ウロボロスさん
レビュアー:
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今年は、安部公房生誕100周年で、また27年前に彼の小説『箱男』を映画化しようとして頓挫し、その映画の完成がついに実現した年でもあるそうです。
石井岳龍監督の手によって映像化された映画「箱男」(2024年内公開)が、第74回ベルリン国際映画祭(2月15日~2月25日)の「Berlinale Special(ベルリナーレ・スペシャル)」部門に正式招待され、ワールドプレミアを迎えるそうです。
1997年ドイツ・ハンブルグで撮影を行うべくドイツの地に降り立った。ところが不運にもクランクイン前日に、撮影が突如頓挫、撮影クルーやキャストは失意のまま帰国した。映画についてはさておき、ここからは小説についてです。
その箱は、縦横1メートル、高さ、1メートル30前後、規格品として「四半割り」を使用することが暗黙の了解として人口に膾炙している。らしい。これが箱男が頭からかぶる段ボール箱である。そもそも箱男とは何者か?箱男は全国に何万人といるらしい。主人公と思われる箱男は、過去においてカメラマンだったということが明かされる。しかしそれがどのように誕生し、いかなる目的と意思をもってあらわれたのかは、読めば読むほどわからなくなる。マトリョーシカのごとく入れ子のようなつくりでその核心やいかに……。
《箱男という人間の蛹から、どんな生き物が這い出してくるのやら、ぼく(作者?)にだってさっぱり分からない。》と………。
人ははじめて《箱男》に遭遇すると空気銃でその対象に狙いをつけてトリガーを引いてしまいたくなるようである。そしてその空気銃のタマが着弾し、段ボール箱と人間の肉片の一部を貫通した時の音は次のように描かれる。
雨に濡れたスボンの裾を傘の柄ではじいたような音であると。そもそもが普通の人は空気銃を撃たないし、ましてや雨で濡れたズボンの裾を傘の柄ではじいたりしない。とにかく譬喩の文章がぶっ飛んでいる。
手掛かりは空気銃と貝殻草であるように誘導されるが………。
貝殻草の匂いを嗅ぐと、魚になった夢をみてそれから覚めると夢の中の魚が経験した時間が覚醒したその人の脳内で変容されたイメージとしてその時間は、まるで違った流れ方をするという。
プルースト効果としての時間は、過去の懐かしい思い出へと連れ戻してくれるが、貝殻草効果は、魚となった自分の身体としての器官が腕が、足が欠損し、あとに、残された眼球だけをたよりに《世界》と交渉するしかないのである。
そしてこの小説を理解するには以下の文章が重要なメタファとして機能しているようである。
《見ることには愛があるが、見られることには憎悪がある。見られる痛みに耐えようとして、人は歯をむくのだ。》
簡単なストーリーを紹介すると元カメラマンの箱男が作った《その箱》を五万円で買い取るという看護婦(のような女)があらわれ、その雇い主である医師(のような男)との三位一体のトリニティがやはり空気銃の狙撃(であろうと思われる)の失敗という出来事によってもたらされトライアングルをなして展開され、そこに《贋の箱男》が絡んでくるという……ストーリーでさらに箱男A、B、C、Dの叙述がサイドストーリーとして重層的に騙り、語られるのであるが………。それにしても最後のDの話に出てくる女体育教師の奏でるピアノの音と水洗トイレの渦巻く水音の時をおいたタイムラグの余韻は、ファルスでもあり美しいエロティシズムの片鱗に満ち溢れている。盗聴と視姦の究極の?!
