マーブルさん
レビュアー:
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梶井を読み続けるうちに世界が違って見えてくる。
病という眼鏡だろうか。
それとも死?死の香り?
内へ内へと向かって、肥大していく空想する魂。
時に、外へ向かっても、見つめるのは小さきもの。あるいは巨きすぎるもの。
人へは向かわず。
恥じらひがちな魂が、人の顔を直視できずに目を逸らす。
目を凝らすのは遠い雲。翳る日差し。小さき生き物。
暗い闇。
闇は落ち着く。
誰にも見咎められず見つめることができる。
清冽過ぎる描写は、生活に疲れた者には掴めぬもの。
非生産の鋭さ。
生活に、まだ足を取られぬ若さ。
生活から落伍してしまった弱さ。
耳を塞いで周囲の音の意味を抹消する。
他人の拒絶。現実からの逃避。
一作品ごとに、作者の体調の変化を気遣う気持ちが湧いてくる。
調子が悪そうだ。
少し気分が良いのか。
悪化してきているのでは。
これはもはや諦めなのか。
正直な魂が紡ぐ言葉が、当人の身体の具合まで語りだす。
近づく死への恐れ。研ぎ澄まされていく感性。
そこに漂う死の香りは、腐臭ではなく、親しいものですらある。
青春時代。身体が弱く、内向的な者なら誰しも、死を美化し、幻想を抱く。
青年期を過ぎた我々の身体は、少しずつ死への歩みを進め、次第に幻想は現実に姿を変え、その輪郭を現してくる。
アスファルトのひび割れがいつもより目立って見える。
歩道脇のフェンスはこんなにも長く、曲がって続いていたか。
梶井を読み続けるうちに世界が違って見えてくる。
若き日に見ていたように。
歳とともに失った眼鏡を取り戻したか。
死を身近に感じさせる繊細な観察と描写は、賢治を思い出させる。
もちろん似ていない部分もある。暗さすらも異なる色をしている。
生まれなのか。環境なのか。
『檸檬』があまりにも有名で、しかも何だか意味が分からなくて、避けて通っていた梶井。てっきり奇をてらった作風なのだと思い込んでいたが、読んでみると何とも親しみが沸いてくる。若い頃に読んでいればもっと共感できただろうに。何故もっと早く出会わなかったのかと残念に思う。
主人公の視線がいつの間にかぴったりと自分の気持ちと重なる。流れる時間が共有される。沈む夕陽。刻々と暗くなっていく山の木々。肌をなでる空気が冷えていく。
身動きせずに。身動きできずに。
頭の中で考えることばかりで、何かを為す勇気もなかったあの頃。
人との間に作った壁を、鎧のように弱き身体に纏い。
痩せ我慢の孤独を、美化して棚に並べ。
死に寄り添いながら書き続けたかのような梶井が、死を前にして書き上げた作品が、思いの外明るい色調であることにほっとする。
【読了日2021年3月13日】
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文学作品、ミステリ、SF、時代小説とあまりジャンルにこだわらずに読んでいますが、最近のものより古い作品を選びがちです。
2019年以降、小説の比率が下がって、半分ぐらいは学術的な本を読むようになりました。哲学、心理学、文化人類学、民俗学、生物学、科学、数学、歴史等々こちらもジャンルを絞りきれません。おまけに読む速度も落ちる一方です。
2022年献本以外、評価の星をつけるのをやめることにしました。自身いくつをつけるか迷うことも多く、また評価基準は人それぞれ、良さは書評の内容でご判断いただければと思います。
プロフィール画像は自作の切り絵です。不定期に替えていきます。飽きっぽくてすみません。
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- 出版社:新潮社
- ページ数:350
- ISBN:9784101096018
- 発売日:2003年10月01日
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