書評でつながる読書コミュニティ
  1. ページ目
詳細検索
タイトル
著者
出版社
ISBN
  • ログイン
無料会員登録

hackerさん
hacker
レビュアー:
「若い女性がヒロインになるときは、近所じゅうの四十軒の家が邪魔をしても、その勢いを止めることはできない。必ずや何かが起きて、彼女の行く手にヒーローが現われるにちがいない」(本書より)
本書も、かもめ通信さん主催の「#やりなおし世界文学 読書会」で挙げられていたものです。初読でした。本書は、ヒロインのキャサリンの紹介から始まるのですが、これが少し可哀そうなぐらいなのです。

「キャサリンも、生まれてこのかた(家族の)誰にも負けないくらい不器量だった。みっともないほど痩せっぽちで、青白い肌でひどく血色が悪いし、髪も美しい巻き毛ではなくて、まっすぐな黒い貧弱な髪で、目鼻立ちもすごくきつい感じだった。容姿はこんなところだが、性格のほうも、小説のヒロインとしてはまことに不向きなものだった。男の遊びなら何でも大好きで、お人形さん遊びよりもクリケットのほうが大好きだし、ヒロインが幼いころに熱中しそうな遊び、たとえばヤマネを飼ったり、カナリアに餌をあげたり、クリケットのほうが断然好きだった。(中略)性格はこんなところだが、勉強や芸事の能力も、じつに驚くべきものだった。誰かに教えてもらわないと何も覚えられないし、何も理解できないし、教えてもらってもどうしても駄目なときもあった。(中略)家も木もニワトリもひよこも、彼女が描くとみんな同じに見えた。(中略)なんとも奇妙で不可解な性格である!というのは、十歳にしてこれだけ十分な堕落の兆候があったにもかかわらず、キャサリンは心も性格もけっして悪くはないのだ」

これが、第一章で語られる、本書のヒロイン、裕福な牧師の父と「きわめて善良な性格」で「たいへん丈夫な体に恵まれた」母(最終的には十人の子どもを授かり、皆立派に成長しました)がいるモーランド家の、四番目の子どもにして長女のキャサリンの十歳のときの有様です。ここからどう物語が展開するのか、読んでいて心配になりましたが、さすがに作者もこのままではまずいと思ったのでしょう。

「十五歳になると、顔立ちも体つきもだんだん良くなってきて、髪をカールして舞踏会を待ちこがれるようになった。顔色が良くなり、ふっくらして血色が良くなったので、きつい感じが取れてやさしい顔つきになり、目も以前より生き生きして、体つきもずいぶんしっかりしてきた。(中略)『キャサリンは最近とてもきれいになりましたね』『もう美人と言ってもいいんじゃないかな』などという両親の会話を、キャサリンはときどき耳にした。なんとうれしい響きだろう!生まれてから十五年間ずっと不器量だった娘にとって、『もう美人と言ってもいいんじゃないかな』と言われることは、赤ん坊のときから美人だった娘には想像もつかないほどうれしいことなのだ」

こうして、キャサリンは「十五歳から十七歳にかけて、小説のヒロインになるための修行を猛然と始めた」のです。「つまり、ヒロインになるための必読書を読み、ヒロインの波乱万丈の人生に役立って、心の慰めになるような引用句を覚えようと思った」わけです。

しかし、こんな勉強嫌いで、そんなことできるのかと思われるでしょうね。大丈夫なのです。

「彼女が嫌いなのは、有益な知識がどっさり書かれた本であり、有益な知識など何も得られないような本、たとえば全部お話で、何も考える必要がない本なら、けっして嫌いではなかった」

なお、この「有益な知識など何も得られない本」にはシェイクスピアも入っています。


さて、近くに住む大地主アレン氏が、温泉行楽地バースで痛風の療養のため長期間滞在することになったときに、キャサリンを可愛がっていたアレン夫人から、お誘いを受けて、彼女も同行することになります。こうして、第二章から最後の第三十二章まで、キャサリンの「有益な知識など何も得られない本」から来る妄想と冒険と問題行動が語られるわけですが、作者は読者にキャサリンのことをしっかり理解してもらおうと、しつこくこう書いています。

