ゆうちゃんさん
レビュアー:
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二つの塔の上巻は、アンデュインの大河の西側の動向。モレアの坑道から奇跡の生還を遂げたガンダルフが、ローハン王国と木の牧人エント族の力を借りて、サウロン方に与したイセンガルドのサルーマンを退治する。

(昔語り)
イセンガルト(映画ではアイゼンガルト)は、ゴンドール王国最繁期に建てられた西の守りの要塞。オルサンクと呼ばれる塔が建っており、今は白の賢者サルーマンの拠点となっている。ローハンは、ゴンドール王国が南方の野蛮人と行った戦争に加勢してくれた北方人の青年セオルに割譲した歴史ある辺境国。騎馬国とされる
(物語)
第一部の最期で、旅の仲間は、モルドールに旅立つフロド、サム、サルーマンの手先のオーク鬼にさらわれたメリーとピピン、それを追跡するアラゴルン、レゴラス、ギムリの三手に別れてしまった。ボロミアは、メリーとピピンを庇って戦死した。
メリー、ピピンがイセンガルドに連行される途中、オーク鬼はローハンの騎馬団に遭遇し、殲滅された。メリーらは闘いの最中に捕縛から逃れ、ファンゴルンの森に逃げ込み、木の牧人、巨人のエント族に出会う。アラゴルンらは、指輪はフロド達に任せ、メリーとピピンを追う決心をした。途中、ホビットをさらったオーク鬼らを殲滅したローハンの騎士団に会う。軍団長はエオメルでローハン王セオデンの甥であった。彼らから馬を借り、ホビットらの跡を付けファンゴルンの森に達する。そこで出会ったのがモレアの坑道、カサド・デュムの戦いから奇跡の生還を遂げたガンダルフである。サルーマンは、ローハン攻めを画策しており、ガンダルフの提案で、アラゴルンらはローハン王セオデンに会いに行くことにした。王の側近で、サルーマンの手先、王の気力を殺いでいたグリムを追い出し、王をサルーマンとの闘いに駆り立てる。ヘルム峡谷で敵を迎え撃ち、撃破した勢いでイセンガルドに向かう。しかし、イセンガルドは既に廃墟で、メリーとピピンが出迎えていた。サルーマンの最近の行動は、エント族の怒りを買い、昨晩の彼らの攻撃でイセンガルドは徹底的に破壊されたのである。力を失ったサルーマンはガンダルフによってイセンガルドに監禁され、エント族の監視を受けることになった。また、エント族の加勢はヘルム峡谷の戦いにも貢献していたことがわかる。勝利した一行は、ローハンの本拠エドラスに向かった。
(映画との差異)
二つの塔の原作は、上巻にメリー、ピピン、アラゴルンら大河アンデュインの西側での行動が、下巻にフロドとサムの大河アンデュインの東側での行動が描かれている。華々しい合戦場面がある上巻に比して、下巻のフロドたちの旅路はいかにも地味であり、映画では上下巻を交互に描いている(映画「二つの塔」の冒頭は、下巻の最初の方の内容である)。話が後半に行く程、原作の差異が出て来る。例えば、映画では、ヘルム峡谷に向かう途中でアラゴルンがオークとの戦闘で一時的に行方不明になる逸話がある(原作にはそういう話はない)。原作では、ヘルム峡谷には王と兵士のみが駆けつけ、民は王の姪エオウィン姫が率いて馬鍬谷に避難することになっているが、映画では、民も姫も王に同行してヘルム峡谷に行くことになっている。実はヘルム峡谷は、エドラスから見て敵方のイセンガルドにより近い場所にあり、民衆をその様な場所に連れて行くのは戦略としてはいささかおかしい。映画では、エオウィン王に追い出されたグリマはサルーマンの許に駆け付け、ヘルム峡谷の攻撃について、あれこれ助言しているが、原作ではグリマがイセンガルドに到着したのは、エント族に破壊された後となっている。裂け谷からエルフの援軍が駆けつけてくるが、映画ではヘルム峡谷の合戦の前、原作ではその後、「王の帰還」のミナス・ティリスの合戦に備えて、となっている。映画のエント族の寄合の結論は、イセンガルト攻撃はしないことになっている(が、その後、木がサルーマンによって伐採された惨状を見て木の髭が怒り出して、エント族のイセンガルド攻撃が始まった)。原作ではあっさり寄合で攻撃が決まっている。また、イセンガルトの戦後処理の場面は、映画では、「王の帰還」の方に組み込まれていて(つまり映画の王の帰還は、二つの塔の後半を含んでいる)、その分ヘルム峡谷の戦いを盛った感じがする。映画では、ヘルム峡谷にガンダルフが連れてきた援軍は、追放されていたエオメル率いるローハン軍勢だが、原作ではエント族の一部が援軍に駆け付けている。また、映画ではヘルム峡谷の戦いの後に、首都エドラスで勝利の宴が催されているが、原作にそのような描写がない。
