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rodolfo1さん
rodolfo1
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蕪村の謎の5つの俳句に隠された、蕪村及び周囲の人々の恋を巡る逸話5編に蕪村死後の弟子月渓の行動を巡る1編を加えた短編集。人生の機微をえぐるしみじみとした良作揃い。
葉室麟作「恋しぐれ」を読みました。

【夜半亭有情】若い男が蕪村の家の様子を伺っていました。蕪村が声を掛けると、男は庭の隅に咲いていた薺の花を指して、きれいな花だと呟きました。男は生気がなく、それだけ言って立ち去りました。それからしばしば男は蕪村の周りに現れました。67歳になる蕪村は京の俳人であり、画家でした。同時代の画家では伊藤若冲や円山応挙が活躍していました。その応挙が訪ねて来た折に、大阪の上田秋成が顔を出し、その男の話になりました。応挙は自分もその男を見たと言い、さらさらと男の似顔絵を描きました。そして応挙は、この男は染物屋の職人与八だと言い、秋成は、与八は蕪村をつけ狙っているのではないかと言いました。

秋成は、蕪村が馴染みになっている祇園の芸妓小糸の事で恨みを買っているのではないかと言いました。実は蕪村門下は小糸の事を苦々しく思っており、大阪の芸妓で門下の梅ははっきりと悋気を俳句に表していたのでした。しかし蕪村の思いは変わらず。。。しかし蕪村は、応挙の描いた男の似顔絵が小糸にそっくりだと思い。。。応挙は与八が労咳の為に店を辞めたと言い、蕪村は与八に会いに行きました。すると医者でもあった秋成が同道し、大阪の医者だと言って与八の家に上がり込みました。すると与八は実に意外な事を蕪村に告げ。。。実は与八の家にもあの薺の花が。。。

【春しぐれ】蕪村の娘くのは、20歳と若かったにもかかわらず離縁され、実家に戻っていました。婚家先の柿屋は、最近茶懐石の仕出しを始めて大繁盛していた店でした。それを聞いた女中のおさきはくのを羨ましがり、自分の男を婚家先で雇ってくれと頼みました。舅の伝右衛門は一代で店を三井家の出入りを許される程に隆盛させた切れ者で、何くれとなく茶懐石の手ほどきをくのにしてくれました。

そこにおさきが突然現れ、自分の男、仁助を連れて、雇ってくれとくのに頼みました。人の良いくのは断り切れずに伝右衛門に顔つなぎをしてやり、伝右衛門は訝しみながらも、くのの顔を立てて仁助を雇ってやりました。くのの夫佐太郎は仁助を気に入りましたが、しばらくすると店の雰囲気が悪くなって来ました。実は仁助は店の者達や佐太郎を博打に誘い込み、慌てて伝右衛門は仁助を首にしましたが、既に佐太郎は巨額の借金を賭場に拵えており、柿屋にやくざ者が乗り込んで来ました。さらにくのは関節炎を患い、伝右衛門はくのを離縁したのでした。しかし5年後、伝右衛門が現れ。。。実は伝右衛門は。。。

【隠れ鬼】今田文左衛門は阿波藩の大阪の倉奉行を命じられ、大阪に単身赴任していました。ある時商人から接待の打診があり、下役人の瀬川半蔵に相談すると、役得だから行って来いと言われ、遊女の小萩と馴染みになりました。文左衛門は次第に小萩と深間になり、瀬川に借金して通うようになりました。しかしついに金が無くなった文左衛門に小萩は駆け落ちしようと持ち掛け、ついに文左衛門は小萩と駆け落ちしました。しかしあっさり見つかって連れ戻されました。

文左衛門は家禄を没収されて藩を追放され、家族と共に兵庫の知人を頼って移り住み、趣味の俳句をもてはやされていました。京の俳諧師蝶夢は文左衛門の才能を認めて俳諧師になれと薦め。。。思い切って妻子を連れて上京した文左衛門は縁あって蕪村の夜半亭門下に入りました。蕪村は文左衛門に、夜半亭の俳句は師匠に泥まない事だと教え。。。後に文左衛門は大魯を名乗り、更に大阪に移り住んで蘆陰舎を結成し、大阪に夜半亭俳句を広めました。するとある句会で、倉奉行の頃に大魯を遊女遊びに誘い込んだ商人が現れ、あれから自分も大変だったのだと言いました。

そして商人は、瀬川こそ大魯をはめて自らの収賄をごまかし、大魯の後釜に座って小萩や自分を追い払ったのだと言いました。そして商人は瀬川を遊郭で罵って立場を失くしてやれと大魯をけしかけ、大魯は瀬川と対決しましたが、瀬川は大魯をあざけり笑い。。。それがきっかけとなって大魯は荒れ、評判は悪くなりました。さらに同門の呼びかけで一門の和を図る宴席が設けられましたが、そこで仲の悪い同門に駆け落ちの話をばらされ、思わずその男を殴りつけて一門のつまはじきにされました。

