武藤吐夢さん
レビュアー:
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大人はわかってくれない。故に、ホールディンは天に唾を吐くかの如く暴言をのたまうのだ。共感した。いい作品だ。

キャッチャー・イン・ザ・ライ (村上春樹訳)が初読でした。
3年ほどして、こちらの昔の本をすすめられて読みました。
「中2病の反抗期の子供の戯言だ」というのが当時の僕の感想。
今回、映画化すると聞き、あえて白水社の方を選びました。
正直に言います。「これはすごい・・・」と思いました。
高校生のホールディンは成績不良で退校となることになった。
世話になったスペンサー先生に、お別れの挨拶に行きます。
彼が、欲していたのは共感。何も言わず抱きしめて欲しかった。
だが、先生は、これが最後だ。何かしてやらねばと説教を始める。
そして、最後に「幸運を祈るよ」なんてインチキ臭い言葉を吐く。
この瞬間、僕も彼になったような気分になった。
何もわかっちゃいない。馬鹿野郎。彼の悪態が、僕の胸にも降臨してきました。
本当は、そんなことを1ミリも思っていないくせに、大人は平気で嘘をつく。
寮に戻ると、同室のイケ面から宿題を頼まれる。デートなんだそうだ。
相手が悪い。ホールディンの家の隣の女の子。好きだった子。
それでも、宿題をやってやる。でも、帰ってきたルームメイトは、その女の子をコーチから借りた車で・・・。
頭にくる。せっかくしてやった宿題にまで文句をつけられる。
怒り狂い挑みかかるが逆にやられてしまい鼻血。
この最低野郎、低能に大事な女の子を奪われ、屈辱まで味わい
彼は学校を飛び出す
怒りや矛盾や不安を、壊れた充電器のようなホールディンはため込みます
それが、放電という形で悪態となり放出しているのです
それを「大人はわかってくれない」。わかろうともしない。
まだ、明確な行動倫理とか論理的な思考を持たない高校生のホールディンは、周囲の人間に対して毒を吐きまくるのだが、それは漠然とした不安や苛立ちとか、大人の無理解や大人社会のインチキさに対する反抗なのだと思う。
その根拠は、妹のフィービーや、博物館でミイラを探していた子供たちや、教会の関係者らしき教師たちには、その毒舌を封じているからである。
彼が言葉を荒げる時には、そこにインチキや不合理があるのだ。
これは純粋な子供の大人に対する戦争だと思った。
だが、この戦争は、しっぺ返しの連続だ。
孤独な彼は、人恋しさから売春婦を買う。1回5ドルだ。
やってきたのは、若い女。彼は、ただ、話しがしたいだけだった。Hなことはどうでもよかった。
だから、金だけ渡して何もせず帰らせた。おしゃべりだけ。
それを大人たちが、どう受け取るかはわからない
売春婦のバックにいる男は、これはカモだと踏んだ。5ドルではなく10ドルだと言い。部屋まで押し入り、暴力的に金をむしり取る。
そして、信頼していた前の学校の先生。
家に泊めて貰うことになるが、夜中に触られる。
信頼していた人間からの裏切り。
いつも、彼を傷つけるのは大人や、無神経な奴らだった。
彼は、いつも誰かを信じたいと思う。繋がりたいと思うが、その気持ちは伝わらない。
その毒舌は誤解され、嫌われて狂人のように思われる。
彼を全面的に許容する愛すべき登場人物がいた。
彼女によって、彼は光明を見出すのだ。それが幼い妹のフィービーだった。
彼が西部かどこかの田舎に逃げようとしているのを、旅行鞄を抱えて「私も行く」と必死に阻止しようとするかわいい妹。
誰かに、全面的に許容されたいという思いが、ホールディンにはあったと思う。
だから、NYの夜の街をさまよって、人とぶつかりボロボロに傷ついた。でも、最後に、妹に体当たりに近い許容。世界中の人間が敵になっても自分だけは味方でいるよという意思を示され、彼は踏みとどまったのだと思う。
もちろん、この小説のモチーフは、大人たちのインチキに対する孤軍奮闘である。大人たちに対しての毒舌戦争だ。そして、もう1つ、人間には理解者が必要であるという裏モチーフも存在していると思うんだ。
いい作品だった。たまには、名作と呼ばれるものを再読するのも悪くないようです。
僕の中にも、ホールディンはいるんだと再認識した。
ページ数:339
読書時間 8時間
読了日 1/25
3年ほどして、こちらの昔の本をすすめられて読みました。
「中2病の反抗期の子供の戯言だ」というのが当時の僕の感想。
今回、映画化すると聞き、あえて白水社の方を選びました。
