バルバルスさん
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寂光院の鐘の音も、諸行無常の響きあり
最近クセになっているビギナーズ・クラシックスシリーズ。今回は『平家物語』。どうやら”細かいところも大事だけれど、まずは全体を知らなきゃね”というのが全体の基本コンセプトであるらしい本シリーズの例に漏れず、本書もまた見せ場となる場面のみ「原文」を記載してそれを「通釈」で現代語訳し、その間を「あらすじ」で繋ぐという方法で『平家物語』全12巻をダイジェストしている。
著者は、こちらも同じく不動の古典であり表題もよく似た『源氏物語』と比較して、『平家物語』の特徴として現代人に通じる普遍的な人情・感情の機微を挙げる。庶民とかけ離れた殿上の公家・貴族ではなく、人間臭い欲望と矜持に支えられた武人たちの物語である。
また、巻末に記された『平家物語』成立にまつわる解説では、『徒然草』に記された挿話を基にした創作であると断ったうえで、この確実な成立年も作者も不明な物語は、初の「国民文学」となるべく創り上げられた、国家ぐるみの
世は保元の乱に始まる乱世が、そして源平争乱が終わり、従来の「朝廷」という中心に「幕府」というもう一つの中心が出現し、日本が二つの中心を持つ国家となった時代である。「鎌倉幕府」の下で一先ずの安定を得たにしても、当時の日本は未曽有の混乱期だったのではないか。『平家物語』では武士どうしの雄々しい合戦しか描かれていないが、一般庶民たちの蒙った犠牲は甚大だっただろう。朝廷と幕府という事実上の政府の二分化は人々の特に心情面に混乱をきたしただろう。勝者となった幕府側には人々を支配・管理するだけではなく鎮撫する必要もあっただろう。”人々の生命・生活・心情を大きく揺るがしたあの戦争はなんだったのか・・・”。勝者には現実的な施策とならんで、その”歴史観”の整理もまた急務だったのかもしれない。
『平家物語』は本来、琵琶法師が伴奏に合わせて物語を語り伝えるというものだったそうで、それもまた、最も訴えかけたい対象である無学な庶民にも理解できるようにという配慮だったそうである。詳細な史実はどうあれ、歴史観の整理を命じられ、その必要を感じてもいた慈円の監督の下で恵まれぬ学者行長入道が大本の『平家物語』を制作し、それが琵琶法師の生仏に伝えられ、やがてその口伝が全国各地に伝播し、その土地土地の需要に合わせて変容しつつ人々に受け入れられていった。今に伝わる多くの異本群がその証左である、とする。『平家物語』は保元の乱以来の戦没者を供養するために建立された「大懴法院」と並んで、源平争乱が残した傷跡を修復するための国家事業の一つだったのだとする。
さて、となれば『平家物語』は国家によるプロパガンダ作品ということになり、(『古事記』でも同じことを書いたが)”プロパガンダに面白いものなし”というのが一般的なイメージだがそこんとこどうなのだろう。自分は本書によるダイジェストを読んだだけでありそれ以上の知識はないので知ったようなことは言えないが、まず印象的なのは政治臭の無さである。『平家物語』は”勝者”である源氏の世に制作されたものであるから、”敗者”でありもはや政治的影響力など一切持たない平氏を貶め、”悪逆な平氏を討った素晴らしき源氏”を称揚する物語を作ったって何の不思議もないはずである。ところが本作で印象深いのはどちらかというと平氏の方。
”悪役”ではあれど妖怪を睨みつけて退散させ、瀕死の床にあっても一切の供養を拒否し、挙兵した頼朝の首を墓前に備えよと言い放つピカレスクの魅力に満ちた清盛を筆頭に、平家の良心を体現する重盛、激闘の果てに華々しい死を迎える教経や知盛、箙に歌を結びつけて散った風流人忠度、由緒ある笛とともに潔く討たれた美少年敦盛、自決に際して消し難い妻子への愛執に逡巡する維盛etc...どうあっても平氏の面々の方が”濃い”のである。しかも基本的に良い方に。自決の覚悟を決められず生き恥も死に恥も晒すこととなってしまった宗盛・清宗親子も情けないとはいえ、人情としては充分共観もできるというものである。
一方の源氏方の総帥頼朝はあまり印象に残らず(飽くまで本書を読んだ印象では)、配下の中傷によって有能な武将であった弟義経に追討軍を向け、その義経もまた他の将軍と手柄争いなどして、正直その印象は短気な武弁といったところ。天下を取って早々の弟の粛清は、”すわ平家の怨念か”と言われた京を襲った大地震と並んで前途への不安を感じさせる。タイトルの通り、明らかに主人公は敗者の平家である。物語の終末も、維盛の子六代の死による平家の断絶であり、清盛の娘であり一門の滅亡後に尼となった建礼門院徳子と平家追討を命じた後白河法皇との寂光寺での邂逅と和解という場面である。
