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hackerさん
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本書は、「20世紀SF」シリーズの第二巻、1950年代になります。アメリカSF映画の黄金時代を支えた作品群が収録されています。特に、リチャード・マシスンの『終わりの日』は傑作です。
1950年代は、アメリカSF映画の黄金時代でした。思いつくまま挙げるだけでも、『遊星よりの物体X』(1951年)、『地球最後の日』(1951年)、『ゴジラ』(1954年)の元ネタとして知られる『原子怪獣現わる』(1953年)、『宇宙戦争』(1953年)、『放射能X』(1954年)、『禁じられた惑星』(1956年)『ボディ・スナッチャー/恐怖の街』(1956年)、『縮みゆく人間』(1957年)、『ハエ男の恐怖』(1958年)等々、現在にいたるまで名が残る作品が輩出しました。名が残るという意味では、「史上最悪の映画」として名高い『プラン9・フロム・アウタースペース』(1959年)も、この時代の作品です。本多猪四郎も、『ゴジラ』の他に、『空の大怪獣ラドン』(1956年)と『美女と液体人間』(1958年)という二本の代表作を世に送り出しています。

この背景には、当然アメリカでSF小説で盛んだったことがあるわけで、本書には、この時代を代表するような14作品が収められています。例によって、特に印象的なものを紹介します。()は、作者名、生没年、初出年となっています。


●『初めの終わり』(レイ・ブラッドベリ、1920-2012、1956年)

内容を紹介するのが難しい作品ですが、簡単に言うと、地球時代から宇宙時代へと移り変わる時代に、失われる人類の「初め」の時代へのノスタルジーを描いたもので、実にブラッドベリらしい作品です。

●『ひる』(ロバート・シェクリイ、1928-2005、1952年)

TV「ウルトラQ」シリーズの『バルンガ』の元ネタ(パクリ?)として知られている作品です。宇宙から落ちてきた、あらゆるエネルギーを吸収して巨大化する「ひる」が登場するのですが、原爆も「ひる」を巨大化させるだけという展開は、冷戦時代を反映するものでしょう。ウルトラQでは、ロケットで打ちあげられた人工太陽に惹かれて、バルンガは地球を去るものの「いつか空を見上げたら、太陽でなく、バルンガがいるかもしれない」という終わり方をするのですが、小説の方は、もっと怖い終わり方をします。

●『父さんもどき』(フィリップ・K・ディック、1928-1982、1954年)

自分の周囲の人間が、いつの間にか、地球外から来たと思われる何かに取って代わられているという状況は、映画『遊星よりの物体X』の原作ジョン・W・キャンベルの『影が行く』(1938年)で最初に描かれたのではないかと思いますが、そのヴァリエーションです。今となっては意外性はない内容ですが、その不気味さの描写は、さすがと思わせてくれます。

●『終わりの日』(リチャード・マシスン、1926-2013、1953年)

第一巻の最高傑作が『万華鏡』ならば、第二巻の最高傑作は、本作です。解説によると、「本シリーズ全六巻の収録作品を選択する際、編者ふたりがそろって、まっ先に名をあげた作品のひとつ」だったそうです。

明日には、巨大星が地球に衝突するという日、人類は何をして過ごすのか、というテーマを扱っています。内容を紹介するよりも、とにかく読んでください、という作品です。傑作であり、マシスンもSF史上の巨星であることを証明する作品です。

●『なんでも箱』(ゼナ・ヘンダースン、1917-1983、1956年)

「ながらく男だけの世界」だったアメリカSFにも、この時代になると、女性作家も現れるようになり、ゼナ・ヘンダーソンもその一人です。解説によると、アリゾナ州生まれの彼女は、同州の田舎でながらく小学教師を務めていたそうで、本作にも、その経験が活かされているようです。

「わたし」が受け持った小学一年生のクラスには、スー・リンというちょっと変わった生徒がいました。彼女は、時おり、両手の指で何かを持っているような形を作っていたのです。同級生も、それに気づいていて、それを「なんでも箱」と呼んでいました。ある時、スーは別の生徒に「犬に咬まれるところが見える」と言い、翌日通りのことが起こります。ですが、「なんでも箱」の姿は他の人には見えないのです。そして、「わたし」はそれが実在することを知るのでした。

●『隣人』(クリフォード・D・シマック、1904-1988、1954年)

シマックのことを「田園作家」と呼ぶと解説では紹介されていますが、その特徴がよく出た作品です。

舞台はクーン谷という「農場は小さいし、土地はたいてい荒地」で「谷あいの低地は畑にはなるが、中腹は牧草地にしかならないし、道といやひどいどろんこ道で時期によっては通れなくなる」という場所で、「ここで身上をつくろうというのはできない相談だった」という土地です。

語り手の「わし」は「合衆国ならどこででも会えるようなごくあたりまえの百姓」で、他の古顔と同じく「こんな土地でも満足して住んでいる」のです。「なんといってもこの土地で生まれ育ったんだし、金持なりたいなんて夢みたいなことは考えたことがないし、他の土地へ行ってもきっと居心地が悪いだろう」というのが理由でした。

