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バルバルス
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「俺、なにやってんだろ・・・」と思う時。

※ネタバレ注意! 以下の文には結末や犯人など重要な内容が含まれている場合があります。

 ある日突然大きな毒虫に変身した青年グレゴール・ザムザの顛末を描く『変身』と、数十日に渡る”断食芸”で一世を風靡しながら時代とともに忘れ去られ、それでも独り断食を続ける男の末路を描く『断食芸人』の二編を収録。両編ともに主人公と周囲の人物との齟齬が痛々しく、時に滑稽な文章がより読む側を鞭打つ。


 いったいグレゴールは家族にとってなんだったのだろう。虫になる前のグレゴールはけっしてぐうたらな与太者ではなく、困窮する一家を支えるべく懸命に働き、稼ぎのほとんどを家に入れ、楽器が巧みな妹を音楽学校に入れてやろうと目論んだりもしている良き息子、良き兄である。そんなグレゴールを家族はどう思っていたのだろう。また周囲は彼をどう見ていたのだろう。

 一家が困窮し始めたのは5年前の父の事業の失敗に拠るようである。グレゴールは家族を絶望のどん底から一刻も早く救うべく、異常なほどの情熱をかけて働きだし、以来一家の家計はグレゴールが支えている。父は事業の失敗以来働いておらず、この5年でめっきり齢をとった。母は喘息持ちで家の中でもぜいぜい息を切らせる有様。妹はバイオリンを弾くのがうまいだけの17歳の子供である。この一家を支えるのは俺しかいない。グレゴールはさぞ使命感に突き動かされて日々労働に勤しんでいたと思う。

 ところがグレゴールが毒虫になって以後の家族会議では、実は一家の資産は僅かとはいえ残っていたことが判明する。それはもちろんグレゴールの給料のお陰が大なのだが、とりあえず一家が1~2年は食いつなぐ分だけの財産はあったようである。それを漏れ聞いて安堵するグレゴールだが、そもそも彼はそんなこと初耳であり、家族間で”我が家の財産状況”に関する話し合いもなかったようである。なんだかテンションがすれ違っているグレゴールとその家族。

 (・・・)その金を家に持ちかえって、驚いたり喜んだりしている家族の目の前で食卓に並べてみせることができた。それはすばらしい日々だったのであって、後にグレゴールは、一家の家計をそっくり負担できるだけの金を得るようになり、実際にまた負担したのだったが、あのような日々はその後二度と、すくなくともあの輝かしさをもってしては、くりかえされることはなかった。家族もグレゴールもまさしくそれに馴れっこになってしまい、家族は感謝して金を受け取ったし、彼も喜んで渡したけれども、あの特別な心の温もりはもはや望むべくもなかった。


 俺がいなくなって家族はどうなるんだと歯噛みするグレゴール。しかしひと月もすれば父は銀行の用務員として制服に身を包んで働き始め、母は服飾店から仕事を請け負っての針仕事に精を出し、妹も服飾店の店員としての職を得たようである。苦しいながらも日々の糧は得ることに成功している家族。しかもなにやら”貧しいながらも愉しい我が家”と言わんばかりに”一家三人”の絆を修復していくかのような家族たち。次第にただの邪魔者になってゆくグレゴール。

 毒虫になった息子の姿を見て威嚇する父、恐怖する母。かつて家族のために尽くしてくれた息子への愛着は微塵も感じられず、唯一まともに彼の世話をしていた妹までが、最後にはこれを処分するしかないわと”これ”呼ばわりをする。ザムザ一家の家族としての絆はその程度のものだったのか、それとも「息子の昆虫化」というのはそんなものを吹きとばしてしまうほどの大事だったのか。

 もうこの家に自分の居場所はないのだと悟ったグレゴールは虚しいながらも安らいだ心地で死を遂げた。死因は明らかにされない。ひと月前に父から投げつけられた林檎が背中にめり込んで怪我をしているが、それが原因とも思われない。もう一家には自分が必要ないと確信したために死を迎えたように思える。

 家族は彼の死を喜び、父を始めとして家族全員が神への感謝を表明して十字を切った。それ以来家族の絆はより一層強度を増したかのよう。父も往年の活気を取り戻したかのように、それまで家計の足しにと招き入れた下宿人に対しても確固とした主人ぶりを見せつける。息子が死んだ祝いとばかりに三人そろって仕事を休んで郊外に散策に出掛けるのである。グレゴールの死によってザムザ家は再び輝きだした。