映画では、エオウィン姫に会って以降、アラゴルンが度々エルフの姫アルウェン(裂け谷領主エルロンドの娘)との仲を回想する場面がある。フロドが目的を達成すればエルフは没落し、人間の時代になると予言されているが、人間には寿命と言う制約がある。最終巻の書評で触れたいが、これは物語の性質を決める重要な点であり、映画製作者がトールキンの世界観を実現しようとした試みではないかと思う。
フロドが別行動をとったのは偶然の要素が大きいが、冥王サウロンは指輪の持ち主の姓がバギンズだと言うことを知っているだけで、バギンズがどのホビットなのか、までは知らない。旅の仲間が分裂し、ホビットが二手に分かれたことで、冥王はあらぬ誤解をし、全力でゴンドール王国を攻めることになる。これが本巻の最も重要なポイントである。
イセンガルト(映画ではアイゼンガルト)は、ゴンドール王国最繁期に建てられた西の守りの要塞。オルサンクと呼ばれる塔が建っており、今は白の賢者サルーマンの拠点となっている。ローハンは、ゴンドール王国が南方の野蛮人と行った戦争に加勢してくれた北方人の青年セオルに割譲した歴史ある辺境国。騎馬国とされる
(物語)
第一部の最期で、旅の仲間は、モルドールに旅立つフロド、サム、サルーマンの手先のオーク鬼にさらわれたメリーとピピン、それを追跡するアラゴルン、レゴラス、ギムリの三手に別れてしまった。ボロミアは、メリーとピピンを庇って戦死した。
メリー、ピピンがイセンガルドに連行される途中、オーク鬼はローハンの騎馬団に遭遇し、殲滅された。メリーらは闘いの最中に捕縛から逃れ、ファンゴルンの森に逃げ込み、木の牧人、巨人のエント族に出会う。アラゴルンらは、指輪はフロド達に任せ、メリーとピピンを追う決心をした。途中、ホビットをさらったオーク鬼らを殲滅したローハンの騎士団に会う。軍団長はエオメルでローハン王セオデンの甥であった。彼らから馬を借り、ホビットらの跡を付けファンゴルンの森に達する。そこで出会ったのがモレアの坑道、カサド・デュムの戦いから奇跡の生還を遂げたガンダルフである。サルーマンは、ローハン攻めを画策しており、ガンダルフの提案で、アラゴルンらはローハン王セオデンに会いに行くことにした。王の側近で、サルーマンの手先、王の気力を殺いでいたグリムを追い出し、王をサルーマンとの闘いに駆り立てる。ヘルム峡谷で敵を迎え撃ち、撃破した勢いでイセンガルドに向かう。しかし、イセンガルドは既に廃墟で、メリーとピピンが出迎えていた。サルーマンの最近の行動は、エント族の怒りを買い、昨晩の彼らの攻撃でイセンガルドは徹底的に破壊されたのである。力を失ったサルーマンはガンダルフによってイセンガルドに監禁され、エント族の監視を受けることになった。また、エント族の加勢はヘルム峡谷の戦いにも貢献していたことがわかる。勝利した一行は、ローハンの本拠エドラスに向かった。
(映画との差異)
二つの塔の原作は、上巻にメリー、ピピン、アラゴルンら大河アンデュインの西側での行動が、下巻にフロドとサムの大河アンデュインの東側での行動が描かれている。華々しい合戦場面がある上巻に比して、下巻のフロドたちの旅路はいかにも地味であり、映画では上下巻を交互に描いている(映画「二つの塔」の冒頭は、下巻の最初の方の内容である)。話が後半に行く程、原作の差異が出て来る。例えば、映画では、ヘルム峡谷に向かう途中でアラゴルンがオークとの戦闘で一時的に行方不明になる逸話がある(原作にはそういう話はない)。