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紅い芥子粒
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その壺は、深い空の色をしていて、うっとりするほど美しい。
新聞に大きく広告が出ていたので、迷わずkindle版をダウンロードした。
昭和50年ごろの小説。

京都の窯元で焼かれた青磁の壺が、人の手から手へと渡り、そこの人間模様が綴られる。「壺は見ていた」というほどではなく、さりげなく、たまたまそこに青い壺があった、という感じで。

その壺は、深い空の色をしていて、見るものをひきつけずにはおかない。
京都で生まれた壺は、東京のデパートの美術品展示コーナーに展示される。

最初に買った人は、退職した夫の元上司へのお礼にするつもりだった。
昭和50年ごろの話だから、定年は55歳だった。夫は、退職してから、ごろごろ毎日家にいる。妻は、夫のために三食つくって給仕するのが当たり前の時代。妻のうっぷんはたまるばかり。おそろしいことに、夫の言動は近ごろ怪しく、なんだかボケはじめているみたい……
これは、第一話で、こんなふうに十三話まであり、家庭の、夫婦の、親子の、そして、老いの現実が語られていく。

見るものをひきつけ、高級感あふれる美しい壺なのに、それを手にした人が一生の宝にしようとか、家宝にしようとか、思わないのはなぜだろう。
贈られた人は、贈り主が気に食わないから誰かにやってしまえという。もらった人は、高級そうな壺だから、母親の目の手術をしてくれた病院の先生のお礼に差し上げようとする。お礼にもらった人は、酔ってバーに置き忘れる……
見た人はだれもが「美しい」「高級そう」「年代物にちがいない」と、その価値をみとめるのに、なんでこんなぞんざいな扱いを受けるのか。

盗まれたり、弘法さまの縁日で二千円で売られたり……。
果ては、修道女とともに海を渡りスペインまで行き、バルセロナの骨董屋の隅におさまる。そこで日本から来た古美術鑑定家の目に留まり、めでたく帰国。その鑑定家は、壺の作者に得意の絶頂で見せて、<これは名品だ、南宋浙江省の竜泉窯だ、>と主張する。壺の作者が、<いえそれはわたしが焼いたものです>と、控え目に反論すると、鑑定家は、<無礼者帰れ>と、激怒する。

青い壺が「南宋浙江省の竜泉窯」として博物館や美術館に展示されたしても、青い壺にはなんの罪も責任もない。
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紅い芥子粒
紅い芥子粒 さん本が好き!1級(書評数:560 件)

読書は、登山のようなものだと思っています。読み終わるまでが上り、考えて感想や書評を書き終えるまでが下り。頂上からどんな景色が見られるか、ワクワクしながら読書という登山を楽しんでいます。

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