祇園精舎の鐘の音に始まり、寂光院の鐘の音を聞いて別れる徳子と後白河法皇に終わる『平家物語』は、プロパガンダとして生まれながらプロパガンダらしからぬ”無常”を深く抱いた物語である。後の歴史を知る者の後知恵と言われればそれまでだが、かつて権勢を誇った平家は脆くも滅び、同じく権勢を誇る源家もいつかは脆くも滅びるのだと言外に匂わせているかのよう。
そしてこの物語によって華々しく描かれた源平の武士たちの戦いに生きる雄々しい姿が、「雅」な日本の文化に「武士道」という剛毅さを付け加えたのだという。しかし物語中の武士道と、後世イメージされる武士道には大きな隔たりがある。敵将宗盛を嘘で欺く渡辺競、平家の赤旗と源家の白旗を使い分けることでまんまと奇襲をかけた木曽義仲などに見られるように、源平ともに武士は自己主張もクセも強く、主君に絶対忠誠を誓う江戸時代の武士ならば「卑怯未練の振る舞い」として忌避したであろう振る舞いも敢えてする。そこには所詮戦争と殺戮を生業とする身という強い矜持を感じさせる。つまりグダグダ言い訳しない潔さを感じる。
余計なことかもしれないが、『太平記』でも感じたように武士道というやつは江戸幕府開設と太平の世の到来によって歪んだ、もしくは拗らせたのかもしれない。日本の伝統的感覚であるらしい「無常」や「あわれ」と並んで、軍国主義時代にも華々しく称揚された武士道なるものの大本にも触れられ、考えさせられる物語でもある様な気がした。
【ビギナーズ・クラシックス】
『論語』
『古事記』
『太平記』
著者は、こちらも同じく不動の古典であり表題もよく似た『源氏物語』と比較して、『平家物語』の特徴として現代人に通じる普遍的な人情・感情の機微を挙げる。庶民とかけ離れた殿上の公家・貴族ではなく、人間臭い欲望と矜持に支えられた武人たちの物語である。
有名な『源氏物語』のばあいでも、登場する貴族の男女は、私たちとは別世界の人間でした。古典の知識や愛好心がなくては、彼らと意思の疎通をはかることは困難でした。
しかし、『平家物語』の世界は、そのまま現代の私たちの生活に接続しています。特別な知識や態度を準備することなく、『平家物語』の世界を自分の日常に置き換えることができるのです。
また、巻末に記された『平家物語』成立にまつわる解説では、『徒然草』に記された挿話を基にした創作であると断ったうえで、この確実な成立年も作者も不明な物語は、初の「国民文学」となるべく創り上げられた、国家ぐるみの
大がかりなプロジェクトであったのだと説く。”プロデューサー”となったのは慈円大僧正。彼は比叡山延暦寺の座主であり、芸能の保護者であり、源頼朝とも親交があり・・・という当時の政治・宗教・文化界の大者である。そして自ら著した『愚管抄』で、旧勢力の公家と新勢力の武家との協調の必要を訴える現実主義者でもあったようである。
世は保元の乱に始まる乱世が、そして源平争乱が終わり、従来の「朝廷」という中心に「幕府」というもう一つの中心が出現し、日本が二つの中心を持つ国家となった時代である。「鎌倉幕府」の下で一先ずの安定を得たにしても、当時の日本は未曽有の混乱期だったのではないか。『平家物語』では武士どうしの雄々しい合戦しか描かれていないが、一般庶民たちの蒙った犠牲は甚大だっただろう。朝廷と幕府という事実上の政府の二分化は人々の特に心情面に混乱をきたしただろう。勝者となった幕府側には人々を支配・管理するだけではなく鎮撫する必要もあっただろう。”人々の生命・生活・心情を大きく揺るがしたあの戦争はなんだったのか・・・”。勝者には現実的な施策とならんで、その”歴史観”の整理もまた急務だったのかもしれない。
『平家物語』は本来、琵琶法師が伴奏に合わせて物語を語り伝えるというものだったそうで、それもまた、最も訴えかけたい対象である無学な庶民にも理解できるようにという配慮だったそうである。詳細な史実はどうあれ、歴史観の整理を命じられ、その必要を感じてもいた慈円の監督の下で恵まれぬ学者行長入道が大本の『平家物語』を制作し、それが琵琶法師の生仏に伝えられ、やがてその口伝が全国各地に伝播し、その土地土地の需要に合わせて変容しつつ人々に受け入れられていった。今に伝わる多くの異本群がその証左である、とする。『平家物語』は保元の乱以来の戦没者を供養するために建立された「大懴法院」と並んで、源平争乱が残した傷跡を修復するための国家事業の一つだったのだとする。