正直に言います。「これはすごい・・・」と思いました。
高校生のホールディンは成績不良で退校となることになった。
世話になったスペンサー先生に、お別れの挨拶に行きます。
彼が、欲していたのは共感。何も言わず抱きしめて欲しかった。
だが、先生は、これが最後だ。何かしてやらねばと説教を始める。
そして、最後に「幸運を祈るよ」なんてインチキ臭い言葉を吐く。
この瞬間、僕も彼になったような気分になった。
何もわかっちゃいない。馬鹿野郎。彼の悪態が、僕の胸にも降臨してきました。
本当は、そんなことを1ミリも思っていないくせに、大人は平気で嘘をつく。
寮に戻ると、同室のイケ面から宿題を頼まれる。デートなんだそうだ。
相手が悪い。ホールディンの家の隣の女の子。好きだった子。
それでも、宿題をやってやる。でも、帰ってきたルームメイトは、その女の子をコーチから借りた車で・・・。
頭にくる。せっかくしてやった宿題にまで文句をつけられる。
怒り狂い挑みかかるが逆にやられてしまい鼻血。
この最低野郎、低能に大事な女の子を奪われ、屈辱まで味わい
彼は学校を飛び出す
怒りや矛盾や不安を、壊れた充電器のようなホールディンはため込みます
それが、放電という形で悪態となり放出しているのです
それを「大人はわかってくれない」。わかろうともしない。
まだ、明確な行動倫理とか論理的な思考を持たない高校生のホールディンは、周囲の人間に対して毒を吐きまくるのだが、それは漠然とした不安や苛立ちとか、大人の無理解や大人社会のインチキさに対する反抗なのだと思う。
その根拠は、妹のフィービーや、博物館でミイラを探していた子供たちや、教会の関係者らしき教師たちには、その毒舌を封じているからである。
彼が言葉を荒げる時には、そこにインチキや不合理があるのだ。
これは純粋な子供の大人に対する戦争だと思った。
だが、この戦争は、しっぺ返しの連続だ。
孤独な彼は、人恋しさから売春婦を買う。1回5ドルだ。
やってきたのは、若い女。彼は、ただ、話しがしたいだけだった。Hなことはどうでもよかった。
だから、金だけ渡して何もせず帰らせた。おしゃべりだけ。
それを大人たちが、どう受け取るかはわからない
売春婦のバックにいる男は、これはカモだと踏んだ。5ドルではなく10ドルだと言い。部屋まで押し入り、暴力的に金をむしり取る。
そして、信頼していた前の学校の先生。
家に泊めて貰うことになるが、夜中に触られる。
信頼していた人間からの裏切り。
いつも、彼を傷つけるのは大人や、無神経な奴らだった。
彼は、いつも誰かを信じたいと思う。繋がりたいと思うが、その気持ちは伝わらない。
その毒舌は誤解され、嫌われて狂人のように思われる。
彼を全面的に許容する愛すべき登場人物がいた。
彼女によって、彼は光明を見出すのだ。それが幼い妹のフィービーだった。
彼が西部かどこかの田舎に逃げようとしているのを、旅行鞄を抱えて「私も行く」と必死に阻止しようとするかわいい妹。
誰かに、全面的に許容されたいという思いが、ホールディンにはあったと思う。
だから、NYの夜の街をさまよって、人とぶつかりボロボロに傷ついた。でも、最後に、妹に体当たりに近い許容。世界中の人間が敵になっても自分だけは味方でいるよという意思を示され、彼は踏みとどまったのだと思う。
もちろん、この小説のモチーフは、大人たちのインチキに対する孤軍奮闘である。大人たちに対しての毒舌戦争だ。そして、もう1つ、人間には理解者が必要であるという裏モチーフも存在していると思うんだ。
いい作品だった。たまには、名作と呼ばれるものを再読するのも悪くないようです。
僕の中にも、ホールディンはいるんだと再認識した。
ページ数:339
読書時間 8時間
読了日 1/25
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よろしくお願いします。
昨年は雑な読みが多く数ばかりこなす感じでした。
2025年は丁寧にいきたいと思います。
この書評へのコメント

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- 出版社:白水社
- ページ数:339
- ISBN:9784560070512
- 発売日:1984年05月01日
- 価格:924円
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