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千世さん
千世
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ナチスの強制収容所から生還した精神科医が、被収容者たちの心理を分析した体験記。誰もが感情を消滅させる収容所生活にあって、自分を見失わず強靭な精神を持ち続けた人がいる。それでも戦争は今もなくならない。
 かつて日本が戦争をしていたあの頃、世界中が戦争をしていました。日本だけではない、世界で起きていたことも知りたいと思い、いつか読もうと思っていたこの作品。今回、ガザで今起きている戦争について考えるよすがにでもなればと思い、手にとることにしました。

 原作のタイトルは「心理学者、強制収容所を体験する」。ナチスの強制収容所から生還した精神科医の著者による被収容者としての体験記であり、被収容者たちの精神を心理学的に論考した作品です。

 驚くのは、これだけ過酷な収容所生活の中にあって、著者が速記でメモを取り続け、冷静に被収容者たちの心理を分析できたという事実です。そして、おそらく著者と同様に、 感情の消滅を克服し、最後に残された精神の自由、「わたし」を見失わなかった英雄的な人の例はぽつぽつと見受けられたという事実です。一部の偉大な英雄や殉教者ではなく、小さな存在の大衆だけを語っても、点呼場や居住棟のあいだで、通りすがりに思いやりのある言葉をかけ、なけなしのパンを譲っていた人びとについて、いくらでも語れるということです。

 身ぐるみをはがされ、なけなしの食事しか与えられず、過酷な労働を強いられ、いつ死ぬか、いつ殺されるかわからない、そしてこの状況がいつまで続くかわからない。人間の独自性、つまりは精神の自由などいつでも奪えるのだと威嚇し、自由も尊厳も放棄して外的な条件に弄ばれるたんなるモノとなりはて、精神が崩壊していくのが当然でしょう。ただ自分が生存することしか考えられず、人を思いやる心など持てなくなるのが普通でしょう。発狂してしまう人もいくらでもいたことでしょう。

 しかし著者は居住棟で仲間たちに語りました。人間が生きることには、つねに、どんな状況でも、意味がある、この存在することの無限の意味は苦しむことと死ぬことをもふくむのだと。

 そして著者は生き残りました。生き残れたのは様々な偶然が重なったからで、著者自身その偶然の事実を語るだけで、それ以上のことは何も述べてはいません。著者が描いているのは著者自身の運命ではなく、普遍的な「被収容者たち」だからです。しかし著者の両親と妻は亡くなったそうです。そのことは旧版の訳者による「あとがき」で語られます。

 
この世にはふたつの人間の種族がいる、いや、ふたつの種族しかいない、まともな人間とまともではない人間と。このふたつの「種族」はどこにでもいる。どんな集団にも入り込み、紛れこんでいる。まともな人間だけの集団も、まともではない人間だけの集団もない。したがって、どんな集団も「純血」ではない。

 この言葉は、極論とも捉えられる危険な考えかもしれません。しかし、その通りだと思う気持ちを否定できません。だから人間の中から争いはなくならないのでしょうか。戦争が終わることはないのでしょうか。

 原著が改訂を繰り返したこともあり、旧版と新版ではかなりの違いがあるようです。戦時中を生き、著者と実際に交流もあった霜山氏訳の旧版も、読んでみるべきだと思っています。こちらは電子書籍ではなく、写真資料を掲載した紙の本で。

 最後に、新版翻訳者によるあとがきの言葉を引用します。
受難の民は度を越して攻撃的になることがあるという。それを地でいくのが、二十一世紀初頭のイスラエルであるような気がしてならない。 2002年9月30日
 
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千世
千世 さん本が好き!1級(書評数:404 件)

国文科出身の介護支援専門員です。
文学を離れて働く今も、読書はライフワークです。

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