ゆうちゃんさん
レビュアー:
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フロドはオーク鬼に捕まったが、サムの助けで辛くも逃れた。フロド、サムは滅びの山に到着した。そして指輪の運命は?
本書は、指輪をネタにした中つ国の歴史書であり、追補編に長大な歴史の概要が記される。
(物語)
大蜘蛛シェロブの毒で仮死状態にされたフロドは、サムが大蜘蛛退治をしてくれたおかげで餌にはされなかったが、オーク鬼共に見つかり、キリス・ウンゴルの塔の中に監禁された。サムは、死んだと思ったフロドがオーク鬼共の会話から仮死状態に過ぎないと知り、決死の救出を行ってフロドを助けた。サムが一時保管していた指輪はフロドに戻され、ふたりはモルドール内を滅びの山目指して進む。途中、サムはゴクリらしい影に気付いた。オーク鬼たちの軍団に見つかるが、拾って身に着けていたオーク鬼の軍服で誤魔化し、オーク鬼の一員のふりをして行進をした。この軍団は、丁度アラゴルンやガンダルフらの率いるゴンドール王国軍が黒門に集結するのを受けて、イセン口に集められたオーク鬼共である。各地から集まったオーク鬼が、喧嘩騒ぎで統制のとれない混乱に陥った隙に彼らは脱出し、誰ひとり見かけない滅びの山への道に向かった。力が尽きかけたフロドはサムに抱えられ山を登るが、山腹で姿を見せたゴクリと格闘する。指輪を処分できるサマス・ナウアの入り口はもうすぐだ。
(映画との差異)
王の帰還の全体の分量(上下巻)のうち、表題の指輪の運命に費やされるのが三分の二程度であり、それ故、二つの塔の最後の方の逸話を王の帰還に含めて、映画三部作の分量の全体のバランスを取っている。王の帰還の下巻の筋その物については、例えば、ミナス・ティリスに残って皆を見守るファラミアとエオウィン姫の逸話など、指輪の運命が決まるまでは、細かい点まで原作を十分意識されて、あまり差異を論ずるような材料はない。ただ、原作では、下巻にそれなりに長い後日談が載っており、映画では殆ど割愛されている。二つの塔の上巻の映画との差異でサルーマンとグリマの運命につて触れたが、彼らの末期が映画ではあのように処理されたのも、こう言った原作の構成と関係がある。意図がよくわからない変更もあるが、映画は全体として見ればトールキンの世界をほぼ忠実に再現されており、改作とか翻案と言うのは当を得ていない。最初に読んだ時には、いつか映像で観てみたいと思った作品だが、生きているうちに観られた。CGを駆使してこの作品の名前を知らしめた優れた映画である。
指輪物語、と言う題名の本であるが、全体を読んでみて、指輪をネタとして中つ国の歴史を切り取って示した話と言う印象を受ける。実は、原作では早くも第一部「旅の仲間」の末尾に原著者が指輪の運命を明記してしまっている。確かに指輪は物語のきっかけであり、筋の展開に大きく関与するが、早い段階で結末を明示していることから、著者の関心が指輪の行く末ではない様な気がする。「王の帰還」には、後日談の他に、エレンディルを祖とするアルノール、ゴンドール両王国の王家、ゴンドール執政家、ローハン王家の簡単な列伝及びアラゴルンと夕星姫アルウェン(裂け谷領主エルロンドの娘)との恋と結婚、死までの物語が追補編として掲載されている。これは書籍故、この様な手法が取れるのであって、映画でここまで観衆に見せるのは至難の業だと思う。この追補編の中で最後のアラゴルンと夕星姫アルウェンとの恋の部分のみ脚本に組み込んだ、と言うのが僕の印象である。
本作は第二次大戦中の著作で、著者以外の人からは、時代に照らして、いろんな暗喩や寓話を折り込んだと言う指摘があったらしい。著者は物語性の腕試しの積りで書き、現実世界のことは関係ないと後書きで書いている。自分の初読は1980年代、そして最近再読した作品なので、僕の読書にこの作品の書かれた時代の影響など受け様もないが、読みだすと6巻、一気に読める優れた物語だと感じた。遥か以前の出来事が、途方もない時間を経て物語の現在に大きな影響を及ぼす、これこそ物語の醍醐味である。