大魯は兵庫に戻り、裕福な商人北風屋の助けを得て辛うじて身過ぎ世過ぎをしていました。折柄京から蕪村達が訪れて句会を開くと言う知らせがもたらされ、北風屋から晴れ着が届きました。しかし大魯は、何故自分は自分のままでいることが許されないのかと言って晴れ着を引き裂き。。。港で足を悪くした小萩と再会し、小萩は自分は大魯をだましたバチが当たってこんな足になった、しかし生きたものが勝ちなのだと言い。。。

大魯は蓬髪に垢じみた着物で蕪村の句会に現れ、北風屋は不機嫌な顔をしましたが、大魯は小萩とのいきさつを蕪村達に話して一句読み、蕪村は北風屋に、大魯がついに戻って来たと言い。。。しかし大魯は。。。

【月渓の恋】月渓はおはると応挙の屋敷で待ち合わせていました。おはるは明石から父親を頼って京に出て来ましたが、父親捜しを月渓に手伝ってもらった縁で、得意だった絵を生かそうと月渓に応挙への弟子入りを頼んだのでした。応挙はおはるに自分が描いた眼鏡絵を見せ、おはるは喜んで見ていましたが、最後の絵を見て悲鳴を上げました。応挙は最後に幽霊の絵を忍ばせていたのでした。。。

応挙はおはるに弟子入りを許し、もっぱら眼鏡絵を描かせていました。しかしおはるは幽霊の絵だけは描けず、、あの絵は悲しすぎるのだと言いました。実はその幽霊画は亡くなった応挙の妻を描いた絵で。。。しかし父親の面倒を見ていた性悪女は、父親の薬代だと言っておはるを女衒に売り飛ばし。。。2年後ある易者が月渓を占いました。易者は、月渓が何かを始めるには何かを終わらせねばならない、しかも月渓は手の届かないものを手に入れようとするのだと言いました。。。

月渓は島原の遊郭で、最上位の太夫道中を見ていました。歩いていたのはおはるでした。おはるの事を諦めた月渓でしたが、おはるを抱えていた楼主は呑獅という俳号を持つ俳句趣味の男でした。呑獅が月渓を訪ねて来、応挙に金を出してもらったからおはるを身請けして結婚しろと言いました。無事におはると夫婦になった月渓でしたが、おはるは明石に里帰りした際に船から落ちて溺死し、月渓は悲嘆に暮れました。しかし応挙が現れてある絵を月渓達に示し。。。それは。。。

【雛灯り】蕪村はおもとという女中を雇い入れました。おもとはどこか陰のある女で、その頃蕪村が知り合った建部綾足の事を何か知っている風でした。しかし上田秋成は綾足が描いた西山物語は全く気に入らない。あれでは源太も浮かばれないと言って腐しました。ある村で、仲の悪かった2軒の家の息子右内と娘やえが恋仲になり、それを嫌ったやえの兄が右内を斬り殺したという話が題材でした。

しかしその話を台所で聞いていたおもとが突然泣き出して仕事を辞めると言い出し、驚いた蕪村はおもとの話を聞きました。おもとは、また綾足が来たらきっと自分は何かをしてしまうと取り乱しましたが、しばらくすると落ち着きました。別の日綾足が現れ、おもとは綾足に酒を注ぎましたが、その酒には毒が入っていました。実はおもとは源太の元女房だったのでした。そしておもとは、綾足の物語のせいで源太はひどく苦しんだのだと言い。。。しかし綾足は、自分はかつてこの毒を飲んだ事があるのだと打ち明けました。実は綾足もまた。。。しかし秋成がおもととともに源太の元を訪れ、おもとの事情を伝えた所、源太はあの事件の真相を。。。

【牡丹散る】応挙の元に若い浪人者、浦辺新五郎が長沢蘆雪に伴われて入門を志願して来ました。新五郎は妻の七重を伴っていました。実は応挙は七重が気に入ったのでした。そのうち新五郎は七重に屋敷内の雑事をさせるから一緒に通わせてくれと応挙に頼み、蘆雪が取り成して応挙はそれを許し、次第に七重を心待ちにするようになりました。実は七重は元藩の御殿女中で、小姓を勤めていた新五郎と知り合い、不義者として脱藩したのでした。応挙は新五郎に、牡丹を模写しろと命じ。。。

ある時七重は応挙に、新五郎は絵師としてものになるかと尋ね、応挙は、蘆雪のようにはなれないと言いました。七重は、新五郎はいつも夢を追いかける子供のようだ、欲しいものには何でも手を出すのだと言い。。。応挙は蕪村に七重は亡くなった妻の雪に良く似ており、思わず雪、と声を掛けそうになる時が何度もあるのだと愚痴り、蕪村は、それは苦しゅうおすな、とぽつりと応じました。