 ―よく考えてみればいまの自分たちの職場環境も満更悪くはない。あとは引っ越しさえすればより快適に暮らせるだろう。小さくて安上がりで、その代り便利で実用的な家を見つけるのだ。グレゴールが見つけてくれた今の家とは違ってな。あぁ、そういえばいつまでも子供だと思っていた娘もすっかり娘盛りじゃないか。近々良い結婚相手を見つけてやらねばならないな。見なさい、あの若く健康的な身のこなしを。あれを見ていると我々の人生にも新たな希望が見えるようじゃないか。なぁ、お前。えぇ、あなた。―

 かつて両親と妹にこの快適な住処でこういう暮らしをさせることのできた自分を、非常に誇らしく感じた息子への感傷なんてこれっぽっちも感じさせない晴れやかなラストシーンである。父などグレゴールの死後にさあ、こっちへこないか。過ぎたことはもういい加減にしとくんだ。少しはこの年寄りのことも考えてほしいなとのたまう有様である。―私は本編を読んでいて一度たりともこの親爺が家族から放っておかれていたという印象を受けたことはない。―このラストシーンの晴れやかさを読んだ瞬間、この一家にグレゴールは必要なかった、少なくともグレゴールにそう思わせるだけの何かがある家庭だったのだという印象を強くした。グレゴールは心のどこかでそんな思いを抱きながらも”なにを馬鹿な”と一笑に付しながら、家族のためにきりきり舞いしていたのではなかろうか。

 グレゴールの仕事ぶりについても疑問符が付く箇所がある。他のセールスマンを批判する鋭い言葉を読んでいると、彼はなかなかのやり手セールスマンであるように思えるが、無断欠勤の追求にやって来た部長の言に拠ればきみの最近の営業成績ときたら、まことに芳しからざるものだったなとのこと。部長が腹立ちまぎれに吐いた暴言とも取れるけれど、もしかしたらグレゴールは真面目で頑張ってるけど結果が出ない人だったのかもしれない。いや、しがない販売職からほとんど一夜にして営業職に昇進したという記述もあるし、先の部長の言にしても「最近の」と言っていることから、最近は少し落ち目というだけのことかもしれないけれど・・・。

 こんなことをくねくね書いたのは、仕事や家庭生活でもいわゆる”勢いに乗って”猪突猛進しているときに、ふっと落とし穴にはまったように自分のしていることに疑問を抱きはじめて立ち止まり、そういうタイミングにこれ幸いと、実は心のなかに燻ぶらせていた自信喪失につながりかねない諸々の疑惑に憑りつかれて、急に自分のしていることやしてきたことがまったくの無意味だったように思え、一切の自信も活力も失くしてしまうという経験が自分には少なからずあり、本作はまさにそんな状態に陥った人間の精神状態で眺めた家族の肖像とも読めるのではないかと思ったからである。読み手の属性や性格、精神状態によって様々な解釈が可能な本作(ていうか良い作品はなんでもそうだけど)、現在進行形の自分が切り取ったのは上記のような感慨。

 家族を養うために頑張る俺! 他の同僚とは一味違う俺! そういった「麻酔」が切れたとき、まるで反動のように自分がとるに足らない邪魔者・障害物・いらんことしいに過ぎないのではないかと思う時。役割に徹しているときに感ずる自信の反動としてのアイデンティティへの不安・不信に駆られる時。まさに自分が禍々しく滑稽な毒虫に過ぎないのではないかと思う時。そんな出来ることならこれ以上味わいたくはない「あるある」状態を克明に切り取った、残酷な喜劇ではないかと思った次第。


***


 続いて『断食芸人』。20ページもない小品である。数十日メシを食わない。それがどうしたというのか。現代人ならそう思ってしまうかもしれない。というか私はそう思う。凄いっちゃあ凄いけど、だからなんだ、と。しかし現代にあっても断食芸人は姿を変えて存在する。テレビをつければ”だからなんなの?”という話題で芸能人が盛り上がり、自分の周囲でも”だからなんなの?”という話題で話がたけなわである。

 そしてふと思う。”それ、俺もじゃん”と。このサイトに集う方々同様、私も(知識レベルは措いといて)本好きである。しかし日頃本を読まないという人間からすれば、読書など単なる苦行であり、ましてやそれについて文章を書くなど不可解極まりない”趣味”であろう。しかし土台”趣味”ってのはそんなもんで、分からない人間がああだこうだ言うことではない。だから周囲が自分には下らないと思う話題で盛り上がっていようと、作中の人々が断食芸を見て喝采を送ろうと不思議がる筋合いはない。

 問題は断食芸人のほうである。なぜこの男はこんなことをやっているのだろう。

 断食芸の興業は40日までと決められている。それを過ぎれば人々が興味を失ってしまうからである。しかしそれが断食芸人には不服である。自分はもっと長期間にわたって断食をすることができる。しかもそれは自分にとってなんら苦痛ではない。なぜなら自分にとって断食とはじつは芸でもなんでもなく、ただ美味いと思う食べ物がないから食べないに過ぎないからだ。

