紅い芥子粒さん
レビュアー:
▼
190歳と180歳、超高齢のふたりの翁が、藤原道長を礼賛する。
2024年の大河ドラマは、藤原氏全盛期の話である。
一話から見ているが、宮廷貴族が入れ代わり立ち代わり現われ、呪ったり呪われたり、足を引っ張ったり引っ張られたり、天皇という絶対的権威にすりより、権力を手に入れようとする。紫式部の話というより、平安貴族の群像劇として、おもしろく見ている。
一年間のドラマが半分も過ぎてしまったところで、わたしは思い出した。本棚の奥のおくに押しやられている「大鏡」のことを。いま読まなくて、いつ読むの。
「大鏡」は、藤原氏の栄華(とくに道長)を語った歴史物語で、作者は不明。候補となる人の名が十名ほどあげられているが、全員が藤原某さんと源某さんである。
物語は、京の紫野の雲林院の菩提講で、ふたりの超高齢の老人がばったり会うところから始まる。百九十歳の世継翁と、百八十歳の繁樹翁。
世継翁は若いころ、宇多天皇の皇太后宮の召使をしていた。
繁樹翁は若いころ、藤原忠平の小舎人童をつとめていた。
ふたりは、大昔から世の移り変わりを見てきた者同士、すっかり意気投合し、なかなか始まらない菩提講を待つあいだ、延々と昔語りを始める。
その語りに心を奪われてしまった若侍が、熱く相槌をうったり、質問したり……
ふたりの翁の語りは、まず帝紀(五十五代文徳天皇~六十八代後一条院)から始まる。翁たちが、昔語りをしている時代は、藤原道長・頼通父子の摂関政治の全盛期。天皇あっての藤原氏、この道長栄華の時代がどのようにして開けたかを語るには、まず天皇を語らなければならないと、世継翁は持論を述べる。
帝紀をひととおり語り終えてから、歴代大臣の人物と事件が個別に語られていく。語られるのは藤原さんと源さんばかりである。例外的に在原業平や菅原道真の名も出てくるが、彼らは宮廷から追放された人物として、話題に上る。菅原道真は、怨霊となって藤原氏に祟るほど酷い仕打ちをうけているので、翁の語りも慎重になっている。
左大臣藤原冬嗣から始まって、入道道長まで続くのだが、道長への礼賛はとどまるところがない。とにかく道長は幸運であること。政敵が、つぎつぎと疫病で死んでいき、彼の前には、おのずと道が開けてきた。幸運であるということは、天から選ばれたお人であるということなのだ。ただ、無批判に讃えているわけではなく、道長という人物の、卑怯なところやずるいところも、控え目にではあるが、ちゃんと見て書いている。
よく似た名前の藤原さんや源さんが、つらつらと出てきて、通読はしたものの、あまり頭には入ってこなかった。ドラマで見る役者さんの顔を思いうかべながら、なんとか読み切ることができた。
藤原実資なんて、ドラマで日記、日記といっている、ああ、あの人かと思った。
実資さんの「小右記」も読んでみたいと思い、角川ソフィア文庫版を買って、積読に加えた次第である。
一話から見ているが、宮廷貴族が入れ代わり立ち代わり現われ、呪ったり呪われたり、足を引っ張ったり引っ張られたり、天皇という絶対的権威にすりより、権力を手に入れようとする。紫式部の話というより、平安貴族の群像劇として、おもしろく見ている。
一年間のドラマが半分も過ぎてしまったところで、わたしは思い出した。本棚の奥のおくに押しやられている「大鏡」のことを。いま読まなくて、いつ読むの。
「大鏡」は、藤原氏の栄華(とくに道長)を語った歴史物語で、作者は不明。候補となる人の名が十名ほどあげられているが、全員が藤原某さんと源某さんである。
物語は、京の紫野の雲林院の菩提講で、ふたりの超高齢の老人がばったり会うところから始まる。百九十歳の世継翁と、百八十歳の繁樹翁。
世継翁は若いころ、宇多天皇の皇太后宮の召使をしていた。
繁樹翁は若いころ、藤原忠平の小舎人童をつとめていた。
ふたりは、大昔から世の移り変わりを見てきた者同士、すっかり意気投合し、なかなか始まらない菩提講を待つあいだ、延々と昔語りを始める。
その語りに心を奪われてしまった若侍が、熱く相槌をうったり、質問したり……
ふたりの翁の語りは、まず帝紀(五十五代文徳天皇~六十八代後一条院)から始まる。翁たちが、昔語りをしている時代は、藤原道長・頼通父子の摂関政治の全盛期。天皇あっての藤原氏、この道長栄華の時代がどのようにして開けたかを語るには、まず天皇を語らなければならないと、世継翁は持論を述べる。
帝紀をひととおり語り終えてから、歴代大臣の人物と事件が個別に語られていく。語られるのは藤原さんと源さんばかりである。例外的に在原業平や菅原道真の名も出てくるが、彼らは宮廷から追放された人物として、話題に上る。菅原道真は、怨霊となって藤原氏に祟るほど酷い仕打ちをうけているので、翁の語りも慎重になっている。
左大臣藤原冬嗣から始まって、入道道長まで続くのだが、道長への礼賛はとどまるところがない。とにかく道長は幸運であること。政敵が、つぎつぎと疫病で死んでいき、彼の前には、おのずと道が開けてきた。幸運であるということは、天から選ばれたお人であるということなのだ。ただ、無批判に讃えているわけではなく、道長という人物の、卑怯なところやずるいところも、控え目にではあるが、ちゃんと見て書いている。
よく似た名前の藤原さんや源さんが、つらつらと出てきて、通読はしたものの、あまり頭には入ってこなかった。ドラマで見る役者さんの顔を思いうかべながら、なんとか読み切ることができた。
藤原実資なんて、ドラマで日記、日記といっている、ああ、あの人かと思った。
実資さんの「小右記」も読んでみたいと思い、角川ソフィア文庫版を買って、積読に加えた次第である。
掲載日:
書評掲載URL : http://blog.livedoor.jp/aotuka202
投票する
投票するには、ログインしてください。
読書は、登山のようなものだと思っています。読み終わるまでが上り、考えて感想や書評を書き終えるまでが下り。頂上からどんな景色が見られるか、ワクワクしながら読書という登山を楽しんでいます。
この書評へのコメント
 - コメントするには、ログインしてください。 
書評一覧を取得中。。。
- 出版社:講談社
- ページ数:604
- ISBN:9784061584914
- 発売日:1981年01月07日
- 価格:1575円
- Amazonで買う
- カーリルで図書館の蔵書を調べる
- あなた
- この書籍の平均
- この書評
※ログインすると、あなたとこの書評の位置関係がわかります。






