「彼女は愛情深い心を持ち、とても明るい素直な性格で、うぬぼれや気取りはまったくない。態度は、少女時代のぎこちなさと内気さがやっと抜けたところで、容姿はとても感じが良くて、きれいに見えるときは美人の部類に入る。そして頭のほうは、十七歳の娘の例にもれず、無知で無教養だった」

でも、キャサリンが「無知と無教養」というのは、少し言い過ぎかもしれません。無教養はともかく、無知と言うよりは、人が口にすることをそのまま信じすぎるということです。ですから、本書は、人の言うことを何でも真に受けてはいけないということを含め、ヒロインが人間というものを学ぶ成長の記録でもあります。


広く知られているように、ジェイン・オースティン(1775-1817)の作品は、どれもが、上流階級や貴族の若い男女の恋愛、すれ違いや誤解を経ての結婚というハッピー・エンドで終わるものばかりです。しかし、実生活では、彼女は生涯独身で通しました。本作は書かれた長篇小説としては最初のものだったそうで、実質的な処女作でした。訳者あとがきによると、作者が22、3歳のころ書かれたとのことですが、結局、彼女の最後の長篇小説『説得』との合本で、死後の1817年に出版されました。さて、なぜこんなに長い間出版されなかったですが、やはり、キャサリンが当時の出版界のヒロイン像とかけ離れていたからではないかと推測します。ヒロインの幼少時の「不器量」ぶりや、「無知と無教養」をさらけ出す姿に、出版社側は躊躇したのではないでしょうか。ただ、キャサリンは当時のヒロイン像へのアンチテーゼでもあったわけで、今読むと、その可笑しさ(変さ?)がかえって楽しいくらいです。

サマセット・モームは『高慢と偏見』について「大した事件が起こらないのに、ページを繰らずにはいられない」と言いましたが、それは本書にも共通していて、「大した事件」など何も起こりません。ですが、考えてみれば、大半の人間の人生に起ることは、本人には「大した事件」であっても、冷静に見れば「大した事件」でないことが多いわけです。金の心配がいらない俗人ばかり登場するオースティンの小説世界は、作者自身が良く知っていたものであり、ありふれた人間たちで満たされている社会の実相のような気がします。そして、彼女の真髄は、こういうありふれた人間や出来事を自由自在に操る言葉の巧みさでしょう。オースティンを、フォークナーやセリーヌやガルシア=マルケスと比較すると驚かれるかもしれませんが、言葉の小宇宙を作り上げるという点においては、オースティンはやはり素晴らしい才能の持ち主でした。団鬼六の優れたポルノ小説と同じように、手を変え品を変えてはあるものの、これだけワンパターンの話を読ませてしまうというのは、やはり相当な筆力だと思うのです。こういうのも、読書の大いなる楽しみの一つなのです。

ただ、この面白さは、若い方には分かりにくいかもしれません。私が昔『高慢と偏見』を読んだ時も、あまり感心しなかった記憶があります。もう一度読み返した方が良さそうです。
お気に入り度:本の評価ポイント本の評価ポイント本の評価ポイント本の評価ポイント本の評価ポイント
掲載日:
外部ブログURLが設定されていません
投票する
投票するには、ログインしてください。
hacker
hacker さん本が好き!1級(書評数:2281 件)

「本職」は、本というより映画です。

本を読んでいても、映画好きの視点から、内容を見ていることが多いようです。

読んで楽しい:5票
参考になる:23票
あなたの感想は?
投票するには、ログインしてください。

この書評へのコメント

  1. No Image

    コメントするには、ログインしてください。

書評一覧を取得中。。。
  • あなた
  • この書籍の平均
  • この書評

※ログインすると、あなたとこの書評の位置関係がわかります。

『ノーサンガー・アビー』のカテゴリ

フォローする

話題の書評
最新の献本
ページトップへ