕えるもの。つまりは神事と仏事の組み合わせである。
この「神仏習合」が、どこまでさかのぼるかと言えば、奈良時代後半であるようだ。
伊勢国の多度山の神が奈良時代後半(763年)、人に乗り移って「長年、この地を治めてきたが、神道からはずれて重い罪業に苦しめられ、神道の報いを受けている。神の身を離れ、仏教に帰依したい」という。こうして、神宮寺が建立され、神が仏になる。
いや、それはどういうこと?という感じだが、そうして仏になりたいと願う神はこれだけではなく、各地の神々が似たような願いを訴え、あちこちに神宮寺ができる。
こうした神宮寺にも2つのタイプがあったようで、1つは鹿島や伊勢など、もともと国家守護の役割を持っていたもの、そしてもう一方は土地生え抜きのタイプ(前出の多度山など)で、これらが仏教を志向した背景や理由はやや異なるようなのだが、いずれにしてもこれは大きな流れとなる。
この8世紀後半から9世紀後半というのは律令国家の基盤である社会統合の在り方が変わりつつある時代でもあった。
神を祀り、共同体全体として栄えていくはずが、時代が下るにつれて貧富の差も出てくる。上に立つ富める者には罪の意識も生じるが、かといって逆戻りもできない。皆で行う祭祀の意味は薄れる。というようなところに仏教の救いの思想が入り込み、ということのようである。
さらには、密教の呪術的な修法や怨霊信仰、ケガレ忌避観念、浄土信仰などが絡んで変遷し、平安末や鎌倉初期以降には、本地垂迹説と中世日本紀が登場する。本地垂迹は菩薩や諸天が神と化して跡を日本各地に垂れて現れることで、日本各地の神々は仏教の神仏が仮の姿を取って現れたと理解する。中世日本紀は『古事記』『日本書紀』の神話や神々を本地垂迹で説明しようとするものである。
・・・それで結局、最初の疑問は解けたのか?と言われると依然よくわからないのだが。
つまり、歴史的背景があって、神道と仏教が混じりあい、押し合って、その時々の形をとってきた、というところだろうか。実際、明治期には廃仏毀釈などという動きもあるわけで。
時代時代の人々が心の救いを求め、それに合った宗教の形が生まれてきた、ということかもしれない。
相変わらず、よくわからないけど、ひとまず、先への宿題としておく。
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分子生物学・生化学周辺の実務翻訳をしています。
本の大海を漂流中。
日々是好日。どんな本との出会いも素敵だ。
あちらこちらとつまみ食いの読書ですが、点が線に、線が面になっていくといいなと思っています。
「実感」を求めて読書しているように思います。
赤柴♀(もも)は3代目。
この夏、有精卵からヒヨコ4羽を孵化させました。そろそろ大雛かな。♂x2、♀x2。ニワトリは割と人に懐くものらしいですが、今のところ、懐く気配はありませんw
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- 出版社:岩波書店
- ページ数:224
- ISBN:9784004304531
- 発売日:1996年07月01日
- 価格:777円
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