
そして哀愁亭味楽さんの読書会#棚マル 応援企画!みんなの推薦本リストを制覇しよう!への参加書評でもあります。
ピダハンとはアマゾン川の支流の支流、マイシ川の岸辺に住む少数民族の名称である。彼らは、当地に固有の動物の名称に相当する名詞を持たない(他の部族から名詞を借用している)ことから、別の地(著者によれば約5百年前にペルー)から移動してきた人々である。まとまった睡眠を取らない、便利なものであってもその物に拘らない、ちょっと成長した子供はもう大人として扱い積極的なしつけをしない、など特異な習慣を持つ民族である。著者は、SIL(夏季言語協会)から派遣された言語学者であり、かつキリスト教の伝道師であった。SILの伝道師は聖書を現地語に翻訳することで感化することを目指し説教や洗礼などはしない。著者は、時に中断して文明圏に居を置くことがあっても、ピダハンの村に家族共々生活の拠点を置いてピダハン語を研究した。
ピダハン語の第一の特徴は音素が少ないことで母音3子音8である。その代り声調(中国語のような抑揚)、口笛語り、ハミング語り、音楽語り、叫び語り、それに通常の語りなど五つの語りがある(が、音素が少ないので単語が長くなる傾向はある)。また、挨拶や感謝を示す言葉がない、数や色など属性を一般化したような言葉がないと言う点も珍しい。文化的にも創造神話や儀式が存在せず、非常に特異である(その代り精霊の存在は認められている)。彼らの文化は、直接経験を元にしていて抽象化を嫌う。これが言語にも多大な影響を及ぼしていると言うのが著者の意見である。
・前述のとおり抽象的な概念がない。
・親族を示す語彙も親子兄弟くらいしかない(短命な彼らが認識できる直系、傍系親族は少ない)。
・挨拶や感謝など「交感的言語使用」の語彙がない
・節や等位接続など文の入れ子構造がない
・その代り動詞に最大16もの接尾辞があり、接尾辞の変化で6万通りの変化形が存在しえる。
チョムスキーの理論(生成文法、ピンカーの言う「言語を生み出す本能」)では、「互いに似ている」とされる世界中の語には、上記の中でも表現を多様化する有用な「節」の概念は必ずあるとされている。この理論を否定する有力な反証がピダハン語である。もしも文化が文法に大きな影響を及ぼすことが出来ると言う著者の考えが正しければ、文法は人間の遺伝子に組み込まれていて、言語による違いは殆ど取るに足らないと言う理論は決定的に間違っていたことになる。著者は他の多くの研究者や自身の成果から、動詞と名詞さえあれば文法の基本的な骨格は自然と出来上がるのではないかと確信するようになった。動詞の意味が成立するためには、いくつかの名詞が必要になる。それらの名詞と動詞が限られた順序で並べば、簡単な文が出来る。これが文法の根幹で、それ以外の様々な配列は文化や文脈、動詞や名詞の修飾に応じて決まる。文法は他にも要素があるが、文法を構成する必須の要件は考えられてきたほど多くない。そうしてみると、文法が人間の遺伝子の特定の位置を占める必要などない。
英語は主語をはっきり言うが、日本語は主語が曖昧だと言う話は何度も聞いたことがある。それからすると文化と言語の密接な関係を力説されても、自分には今更のように思うが、第二部を読むと現在の言語学の主流はそうではないらしい。本書はチョムスキー流の研究室での言語検証ではダメで、最新の言語学は、文化の理解とそのための実地検証の重要性を説いた本の様に読める。確かに、冒頭に本書は実地検証を元にした科学であると書かれている。本書はピダハン語や文化の話だけではなく、ピダハン村に行く交通の不便さ、家族が疫病になり必死の思いで文明圏までたどり着いて医者にかかったこと、ピダハン族の居留地の保護策をブラジル政府に申し入れてようやく政策化の緒に就いたことなどが語られる。これらは本旨からすれば脱線の様に思えるが、実地検証にはこれだけ苦労が伴うだろう、と言うことを主張したいのではないかと思う。
さてピダハン文化だが、西洋文明の「畏れ、気をもみながら宇宙を見上げ、自分たちは宇宙の全てを理解できると信じること」と対極にある彼らの直接経験の文化である「人生をあるがままに楽しみ、神や真実を探求する空しさを理解していること」は著者をして聖書の信仰を捨てさせた様である。彼らは彼らなりに疫病や食糧事情など心配ごとは尽きない筈だが、著者の知る限り「心配する」と言う語彙そのものがピダハン語にはなく、幸福度はかなり高い人たちの様だ。こういう文明になると代償として進歩などの精神は育たないらしいが、果たしてどちらが幸福なのだろうか。
チョムスキーの言語理論の本は、自分は読んだことがない。本書ではそれを知らなくてもわかるように書かれてはいるが、後半をより深く理解するためには、この手の本を一度読んでおくと良さそうに感じる。





神奈川県に住むサラリーマン(技術者)でしたが24年2月に会社を退職して今は無職です。
読書歴は大学の頃に遡ります。粗筋や感想をメモするようになりましたのはここ10年程ですので、若い頃に読んだ作品を再読した投稿が多いです。元々海外純文学と推理小説、そして海外の歴史小説が自分の好きな分野でした。しかし、最近は、文明論、科学ノンフィクション、音楽などにも興味が広がってきました。投稿するからには評価出来ない作品もきっちりと読もうと心掛けています。どうかよろしくお願い致します。
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この書評へのコメント
- ゆうちゃん2017-09-27 21:41
因みに精霊は、直接経験が出来るのか、と言う突っ込みがあるかも知れないが、直接経験とはそのように感じ取れれば良い訳で、枝が風で揺れたことを多くのピダハンが「精霊が揺らした」と「直接経験」すれば、精霊は存在するも同じである。精霊については多少わかりにくいかも知れないが、そういった点を強調するためか本篇の書き起こしでまず触れられている。
なお、ピダハンは肌の色の濃さが血液を有する証拠と考え、精霊は血液を持たない(非人間)と考えられている。これからすると殆ど見たことのない白人は非人間と考えられてもおかしくない。おまけに短命な彼らの比較して、アメリカ人は長命である。「おいダン、アメリカ人は死ぬのか?」と聞かれ、直接経験を原則とする彼らから「じゃあ証拠を見せろ」と言われなかったことに著者は思わずホッとしたと言う記述もあった。クリックすると、GOOD!と言っているユーザーの一覧を表示します。 - Toshiyuki Oda2017-09-27 22:21
ゆうちゃんさんのレビューを拝見して、チョムスキーの生成文法を読んでみたいと思いました。ピダハンがいかに特別なのか。YouTubeでピダハン族の人(普通にシャツを着ていた)がしゃべっている映像をみましたが、本当に少ない母音、子音で、短い文章を繰り返しているのが印象的でした。
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- 出版社:みすず書房
- ページ数:416
- ISBN:9784622076537
- 発売日:2012年03月23日
- 価格:3570円
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