大蜘蛛シェロブの毒で仮死状態にされたフロドは、サムが大蜘蛛退治をしてくれたおかげで餌にはされなかったが、オーク鬼共に見つかり、キリス・ウンゴルの塔の中に監禁された。サムは、死んだと思ったフロドがオーク鬼共の会話から仮死状態に過ぎないと知り、決死の救出を行ってフロドを助けた。サムが一時保管していた指輪はフロドに戻され、ふたりはモルドール内を滅びの山目指して進む。途中、サムはゴクリらしい影に気付いた。オーク鬼たちの軍団に見つかるが、拾って身に着けていたオーク鬼の軍服で誤魔化し、オーク鬼の一員のふりをして行進をした。この軍団は、丁度アラゴルンやガンダルフらの率いるゴンドール王国軍が黒門に集結するのを受けて、イセン口に集められたオーク鬼共である。各地から集まったオーク鬼が、喧嘩騒ぎで統制のとれない混乱に陥った隙に彼らは脱出し、誰ひとり見かけない滅びの山への道に向かった。力が尽きかけたフロドはサムに抱えられ山を登るが、山腹で姿を見せたゴクリと格闘する。指輪を処分できるサマス・ナウアの入り口はもうすぐだ。
(映画との差異)
王の帰還の全体の分量(上下巻)のうち、表題の指輪の運命に費やされるのが三分の二程度であり、それ故、二つの塔の最後の方の逸話を王の帰還に含めて、映画三部作の分量の全体のバランスを取っている。王の帰還の下巻の筋その物については、例えば、ミナス・ティリスに残って皆を見守るファラミアとエオウィン姫の逸話など、指輪の運命が決まるまでは、細かい点まで原作を十分意識されて、あまり差異を論ずるような材料はない。ただ、原作では、下巻にそれなりに長い後日談が載っており、映画では殆ど割愛されている。二つの塔の上巻の映画との差異でサルーマンとグリマの運命につて触れたが、彼らの末期が映画ではあのように処理されたのも、こう言った原作の構成と関係がある。意図がよくわからない変更もあるが、映画は全体として見ればトールキンの世界をほぼ忠実に再現されており、改作とか翻案と言うのは当を得ていない。最初に読んだ時には、いつか映像で観てみたいと思った作品だが、生きているうちに観られた。CGを駆使してこの作品の名前を知らしめた優れた映画である。
指輪物語、と言う題名の本であるが、全体を読んでみて、指輪をネタとして中つ国の歴史を切り取って示した話と言う印象を受ける。実は、原作では早くも第一部「旅の仲間」の末尾に原著者が指輪の運命を明記してしまっている。確かに指輪は物語のきっかけであり、筋の展開に大きく関与するが、早い段階で結末を明示していることから、著者の関心が指輪の行く末ではない様な気がする。「王の帰還」には、後日談の他に、エレンディルを祖とするアルノール、ゴンドール両王国の王家、ゴンドール執政家、ローハン王家の簡単な列伝及びアラゴルンと夕星姫アルウェン(裂け谷領主エルロンドの娘)との恋と結婚、死までの物語が追補編として掲載されている。これは書籍故、この様な手法が取れるのであって、映画でここまで観衆に見せるのは至難の業だと思う。この追補編の中で最後のアラゴルンと夕星姫アルウェンとの恋の部分のみ脚本に組み込んだ、と言うのが僕の印象である。
本作は第二次大戦中の著作で、著者以外の人からは、時代に照らして、いろんな暗喩や寓話を折り込んだと言う指摘があったらしい。著者は物語性の腕試しの積りで書き、現実世界のことは関係ないと後書きで書いている。自分の初読は1980年代、そして最近再読した作品なので、僕の読書にこの作品の書かれた時代の影響など受け様もないが、読みだすと6巻、一気に読める優れた物語だと感じた。遥か以前の出来事が、途方もない時間を経て物語の現在に大きな影響を及ぼす、これこそ物語の醍醐味である。
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神奈川県に住むサラリーマン(技術者)でしたが24年2月に会社を退職して今は無職です。
読書歴は大学の頃に遡ります。粗筋や感想をメモするようになりましたのはここ10年程ですので、若い頃に読んだ作品を再読した投稿が多いです。元々海外純文学と推理小説、そして海外の歴史小説が自分の好きな分野でした。しかし、最近は、文明論、科学ノンフィクション、音楽などにも興味が広がってきました。投稿するからには評価出来ない作品もきっちりと読もうと心掛けています。どうかよろしくお願い致します。
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- 出版社:評論社
- ページ数:395
- ISBN:9784566020610
- 発売日:1977年04月01日
- 価格:735円
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