有坂汀さん
レビュアー:
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カトリック信者であり、芥川賞作家である遠藤周作氏が『神の沈黙』という重いテーマをもとに描いた小説です。舞台は『島原の乱』が鎮圧されて間もない頃の日本。日本に潜入した二人の司祭に降りかかる「受難」とは。
「人間がこんなに哀しいのに 主よ 海があまりに碧いのです」
『外海地区東出津町に文学館を構える作家・遠藤周作の沈黙の碑』より―。
本書は敬虔なカトリック信者であり、芥川賞作家でもある遠藤周作氏が『神の沈黙』という重いテーマをもとに描いた小説です。
僕が遠藤周作の生涯および本書の存在を初めて知ったのは1989年10月8日から2002年3月24日まで日本テレビ系列局で毎週日曜日の21:00時から21:54時に放送されていた『知ってるつもり?!』で1997年3月16日に『遠藤周作』の回が放送されていたので当時15歳だった自分に『沈黙』のハイライトである主人公のロドリゴが棄教するために踏み絵を踏もうとする瀬戸際のシーンで幾多もの人に踏まれて摩滅したイエス像が
『踏むがいい。お前の足は今、痛いだろう。今日まで私の顔を踏んだ人間と同じように痛むだろう。だがその足の痛さだけでもう充分だ。私はお前たちのその痛さと苦しみをわかちあう。そのために私はいるのだから』(P294より)
というシーンがナレーションとともに映像化されており、それがとても印象に残っておりました。
それから時は流れて幾星霜。本書の主人公であるセバスチャン・ロドリゴほどの苦難を経ているわけではありませんが、自分もまた、20代の半ばに自分がすべてを捨てて歩もうとした「道」を「踏み絵」よって「棄教」する瀬戸際に立たされた時、本書の中でロドリゴのかつての師であり、先んじて棄教し、沢野忠庵という日本名を与えられたクリストヴァン・フェレイラのように傍らにいた存在があったことをふと思い出し、読みながら当時のことを思い出し、口の中に苦い物を感じてしまいました。
さらに本書を読むきっかけになったのは、カトリック教徒であり、映画監督のマーティン・スコセッシが本書を映像化した『沈黙‐サイレンス‐』とそれに先んじて篠田正浩監督が1971年に『沈黙 SILENCE』として映画化された2本を観賞したことも大きかったかもしれません。
物語の舞台は『島原の乱』が鎮圧されて間もない頃の日本であり、二人のポルトガル人司祭。ロドリゴと同僚のガルペが、偉大な先達であり、また自分たちの師でもあったクリストヴァン・フェレイラが日本で『穴吊り』の拷問を受けて棄教した一報の真意を確かめるため、キリシタン禁制の厳しいことを承知で潜入を企て、実行するまでが前半部です。
日本に潜入したロドリゴとガルペを待ち受けていた過酷な運命。かつては熱心なキリスト教徒あったが、弾圧に狡知の限りを発揮する井上筑後守。ロドリゴに棄教を勧め、過去に神学校で学び洗礼を受けた通辞。この物語には欠かすことのできない存在である遠藤周作自身がモデルとなった「弱き者」の代表であるキチジロー…。
結論を言うとガルペは殉教し、ロドリゴは『穴吊り』にされる信者たちの悲惨なうめき声を獄中で聞かされ、かつて自分とほぼ同じような立場に立たされたフェレイラの言葉に苦悩の末踏み絵を踏んで棄教し、その後は岡本三右衛門の名を与えられ、「日本人」として生涯を終える…。
本書を読み終えたころ、偶然ツイッターで知り合った同志社大学の大学院生で作家で元外務省主任分析官である佐藤優氏の教え子であるHさん(彼はプロテスタントの牧師志望)という青年に
「こんにちは。平井さん。TLで分かるかとは思いますが、先日、映画『沈黙』を見ました。あれはカトリック(イエズス会)の話ですが、プロテスタントにとっても『神の沈黙』は重いテーマなのでしょうか?」
と問いかけるとHさんからは
「私も『沈黙』は見ました。日本でキリスト教に携わろうとしている身としては暗い気分になります笑。『沈黙』は「カトリックの理解」というよりも遠藤の理解です。だからこそプロテスタントの私にも伝わるものがあります。歴史的には『神の沈黙』の問いはキリスト教徒全てが担い、担ってきたものです」
という返事が返ってきて、僕は
「お答えいただきありがとうございます。なるほど。遠藤周作の理解・解釈であると…。やっぱり宗派を問わず『神の沈黙』はキリスト教徒にとって重いものだということがよく分かりました。」
とお礼の返事を返したことがありました。
実のところを言うと、本書は内容の重さゆえに今まで避けてきたのですが、旧約聖書の『伝道の書(コヘレトの言葉)』にあるように
「天が下のすべての事には季節があり、すべてのわざには時がある。」(3章1節)
ということで、本書を読む「タイミング」がちょうど「今」だったのでしょう。
『外海地区東出津町に文学館を構える作家・遠藤周作の沈黙の碑』より―。