「美味いと思う食べ物」がないから食べないだけ。それが人々に芸として認められて喝采される。例えば表現を職業としている人ならどうだろう。どんな形であれ自分の内にあるもの、外にあるものを表現したいと思うのは、自分を取り巻く周囲の環境や状況に溶け込み切れないからではないか。周囲に対して違和感や疑問符を持っているからこそ、それを文章であろうが絵画であろうがそれ以外の形であろうが、吐き出したり紡ぎ出したりすることで表現が生まれるのではないか。その全てがではなくても周囲にある食べ物が美味いと思わないから、自分も含めてある種の人は表現などというメンドクサイことをするのではないか。

 断食芸人はやるとなったら40日どころではなく数十日、数百日、数千日、おそらく死ぬまで断食をすることができるのだろう。しかしそれが”芸”である以上、観客の気持ちという制約がある。どんな見世物や芸も延々と見せられては観客は飽きて金を払ってまでは見なくなるし、興行主も商売あがったりである。断食芸人は40日以上の断食も平気だと言うが、観客は40日以上も断食されても「もうええって」という心境になる。

 売文業の人間も、文章を書くのが趣味の人間も、書きたいものを書くだけ書いて人目に晒すわけではないだろう。読み手のことも考えて、できる限り手短に、できる限り要領よく、できる限り無駄を排して人様に提供する。私のような長文魔でさえ一応は推敲しているのである(←こら、”これで?”とか言わないで)。

 時代やタイミングによって人々が求めるものは変わる。断食芸が一世を風靡した世はすぐに終わり、世間から忘れ去られて誰からも顧みられなくなって初めて心行くまで断食を継続したが、それを見届けた者はどこにもおらず、満足したのはただ断食芸人独りきりである。断食芸人は芸を放棄して満足したが、そこにいるのは芸人ではなくてただの痛々しい摂食障害者である。

 断食芸人の死後、彼が入っていた檻には獰猛で生命力に溢れた黒豹が入り、人々は打って変わってそれに釘付けになった。しかしこの黒豹もまた飽きられ忘れ去られ、檻の中にはまた違う何者かが入って客を沸かせるのだろう。

「ぼくにだって食欲はあるさ」と、グレゴールは不安でいっぱいになって、独りごちた、「でも、こんなものは食べたくないね。どんなにこの間借りの紳士たちが食べようと、ぼくは食べずにくたばっていくんだ!」(『変身』)

「美味いと思う食べ物が見つからなかったからなんだ。見つかってさえいればな、世間の注目なんぞ浴びることなく、あんたやみんなみたいに、腹いっぱい食べて暮らしていただろうと思うけどね」(『断食芸人』)

 ”食べたいのに食べたいものがない”というのは何とも贅沢な悩みにして、理解されない辛い悩みだと思う。両作品とも「人と同じ物を食べることができない」、または「食べられなくなった」人間の懊悩を描きながら、コミカルな筆致であっさりと呑み込ませる。

 そして腹の中でもたれやがるのである。
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バルバルス
バルバルス さん本が好き!1級(書評数:422 件)

読書とスター・ウォーズをこよなく愛するもと本嫌いの本読みが知識もないのに好き放題にくっちゃべります。バルバルス(barbarus)とは野蛮人の意。

周りを見渡すばかりで足踏みばかりの毎日だから、シュミの世界でぐらいは先も見ずに飛びたいの・・・。というわけで個人ブログもやり始めました。

Gar〈ガー〉名義でSW専門ブログもあり。なんだかこっちの方が盛況・・・。ちなみにその名の由来h…(ry

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この書評へのコメント

  1. ごみら2018-08-05 00:31

    こんばんは。
    いつもながら長文なのに見事な考察で、一気に読ませていただきました。

    シャカリキになって取り組んでいる時って、実は自己中になっていないか、と思う時があります。自分に酔っていて。
    でも生産性が上がる時って、意外と無理のない時間スピードで、ベストというかベターを尽くしている時なんじゃないかと思った次第です。
    自己満足しているうちは、自己完結してしまっていて、他者と切り離されていますよね。
    そこが、最期の孤独な結末にも繋がった気がしました。

    不満があるからメンドクサイ「表現」をする、というのにも共感しました。
    誰しも承認欲求がありますものね。
    反応されれば、木に登ってしまうお調子者なので、私もどこかで卑しい気持ちもありますよ。

    2編とも「認められたい欲」が異常に強い人物が、病的な強迫観念に捉われた結果、自滅したと捉えました。
    幸せになるためには、個人主義って邪魔なのかもしれないと思うこの頃です。

