書評でつながる読書コミュニティ
  1. ページ目
詳細検索
タイトル
著者
出版社
ISBN
  • ログイン
無料会員登録

DBさん
DB
レビュアー:
幕末の日本に関する本
あのシュリーマンが、トロイ発掘以前に幕末の日本を訪れていた。
なんでも事業家として稼いだお金で考古学へと転向する時に世界漫遊の旅に出たとか。
インドから香港、上海、そして支那から日本へと来て、横浜港から新大陸への船旅で書いた紀行文の清と日本の部分を訳したものだそう。
夢見る考古学者から見た江戸の町とは一体どんなものだったのだろうか。

まずはシュリーマンが万里の長城を見るため、上海から海路天津へ向かい、馬車で北京へたどり着いた話が語られる。
北京では巨大な塔と城門を備えた高い城壁に感動し、緑茶に砂糖もミルクも入れないと嘆いています。
町では板をくくりつけられた罪人やさらし首を目にし、葬列や花嫁行列に出会い、全てに好奇心に富んだ視線を投げかけている。
もちろん纏足についても克明に書かれている。

だがシナ人も異人であるシュリーマンが登場すると、宿についていくばかりでなく部屋にまで入り込み障子を破ってまでシュリーマンを見ようと押し寄せてくる。
本人はオラウータンが服を着て歩いていてもこれほどまでに注目されないだろうと評しているが、どこに行くにも人だかりができています。
万里の長城には巨人族が作ったかのようだと感銘を受けているが、シナ人に対しては点が辛い。
後の日本人についてシナ人と比較している部分からもそれが伝わってきます。

上海に戻ると、今度は横浜港へ向けての船旅です。
フジヤマを遠くに見つつ到着した日本では、髷をゆっている独特な髪型にまず目を向ける。
そして日本の家具や調度品が少ないことに驚いています。
椅子もテーブルも長椅子もベッドもなく、ただ美しいござがそのすべての役割を担っている。
町はよく清掃されていて清潔で、人も毎日風呂に入るため世界でいちばん清潔だと書かれています。
当時は混浴だったようで、その素朴さに感激している。

江戸の町では人足や馬丁は褌一つか、それに屋号の半纏を着ただけの姿だったそうだ。
そう言われてみれば籠担ぎ屋や飛脚の浮世絵は全裸に近かった。
着流しの裾をからげる姿は時代劇ならではだったんだという事実に気付きました。
しかも裸の肌に直接纏うかのように、鮮やかな刺青に覆われていたらしい。
そして売春行為もヨーロッパのように恥辱や不名誉とみなされず、メイドで働くくらいの感覚で遊郭に売られていくと書かれています。
苦界のイメージは戦後からなんでしょうか。

他にも将軍の行列を見学しに行ったことや、公使館の警備の合言葉の話など幕末の江戸の姿が浮かび上がってきます。
いろいろと楽しい見聞録でした。
掲載日:
外部ブログURLが設定されていません
投票する
投票するには、ログインしてください。
DB
DB さん本が好き!1級(書評数:2049 件)

好きなジャンルは歴史、幻想、SF、科学です。あまり読まないのは恋愛物と流行り物。興味がないのはハウツー本と経済書。読んだ本を自分の好みというフィルターにかけて紹介していきますので、どうぞよろしくお願いします。

読んで楽しい:9票
参考になる:22票
共感した:3票
あなたの感想は?
投票するには、ログインしてください。

この書評へのコメント

  1. darkly2018-04-20 20:53

    こんばんは。混浴って素朴なんですね(笑)

  2. DB2018-04-21 07:22

    まるで家族みたいに大きな湯船につかっている姿が素朴だとシュリーマンさんは思ったようです(^O^)

  3. あかつき2018-04-21 10:34

    混浴文化=性的、卑猥というのは明治以降に導入された西洋的倫理観念による恥ずべきいやらしい考え方であって、元々は素朴な巨大な家族風呂文化です!
    今津軽などに残る混浴場も、「見るな、見せるな」と性的なものを排除して楽しむよう推奨されています。とても気持ちの良い楽しい入浴でしたよん❤︎

  4. DB2018-04-21 10:41

    シュリーマンさんも、子供の頃からそれが当然と思い恥ずかしがることもないから性的なものもなく素朴だみたいな感想を書いてました。
    褌一つの裸も見慣れてるんでしょうね。
    やはり遊郭が賤民というのも西洋倫理だったのでしょうか。それとも差別されていないっていうくらいでやっぱり本人的には苦界だったのかな。

  5. あかつき2018-04-21 10:52

    どうだろう、例えば当時のパリがコルティザンヌ文化からメゾン・クローズに移っていく頃だったとしたら、高級感より背徳的な意味合いが強くなっている頃だったかも。
    イギリスだったら貞操堅固な女王様のせいで彼女らを卑賎とする視線が強くなったり。
    一口に西洋人といっても、時代やその人の身分で全く味方は違うものね。で、この時代に日本に訪れて手記を残すような人たちは社会的地位が高い道徳的な人(と思われたい)人たちだから。

  6. DB2018-04-21 10:59

    ドイツ~オランダは新教ですしね。花魁ともなると高級娼婦もいいところだし、法王の愛人になるのもいい家の後家さんになるのも同じようなものと思えば同じような扱いだったのかもしれませんね。

  7. No Image

    コメントするには、ログインしてください。

書評一覧を取得中。。。
  • あなた
  • この書籍の平均
  • この書評

※ログインすると、あなたとこの書評の位置関係がわかります。

『シュリ-マン旅行記 清国・日本』のカテゴリ

フォローする

話題の書評
最新の献本
ページトップへ