Yasuhiroさん
レビュアー:
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山尾悠子が20年のブランクを経て著した幻想的な連作長編。「冬眠者」をモチーフとして編み上げた言葉の迷宮。
今朝塩味ビッテン提督から突然の
きっかけはAMAZONからの佐藤亜紀関連のおすすめメールで山尾悠子という名前を久しぶりに見かけたことです。もう20年以上前になるでしょうか、SF雑誌で時々見かけた名前で、純粋なSFというよりは今でいう幻想小説の範疇の方ではなかったかと覚えています。
それ以来久しく見かけることはなかったのですが、試しにメールにあった「ラピスラズリ」のAMAZON紹介を見てみました。
やはり20年のブランクがあったのですね。この作品は2003年刊行なので、1980年代にはもう執筆をやめておられたようです。ちなみに以前「13ヶ月と13週と13日と満月の夜」などを紹介させていただいた金原瑞人先生と同級生で共同で翻訳本も執筆されているそうです。
前置きが長くなりましたが、この連作小説、なかなかの難物です。面白いか、と言われれば残念ながらNO。ストーリーの面白さや恐怖小説の怖さを期待して読むと完全に当てが外れることになります。
とにかく言葉の選び方、文章の構成、着想・イメージが独特で、読んでいる間中、不思議な浮遊感にとらわれていました。文章は非常に硬質で、一文は長く、しかも読者を跳ね返してしまうほど強い力を持っているのに、読み進むにつれて読み終わった言葉が次々と崩れていき、刹那のイメージしか読み取れない。
ちょっと説明が難しいのですが、吊り橋が通った後から次々と落ちていき、しかも霧で先が見えない、そんな感じです。この文体やイメージの想起のさせ方は現代詩人のものだな、と思って読み進んでいたのですが、あとがきでご自身が歌人であることを明かしておられました。う〜ん、歌人ですか。。。
物語自体は 冬眠者(貴族階級)、使用人、荷運び人、森の住人、ゴーストが織りなすタペストリー。以下五作を寸評。
「銅版」: モチーフの提示。表三枚、裏三枚の銅版画が紹介されます。再読するといくつかのミスリードはあるものの、続く二作の謎明かしがほぼなされていることに気づきます。この作品自体も陰鬱で謎めいた雰囲気を漂わせており、うまい導入部です。
「閑日」:作者曰く
冬眠者である少女とゴーストの偶然の邂逅から、「銅版」で唯一説明されていなかった「冬の花火」が上がるまで。これはまだ比較的短いお話で理解はそれほど難しくありません。
「竃の秋」:作者曰く
五篇の中で最も長く、「銅版」の5つの作品を内包したこの連作の中核をなす中編。長閑な題名とは裏腹の劇的展開で、冬眠者を中心にあと四者が全て顔を揃え、複雑怪奇なタペストリーが編まれていきます。ゴーストよりもむしろ、冬眠する間の「よりしろ」である人形のイメージが怖かったです。大体こういう作品では人形は怖いものですけどね。
さて、「銅版」ではアトリエの主人が、使用人の反乱による虐殺の物語と推測していましたが、果たしてそうなのでしょうか?
裏三枚にその謎を解く鍵はあり、「冬眠者」という存在の脆さがあるきっかけで露わになり、急速にカタストロフを起こす世界が、先に述べたような摩訶不思議な文章の連続で描かれていきます。
何が何だかよく分からないうちに話はどんどん進むので、何度か読み返すのですが、それでも言葉が現れては消えを繰り返す錯覚にとらわれてうまく読み進められませんでした。
最終的にはストーリーは読み取れるのですが、おそらくこの作品は期間をおいての再読を要すると思います。
そして、これを読んだ後では後の短い二作は演奏会でのアンコール小品かエピローグのように感じてしまいます。
「 トビアス」: この作品だけ、明らかに日本が舞台となっています。それも文明が廃れた未来のようです。ここでも主人公は冬眠者的。
「青金石」: 青金石とはタイトルとなっている「ラピスラズリ」のこと。フェルメールも好んだ青の顔料の原石です。
この作品は前作とは逆に過去、それも13世紀に実在した、小鳥たちと話した逸話で有名な、アッシジの聖フランチェスコ(フランシスコ)を主人公とした短編です。ちなみに貴族の娘キアラ(クララ)の断髪を行なったという回想シーンは実際の出来事。
作品のモチーフである冬眠者は出てきませんが、最晩年の聖フランチェスコに木彫りの降誕祭の人物像を届ける「名もない者」が冬眠病を患っています。
そしてこの五作品、気がつけば「メダイ」がキーアイテムとなっています。だからと言ってキリスト教色には染められてはいないのですが。
美しい終文がこの話、そして作品全体を締めくくり、冬眠から覚める春を思わせて幕を閉じます。再生の清涼感を伴った明るい締め方に救われる思いがしました。
活字中毒者認定を某レビューで賜ったのですが、本人はその自覚がない。だって毎日水泳してるもん、水中毒のはず。。。とか言いながら考えてみるに、この本に入れ込んでいるようではやはり立派な活字中毒者なのかなとも思ったり。というわけで、予定を変更して急遽ご紹介します。
きっかけはAMAZONからの佐藤亜紀関連のおすすめメールで山尾悠子という名前を久しぶりに見かけたことです。もう20年以上前になるでしょうか、SF雑誌で時々見かけた名前で、純粋なSFというよりは今でいう幻想小説の範疇の方ではなかったかと覚えています。
それ以来久しく見かけることはなかったのですが、試しにメールにあった「ラピスラズリ」のAMAZON紹介を見てみました。