さて、となれば『平家物語』は国家によるプロパガンダ作品ということになり、(『古事記』でも同じことを書いたが)”プロパガンダに面白いものなし”というのが一般的なイメージだがそこんとこどうなのだろう。自分は本書によるダイジェストを読んだだけでありそれ以上の知識はないので知ったようなことは言えないが、まず印象的なのは政治臭の無さである。『平家物語』は”勝者”である源氏の世に制作されたものであるから、”敗者”でありもはや政治的影響力など一切持たない平氏を貶め、”悪逆な平氏を討った素晴らしき源氏”を称揚する物語を作ったって何の不思議もないはずである。ところが本作で印象深いのはどちらかというと平氏の方。
”悪役”ではあれど妖怪を睨みつけて退散させ、瀕死の床にあっても一切の供養を拒否し、挙兵した頼朝の首を墓前に備えよと言い放つピカレスクの魅力に満ちた清盛を筆頭に、平家の良心を体現する重盛、激闘の果てに華々しい死を迎える教経や知盛、箙に歌を結びつけて散った風流人忠度、由緒ある笛とともに潔く討たれた美少年敦盛、自決に際して消し難い妻子への愛執に逡巡する維盛etc...どうあっても平氏の面々の方が”濃い”のである。しかも基本的に良い方に。自決の覚悟を決められず生き恥も死に恥も晒すこととなってしまった宗盛・清宗親子も情けないとはいえ、人情としては充分共観もできるというものである。
一方の源氏方の総帥頼朝はあまり印象に残らず(飽くまで本書を読んだ印象では)、配下の中傷によって有能な武将であった弟義経に追討軍を向け、その義経もまた他の将軍と手柄争いなどして、正直その印象は短気な武弁といったところ。天下を取って早々の弟の粛清は、”すわ平家の怨念か”と言われた京を襲った大地震と並んで前途への不安を感じさせる。タイトルの通り、明らかに主人公は敗者の平家である。物語の終末も、維盛の子六代の死による平家の断絶であり、清盛の娘であり一門の滅亡後に尼となった建礼門院徳子と平家追討を命じた後白河法皇との寂光寺での邂逅と和解という場面である。
祇園精舎の鐘の音に始まり、寂光院の鐘の音を聞いて別れる徳子と後白河法皇に終わる『平家物語』は、プロパガンダとして生まれながらプロパガンダらしからぬ”無常”を深く抱いた物語である。後の歴史を知る者の後知恵と言われればそれまでだが、かつて権勢を誇った平家は脆くも滅び、同じく権勢を誇る源家もいつかは脆くも滅びるのだと言外に匂わせているかのよう。
そしてこの物語によって華々しく描かれた源平の武士たちの戦いに生きる雄々しい姿が、「雅」な日本の文化に「武士道」という剛毅さを付け加えたのだという。しかし物語中の武士道と、後世イメージされる武士道には大きな隔たりがある。敵将宗盛を嘘で欺く渡辺競、平家の赤旗と源家の白旗を使い分けることでまんまと奇襲をかけた木曽義仲などに見られるように、源平ともに武士は自己主張もクセも強く、主君に絶対忠誠を誓う江戸時代の武士ならば「卑怯未練の振る舞い」として忌避したであろう振る舞いも敢えてする。そこには所詮戦争と殺戮を生業とする身という強い矜持を感じさせる。つまりグダグダ言い訳しない潔さを感じる。
余計なことかもしれないが、『太平記』でも感じたように武士道というやつは江戸幕府開設と太平の世の到来によって歪んだ、もしくは拗らせたのかもしれない。日本の伝統的感覚であるらしい「無常」や「あわれ」と並んで、軍国主義時代にも華々しく称揚された武士道なるものの大本にも触れられ、考えさせられる物語でもある様な気がした。
【ビギナーズ・クラシックス】
『論語』
『古事記』
『太平記』
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読書とスター・ウォーズをこよなく愛するもと本嫌いの本読みが知識もないのに好き放題にくっちゃべります。バルバルス(barbarus)とは野蛮人の意。
周りを見渡すばかりで足踏みばかりの毎日だから、シュミの世界でぐらいは先も見ずに飛びたいの・・・。というわけで個人ブログもやり始めました。
Gar〈ガー〉名義でSW専門ブログもあり。なんだかこっちの方が盛況・・・。ちなみにその名の由来h…(ry
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- 出版社:角川書店
- ページ数:318
- ISBN:9784043574049
- 発売日:2001年09月01日
- 価格:700円
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