この作品はおよそ三十年後におとずれるネット社会を予言したような近未来的な寓意的物語であると今なら言えるでしょうが、自分としては作者が亡くなって二十年後に出版された女優山口果林が書いた『安部公房とわたし』を読んだ後ではこの小説はちがった意味合いとして脳裡に去来した。その思いは微笑ましいポジティブな開放感として……。思いがけない早すぎた死が残念でなりません。そして映画の公開が愉しみです。
1997年ドイツ・ハンブルグで撮影を行うべくドイツの地に降り立った。ところが不運にもクランクイン前日に、撮影が突如頓挫、撮影クルーやキャストは失意のまま帰国した。映画についてはさておき、ここからは小説についてです。
その箱は、縦横1メートル、高さ、1メートル30前後、規格品として「四半割り」を使用することが暗黙の了解として人口に膾炙している。らしい。これが箱男が頭からかぶる段ボール箱である。そもそも箱男とは何者か?箱男は全国に何万人といるらしい。主人公と思われる箱男は、過去においてカメラマンだったということが明かされる。しかしそれがどのように誕生し、いかなる目的と意思をもってあらわれたのかは、読めば読むほどわからなくなる。マトリョーシカのごとく入れ子のようなつくりでその核心やいかに……。
《箱男という人間の蛹から、どんな生き物が這い出してくるのやら、ぼく(作者?)にだってさっぱり分からない。》と………。
人ははじめて《箱男》に遭遇すると空気銃でその対象に狙いをつけてトリガーを引いてしまいたくなるようである。そしてその空気銃のタマが着弾し、段ボール箱と人間の肉片の一部を貫通した時の音は次のように描かれる。
雨に濡れたスボンの裾を傘の柄ではじいたような音であると。そもそもが普通の人は空気銃を撃たないし、ましてや雨で濡れたズボンの裾を傘の柄ではじいたりしない。とにかく譬喩の文章がぶっ飛んでいる。
手掛かりは空気銃と貝殻草であるように誘導されるが………。
貝殻草の匂いを嗅ぐと、魚になった夢をみてそれから覚めると夢の中の魚が経験した時間が覚醒したその人の脳内で変容されたイメージとしてその時間は、まるで違った流れ方をするという。
プルースト効果としての時間は、過去の懐かしい思い出へと連れ戻してくれるが、貝殻草効果は、魚となった自分の身体としての器官が腕が、足が欠損し、あとに、残された眼球だけをたよりに《世界》と交渉するしかないのである。
そしてこの小説を理解するには以下の文章が重要なメタファとして機能しているようである。
《見ることには愛があるが、見られることには憎悪がある。見られる痛みに耐えようとして、人は歯をむくのだ。》
簡単なストーリーを紹介すると元カメラマンの箱男が作った《その箱》を五万円で買い取るという看護婦(のような女)があらわれ、その雇い主である医師(のような男)との三位一体のトリニティがやはり空気銃の狙撃(であろうと思われる)の失敗という出来事によってもたらされトライアングルをなして展開され、そこに《贋の箱男》が絡んでくるという……ストーリーでさらに箱男A、B、C、Dの叙述がサイドストーリーとして重層的に騙り、語られるのであるが………。それにしても最後のDの話に出てくる女体育教師の奏でるピアノの音と水洗トイレの渦巻く水音の時をおいたタイムラグの余韻は、ファルスでもあり美しいエロティシズムの片鱗に満ち溢れている。盗聴と視姦の究極の?!
この作品はおよそ三十年後におとずれるネット社会を予言したような近未来的な寓意的物語であると今なら言えるでしょうが、自分としては作者が亡くなって二十年後に出版された女優山口果林が書いた『安部公房とわたし』を読んだ後ではこの小説はちがった意味合いとして脳裡に去来した。その思いは微笑ましいポジティブな開放感として……。思いがけない早すぎた死が残念でなりません。そして映画の公開が愉しみです。
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これまで読んできた作家。村上春樹、丸山健二、中上健次、笠井潔、桐山襲、五木寛之、大江健三郎、松本清張、伊坂幸太郎
堀江敏幸、多和田葉子、中原清一郎、等々...です。
音楽は、洋楽、邦楽問わず70年代、80年代を中心に聴いてます。初めて行ったLive Concertが1979年のエリック・クラプトンです。好きなアーティストはボブ・ディランです。
格闘技(UFC)とソフトバンク・ホークス(野球)の大ファンです。
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- 出版社:新潮社
- ページ数:246
- ISBN:9784101121161
- 発売日:2005年05月01日
- 価格:460円
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