本書は敬虔なカトリック信者であり、芥川賞作家でもある遠藤周作氏が『神の沈黙』という重いテーマをもとに描いた小説です。
僕が遠藤周作の生涯および本書の存在を初めて知ったのは1989年10月8日から2002年3月24日まで日本テレビ系列局で毎週日曜日の21:00時から21:54時に放送されていた『知ってるつもり?!』で1997年3月16日に『遠藤周作』の回が放送されていたので当時15歳だった自分に『沈黙』のハイライトである主人公のロドリゴが棄教するために踏み絵を踏もうとする瀬戸際のシーンで幾多もの人に踏まれて摩滅したイエス像が
『踏むがいい。お前の足は今、痛いだろう。今日まで私の顔を踏んだ人間と同じように痛むだろう。だがその足の痛さだけでもう充分だ。私はお前たちのその痛さと苦しみをわかちあう。そのために私はいるのだから』(P294より)
というシーンがナレーションとともに映像化されており、それがとても印象に残っておりました。
それから時は流れて幾星霜。本書の主人公であるセバスチャン・ロドリゴほどの苦難を経ているわけではありませんが、自分もまた、20代の半ばに自分がすべてを捨てて歩もうとした「道」を「踏み絵」よって「棄教」する瀬戸際に立たされた時、本書の中でロドリゴのかつての師であり、先んじて棄教し、沢野忠庵という日本名を与えられたクリストヴァン・フェレイラのように傍らにいた存在があったことをふと思い出し、読みながら当時のことを思い出し、口の中に苦い物を感じてしまいました。
さらに本書を読むきっかけになったのは、カトリック教徒であり、映画監督のマーティン・スコセッシが本書を映像化した『沈黙‐サイレンス‐』とそれに先んじて篠田正浩監督が1971年に『沈黙 SILENCE』として映画化された2本を観賞したことも大きかったかもしれません。
物語の舞台は『島原の乱』が鎮圧されて間もない頃の日本であり、二人のポルトガル人司祭。ロドリゴと同僚のガルペが、偉大な先達であり、また自分たちの師でもあったクリストヴァン・フェレイラが日本で『穴吊り』の拷問を受けて棄教した一報の真意を確かめるため、キリシタン禁制の厳しいことを承知で潜入を企て、実行するまでが前半部です。
日本に潜入したロドリゴとガルペを待ち受けていた過酷な運命。かつては熱心なキリスト教徒あったが、弾圧に狡知の限りを発揮する井上筑後守。ロドリゴに棄教を勧め、過去に神学校で学び洗礼を受けた通辞。この物語には欠かすことのできない存在である遠藤周作自身がモデルとなった「弱き者」の代表であるキチジロー…。
結論を言うとガルペは殉教し、ロドリゴは『穴吊り』にされる信者たちの悲惨なうめき声を獄中で聞かされ、かつて自分とほぼ同じような立場に立たされたフェレイラの言葉に苦悩の末踏み絵を踏んで棄教し、その後は岡本三右衛門の名を与えられ、「日本人」として生涯を終える…。
本書を読み終えたころ、偶然ツイッターで知り合った同志社大学の大学院生で作家で元外務省主任分析官である佐藤優氏の教え子であるHさん(彼はプロテスタントの牧師志望)という青年に
「こんにちは。平井さん。TLで分かるかとは思いますが、先日、映画『沈黙』を見ました。あれはカトリック(イエズス会)の話ですが、プロテスタントにとっても『神の沈黙』は重いテーマなのでしょうか?」
と問いかけるとHさんからは
「私も『沈黙』は見ました。日本でキリスト教に携わろうとしている身としては暗い気分になります笑。『沈黙』は「カトリックの理解」というよりも遠藤の理解です。だからこそプロテスタントの私にも伝わるものがあります。歴史的には『神の沈黙』の問いはキリスト教徒全てが担い、担ってきたものです」
という返事が返ってきて、僕は
「お答えいただきありがとうございます。なるほど。遠藤周作の理解・解釈であると…。やっぱり宗派を問わず『神の沈黙』はキリスト教徒にとって重いものだということがよく分かりました。」
とお礼の返事を返したことがありました。
実のところを言うと、本書は内容の重さゆえに今まで避けてきたのですが、旧約聖書の『伝道の書(コヘレトの言葉)』にあるように
「天が下のすべての事には季節があり、すべてのわざには時がある。」(3章1節)
ということで、本書を読む「タイミング」がちょうど「今」だったのでしょう。
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有坂汀です。偶然立ち寄ったので始めてみることにしました。ここでは私が現在メインで運営しているブログ『誇りを失った豚は、喰われるしかない。』であげた書評をさらにアレンジしてアップしております。
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- 出版社:新潮社
- ページ数:312
- ISBN:9784101123158
- 発売日:1981年10月01日
- 価格:540円
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