こんな土地でも、たまに空いている農場に引っ越してくる者もいました。たいていは、すぐまた出ていってしまうのですが、ある日、レジナルド・ヒースという「妙な名前」―レジナルドというにはイギリス名前だし、ヒースはイギリス人じゃない―の男とその家族が引っ越してきます。どうやら、「ルーマニアだかブルガリアだかの人間で、鉄のカーテンの向こうから逃げてきた」らしいのです。

ところが、この一家、すごく働き者で、荒れ果てていた農場や家が、見る見るうちにきれいになっていったのです。そして、ある晩、牛を探して、外に出た「わし」はとんでもないものを見てしまいます。ヒースの畑で、誰も乗っていないトラクターが行ったり来たりしながら、畑を耕していたのでした。最近、福島のローカルニュースを見ていたら、無人運転のトラクターの実証実験の話をしていましたが、同じ発想は70年前に既にあったのですね。こういうことができるなら、確かに仕事の効率は上がるでしょう。しかし、このヒースとは何者なのでしょうか。

楽しい、一種の桃源郷譚です。

●『証言』(エリック・フランク・ラッセル、1905-1978、1951年)

本書では唯一のイギリス人作家です。ナチスドイツに勝利した第二次大戦から間もないこともあるでしょうが、扱っているのは、地球にやってきた宇宙人を、地球の法律によって裁けるのかという、非常にシリアスな内容となっています。被告の外見は次のようなものでした。

「出身はプロキオン星系の一惑星。身長は3フィートで、体色は鮮やかな緑色、足は指のない肉盤状をしている。太短い四肢には吸盤と縮毛をそなえ、全身、棘状の突起でおおわれていて、さながら知恵のあるサボテンといった趣だ。ただし、その目だけは異彩を放っていた。人々に向けられた大きな金色の瞳は、なにも悪いことをしていないのだから、慈悲を示してもらえるだろうと純真に思いこんでいるような印象を与える。その瞳も考慮に入れると、この異星生物には、ヒキガエル―頭に王冠をいただいた、憂いに沈むヒキガエルといった形容がふさわしい」

特筆すべきは、この裁判の舞台が、アメリカ合衆国と設定されていることで、話が進むにつれ、この異星人は、次第に移民の象徴であることが分かってきます。そして、ラスト近くでは、自由の女神の台座に刻みこまれている有名な詩が引用されます。

「わがもとへ送れ、自由の息吹に焦がるる者、
 疲れはて、貧苦にあえぎ、身を寄せ合う、者どもを。
 豊穣の岸辺より打ち捨てられし惨めな者ども、
 寄る辺なき者ども、嵐に巻かれて漂着せし者どもを、送れ、わがもとへ―
 われ導きの松明をかかげん、黄金の扉のもとに」

ドイツの首相に、自分の祖父はドイツからの移民であることを指摘され、ロスの抗議デモの参加者をアニマルと呼ぶトランプは、こういう詩の存在などとっくに忘れているでしょうが、故郷を追われた異星人=移民を、異なる外見や文化や歴史から、先入観をもって判断すべきでないという主張は、現在でも通じる内容を持つ小説です。言い換えると、そういう者に対する偏見は、昔から存在したということでもあるのですが。

●『芸術作品』(ジェイムズ・ブリッシュ、1921-1975、1956年)

解説では「音楽ではロマン派の巨匠シュトラウスを愛し、文学ではエズラ・バウンドとジェイムズ・ジョイスに関する論文を発表した教養人」と作者を紹介しています。

本作の時代は西暦2161年、死後212年経った、作曲家シュトラウスが復活します。しかし、当然肉体は消滅しているので、とあるボランティアの肉体を使い、記録に残るシュトラウスのデータをすべて注入して、シュトラウスもどきを作りあげたのでした。そして、今やまったく様相が変わってしまった現代音楽の中で、昔流の音楽を作ることを、シュトラウスもどきは要求されたのです。

映画『ブレードランナー』(1982年)で印象的だった、レプリカント(人間型アンドロイド)への記憶の注入と同じことを、この時代に既に考えていたことは、ちょっと驚きですが、本作の興味深い点は、古い記憶の注入だけでは、そこから新しいものは生まれないことも語っていることです。その意味で、かなり斬新な内容だと思います。


さて、繰り返しになりますが、収録作からベストを挙げるなら『終わりの日』です。次善としては、『隣人』と『証言』になります。

なお、個別に紹介しなかった他の作品は、以下の通りです。

・『幻影の街』(フレデリック・ポール、1919-2013、1955年)
・『真夜中の祭壇』(C・M・コーンブルース、1923-1958、1952年)
・『消失トリック』(アルフレッド・ベスター、1913-1987、1953年)
・『燃える脳』(コードウェイナー・スミス、1913-1966、1958年)
・『たとえ世界を失っても』(シオドア・スタージョン、1918-1985、1953年)
・『サム・ホール』(ポール・アンダースン、1921-2001、1953年)
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hacker
hacker さん本が好き!1級(書評数:2281 件)

「本職」は、本というより映画です。

本を読んでいても、映画好きの視点から、内容を見ていることが多いようです。

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