国元の叔父が新五郎を呼び出し、国元では情勢が変わって新五郎に追い風が吹いている、七重と別れて国元に戻れと言いました。すると叔父は七重に会いに応挙の屋敷を訪れました。新五郎は帰郷を断ったから、七重から新五郎に別れるように言ってくれと言うのでした。しかしそれを聞いた応挙は叔父に、それは好都合だ、自分は七重が気に入って今後も傍に置くつもりだと言ったのでした。しかし蘆雪は、応挙は京一番の絵師で公家衆との付き合いも長い、七重に無礼があれば話は江戸所司代まで届き、藩にとっても一大事になると言い、あわてて叔父は去りました。応挙は七重に、自分は決して嘘は言わないのだと言い、七重は。。。

しかし七重が帰宅すると新五郎が散り落ちた牡丹の絵を描いていました。それまで新五郎は散った牡丹は美しくないと言って決して描かず、七重は、新五郎はいつか七重も牡丹のように若さと美しさを失う事がわかっていないと落胆していたのでした。新五郎は実は。。。

【梅の影】大阪の芸妓で夜半亭一門であり、俳号を梅女と号するお梅は、蕪村の突然の訃報に驚きました。お梅は焼香に行きたいと願いましたが、夜半亭の門人は良い顔をしませんでした。あの性格狷介な大魯だけはお梅を門人として扱ってくれましたが、他の門人達にとってはただの俳句趣味の芸妓だったのでした。

実はお梅を含めた門人達は、蕪村が若い芸妓の小糸と恋仲だった事を快く思っていませんでした。何かと言えば小糸と別れるよう諫言し、お梅もまた小糸と別れろと言う趣旨の俳句を作って投稿しました。ついに小糸と別れた蕪村でしたが、しばらくして儚くなってしまったのでした。お梅はどうしても焼香に行く必要がありました。しかし訪れた蕪村の家で高弟達は現れた梅に眉をひそめ、いたたまれなくなったお梅は帰ろうとしましたが、月渓がお梅を呼び止めて焼香をさせました。

お梅は月渓に、自分が小糸に悋気した句の事を語り、その時自分は小糸が豪商と芝居見物に来ていたのを見てあんな句を書いた。きっと蕪村が小糸と別れたのは自分のせいでそれを知ったからだと涙しました。3年後、お梅は突然月渓の元を訪れ、自分を月渓の元に置いてくれと頼みました。あの焼香後、お梅は夜半亭門人達に疎まれ、芸妓仕事にも差し支えていたのでした。妻を亡くしていた月渓は、自分と京に出て、応挙の弟子になり、蕪村の妻と娘の暮らしを助けようと言い、お梅と月渓は上京しました。しかしその2年後、天明の大火が京を襲い、月渓とお梅は焼け出されました。すると避難先に小糸がいました。実は小糸は。。。

私は葉室先生が直木賞を獲った際、久しぶりの時代小説作家の登場を喜んで数冊単行本を購入したのでした。当時は先生は大して人気がなくて、文庫本の上梓はずいぶん後の事だったのでした。しかし読む本読む本ほとんど気に入らず、それきり葉室先生とは縁切りに近くなって今日に至ります。しかしNHKドラマ銀漢の譜でやや先生を見直し、あおなり道場始末を読んで先生を再発見するに至りました。この小説も一度読んで気に入らなかった為に、長らく積んであったものを発見して読み返しましたが、なかなかしみじみとした良い作品でした。

特に殆どの章の巻末に蕪村の俳句が添えられており、俳句自体の存在は辛うじて知っているものの、何の事を書いた俳句なのかは私には全く不明でした。この小説は、その蕪村の俳句の背景となる蕪村の身の回りで起きたであろう事件について詳述されており、その句と共に浮かび上がって来る、その当時の蕪村や蕪村の弟子達の事情がおおよそ知れ、謎そのものであった蕪村の俳句の世界を現代に蘇らせています。読み返してみると、私が気に入っている、葉室作品における女性の活躍も描かれており、大変楽しく読みました。

最終章では蕪村の句は添えられていませんが。最後に月渓こと呉春は、蕪村の辞世の句を絵にしたとありまして、大阪池田の逸翁美術館に収蔵されている絵がそうなのだと思います。呉春作6曲1双絹屏風、白梅図であります。今日重要文化財とされています。小説では狂言回し的な役回りに終始した月渓でしたが、実は大した腕前であったのだと感銘しました。
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rodolfo1
rodolfo1 さん本が好き!1級(書評数:870 件)

こんにちは。ブクレコ難民です。今後はこちらでよろしくお願いいたします。

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