原作では、ヘルム峡谷には王と兵士のみが駆けつけ、民は王の姪エオウィン姫が率いて馬鍬谷に避難することになっているが、映画では、民も姫も王に同行してヘルム峡谷に行くことになっている。実はヘルム峡谷は、エドラスから見て敵方のイセンガルドにより近い場所にあり、民衆をその様な場所に連れて行くのは戦略としてはいささかおかしい。映画では、エオウィン王に追い出されたグリマはサルーマンの許に駆け付け、ヘルム峡谷の攻撃について、あれこれ助言しているが、原作ではグリマがイセンガルドに到着したのは、エント族に破壊された後となっている。裂け谷からエルフの援軍が駆けつけてくるが、映画ではヘルム峡谷の合戦の前、原作ではその後、「王の帰還」のミナス・ティリスの合戦に備えて、となっている。映画のエント族の寄合の結論は、イセンガルト攻撃はしないことになっている(が、その後、木がサルーマンによって伐採された惨状を見て木の髭が怒り出して、エント族のイセンガルド攻撃が始まった)。原作ではあっさり寄合で攻撃が決まっている。また、イセンガルトの戦後処理の場面は、映画では、「王の帰還」の方に組み込まれていて(つまり映画の王の帰還は、二つの塔の後半を含んでいる)、その分ヘルム峡谷の戦いを盛った感じがする。映画では、ヘルム峡谷にガンダルフが連れてきた援軍は、追放されていたエオメル率いるローハン軍勢だが、原作ではエント族の一部が援軍に駆け付けている。また、映画ではヘルム峡谷の戦いの後に、首都エドラスで勝利の宴が催されているが、原作にそのような描写がない。
映画では、エオウィン姫に会って以降、アラゴルンが度々エルフの姫アルウェン(裂け谷領主エルロンドの娘)との仲を回想する場面がある。フロドが目的を達成すればエルフは没落し、人間の時代になると予言されているが、人間には寿命と言う制約がある。最終巻の書評で触れたいが、これは物語の性質を決める重要な点であり、映画製作者がトールキンの世界観を実現しようとした試みではないかと思う。
フロドが別行動をとったのは偶然の要素が大きいが、冥王サウロンは指輪の持ち主の姓がバギンズだと言うことを知っているだけで、バギンズがどのホビットなのか、までは知らない。旅の仲間が分裂し、ホビットが二手に分かれたことで、冥王はあらぬ誤解をし、全力でゴンドール王国を攻めることになる。これが本巻の最も重要なポイントである。
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神奈川県に住むサラリーマン(技術者)でしたが24年2月に会社を退職して今は無職です。
読書歴は大学の頃に遡ります。粗筋や感想をメモするようになりましたのはここ10年程ですので、若い頃に読んだ作品を再読した投稿が多いです。元々海外純文学と推理小説、そして海外の歴史小説が自分の好きな分野でした。しかし、最近は、文明論、科学ノンフィクション、音楽などにも興味が広がってきました。投稿するからには評価出来ない作品もきっちりと読もうと心掛けています。どうかよろしくお願い致します。
この書評へのコメント
- ゆうちゃん2018-08-07 22:06
ご指摘ありがとうございます。そもそも、民衆と一緒に砦にこもるなんておかしいですよね。兵糧攻めがし易くなります。映画化はとても嬉しかったのですが、なぜか、このふたつの塔は突っ込みどころが多く、次の投稿でも一か所指摘しています。
訂正部分ですが、映画はあまり集中して観ていなかった部分でした。やっぱりあやふやな知識で書いてはいけませんね。確かに最後の突撃はローハンお得意の騎馬戦でした。本文は指摘に従って訂正いたします。
(誤)どこぞのエルフの軍隊 → (正)追放されていたエオメル率いるローハン軍勢クリックすると、GOOD!と言っているユーザーの一覧を表示します。 
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- 出版社:評論社
- ページ数:369
- ISBN:9784566020580
- 発売日:1977年04月01日
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