冬のあいだ眠り続ける宿命を持つ“冬眠者”たち。ある冬の日、一人眠りから覚めてしまった少女が出会ったのは、「定め」を忘れたゴーストで──『閑日』/秋、冬眠者の冬の館の棟開きの日。人形を届けにきた荷運びと使用人、冬眠者、ゴーストが絡み合い、引き起こされた騒動の顛末──『竃の秋』/イメージが紡ぐ、冬眠者と人形と、春の目覚めの物語。不世出の幻想小説家が、20年の沈黙を破り発表した連作長篇小説。(AMAZON解説より)
やはり20年のブランクがあったのですね。この作品は2003年刊行なので、1980年代にはもう執筆をやめておられたようです。ちなみに以前「13ヶ月と13週と13日と満月の夜」などを紹介させていただいた金原瑞人先生と同級生で共同で翻訳本も執筆されているそうです。
前置きが長くなりましたが、この連作小説、なかなかの難物です。面白いか、と言われれば残念ながらNO。ストーリーの面白さや恐怖小説の怖さを期待して読むと完全に当てが外れることになります。
とにかく言葉の選び方、文章の構成、着想・イメージが独特で、読んでいる間中、不思議な浮遊感にとらわれていました。文章は非常に硬質で、一文は長く、しかも読者を跳ね返してしまうほど強い力を持っているのに、読み進むにつれて読み終わった言葉が次々と崩れていき、刹那のイメージしか読み取れない。
ちょっと説明が難しいのですが、吊り橋が通った後から次々と落ちていき、しかも霧で先が見えない、そんな感じです。この文体やイメージの想起のさせ方は現代詩人のものだな、と思って読み進んでいたのですが、あとがきでご自身が歌人であることを明かしておられました。う〜ん、歌人ですか。。。
物語自体は 冬眠者(貴族階級)、使用人、荷運び人、森の住人、ゴーストが織りなすタペストリー。以下五作を寸評。
「銅版」: モチーフの提示。表三枚、裏三枚の銅版画が紹介されます。再読するといくつかのミスリードはあるものの、続く二作の謎明かしがほぼなされていることに気づきます。この作品自体も陰鬱で謎めいた雰囲気を漂わせており、うまい導入部です。
「閑日」:作者曰く
これは落ち葉枯れ葉の物語
冬眠者である少女とゴーストの偶然の邂逅から、「銅版」で唯一説明されていなかった「冬の花火」が上がるまで。これはまだ比較的短いお話で理解はそれほど難しくありません。
「竃の秋」:作者曰く
これは古びた竃の石が囁く秋の枯れ葉の物語
五篇の中で最も長く、「銅版」の5つの作品を内包したこの連作の中核をなす中編。長閑な題名とは裏腹の劇的展開で、冬眠者を中心にあと四者が全て顔を揃え、複雑怪奇なタペストリーが編まれていきます。ゴーストよりもむしろ、冬眠する間の「よりしろ」である人形のイメージが怖かったです。大体こういう作品では人形は怖いものですけどね。
さて、「銅版」ではアトリエの主人が、使用人の反乱による虐殺の物語と推測していましたが、果たしてそうなのでしょうか?
裏三枚にその謎を解く鍵はあり、「冬眠者」という存在の脆さがあるきっかけで露わになり、急速にカタストロフを起こす世界が、先に述べたような摩訶不思議な文章の連続で描かれていきます。
何が何だかよく分からないうちに話はどんどん進むので、何度か読み返すのですが、それでも言葉が現れては消えを繰り返す錯覚にとらわれてうまく読み進められませんでした。
最終的にはストーリーは読み取れるのですが、おそらくこの作品は期間をおいての再読を要すると思います。
そして、これを読んだ後では後の短い二作は演奏会でのアンコール小品かエピローグのように感じてしまいます。
「 トビアス」: この作品だけ、明らかに日本が舞台となっています。それも文明が廃れた未来のようです。ここでも主人公は冬眠者的。
「青金石」: 青金石とはタイトルとなっている「ラピスラズリ」のこと。フェルメールも好んだ青の顔料の原石です。
この作品は前作とは逆に過去、それも13世紀に実在した、小鳥たちと話した逸話で有名な、アッシジの聖フランチェスコ(フランシスコ)を主人公とした短編です。ちなみに貴族の娘キアラ(クララ)の断髪を行なったという回想シーンは実際の出来事。
作品のモチーフである冬眠者は出てきませんが、最晩年の聖フランチェスコに木彫りの降誕祭の人物像を届ける「名もない者」が冬眠病を患っています。
そしてこの五作品、気がつけば「メダイ」がキーアイテムとなっています。だからと言ってキリスト教色には染められてはいないのですが。
美しい終文がこの話、そして作品全体を締めくくり、冬眠から覚める春を思わせて幕を閉じます。再生の清涼感を伴った明るい締め方に救われる思いがしました。
野の礼拝堂は垂直に天を指す尖塔を持ち、啓蟄の天使は低い雲間からその先端を目指して降りてくる。まだ充分には目覚めきれないように、浅い春の突風に満ちた空の一点で、うねりたなびく白衣に包まれて、降りてくる天使を一羽の鳥が春の野で見上げて、ほとんど気の遠くなる、歓喜して小躍りし、囀りに咽喉を膨らませながらぱっと翔びたちみえなくなる。ーこれは秋の枯れ葉に始まる春の目覚めのものがたり。
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馬鹿馬鹿しくなったので退会しました。2021/10/8
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- 出版社:筑摩書房
- ページ数:251
- ISBN:9784480429018
- 発売日:2012年01月10日
- 価格:798円
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