  2. バルバルス2018-08-05 15:41

    毎度のことながら恐縮ですm(__)m

    そうですね、人間社会に生きる人間にとって何が苦しいって他者との断絶や断絶感で、それをもたらすものは突き詰めれば結局自己完結だと思います。自分のことしか見ない・見えない状況は快感だけれども、必ず周囲との断絶という副作用というか、反動に襲われて孤立感に襲われて・・・ってのが”わかっちゃいるけどやめられない”日常です。

    「承認欲求」はもう「食欲」「睡眠欲」「性欲」に並ぶ四大欲求だと思います。とくに三大欲求を比較的容易に満たすことができる現代人には「承認欲求」はトップクラスの煩悩で、自分のことも含めて周囲の人間の言動を理解するにも大きな”因数分解”の鍵になっていると思います。自分もどれだけ承認欲求に振り回されているやら・・・。→

  3. バルバルス2018-08-05 15:41

    →「幸福」は「麻痺状態」だと思うんです。個人主義には個の確立が必須で、個が確立できていない人間は個人主義に呑み込まれるだけだと思っています。ということは克己心や客観性が必要で、でもこの二つは麻痺状態に入るには邪魔でしかないなぁと。なんだか因果な話ですね。

    また長くなりましたm(__)m

  4. ごみら2018-08-05 17:12

    うーん、毎度ながら見事な推察!
    そうですね。他者との一体感を得たいのですよね、我々は。
    ラッセルの幸福論を(ホントに冒頭だけ、汗)読み始めたのですが、そういう話が出てきます。
    自分への執着がつまりは自己嫌悪に繋がり、生の本来の熱意や欲望を削いでしまうという事を。
    でも自己嫌悪というか自己を見つめなければ欠点もまた治らないのでは?と思ってしまいます。また、そこが人間らしくてやめられないというに、同じく賛同します。

    承認欲求、やっかいですよね。
    基本的な欲求が満たされている現在、実はこれが一番の問題ですよね。

    幸福が「麻痺状態」ですか。以前書評で、軽はずみにトルストイの言葉を引用しましたが、本当は逆だと思っているのです。
    「不幸の形こそ似ていて、幸福はそれぞれ価値観によって色んな形がある」と。

    個人主義、表現が上手くなかったですね。
    「他と自己をきっぱりと区別すること」、「他者と自己を切り離すこと」、→

  5. ごみら2018-08-05 17:26

    つまりは孤立に繋がることが不幸になる原因なのかと思いました。
    そうではなく、本当の個人主義って、外的要因は変えられないけれど、自分の気持ちの方向は自分が握っている、少なくとも選んでいける、というスタンスなのかもしれません。
    そういう個人主義ならいいのかも。

    客観性と克己心、いずれも大人になる過程で、後天的に身に付けるものですね。

    麻痺状態…ケとハレのハレ状態に近いのでしょうか?
    キーワードは無心、という事?没頭?
    私の頭では一気に理解できず申し訳ない(汗)。
    確かにそうならば、自己に執着しない状態が「幸せ」なのかも。

    なんだか哲学っぽくなってきましたね。
    屁理屈なら大好物なのです。バレてますよね(笑)。

    ああ、水島広子さんの著書をお勧めしたいという、誠に自己満足の欲求がムラムラと起こって参りました。
    ここ数か月実践していて、心が平和すぎて、ちょっとここらで何か飢えみたいなものが必要だと思う位なんです。 
    蛇足です。

  6. バルバルス2018-08-05 19:56

    私もああどこうだと理屈を考えるのが好きなもんで、興が乗るとつい不消化な思いまで羅列してしまいます^^;

    自己への執着と承認欲求。どちらも人を良くも悪くもしてしまい得る強力な劇薬のような感情ですね。私もすっかり中毒者です。

    確かに幸福のほうにこそ各々の価値観に応じた様々な形があるのでしょうね。私の中でも「幸福」というやつの定義がバラついています。人生のステージの移行期に感じる高揚感や、現状に対する満足感や、とりあえず文句は言えない現状への諦念や・・・といろんな形の「幸福」があるように思えて。でもいずれも細かいことは大目に見ての「ひとまずの満足」という意味では麻痺状態の様ではないかと思った次第です。→

  7. バルバルス2018-08-05 19:56

    →仰る通り、外的要因はどうすることも出来なくとも自分の気持ちや選択肢を握り続けるというのが本当の個人主義だと思います。しかしそういう心の持ちようを維持し続けるにはどうしてもどこかで意見の異なる他者とぶつかったり溝をつくってしまったり、という孤立や苦しみに陥ることが多いのだろうなと・・・。どうも頭がグルグルしてきました^^;色々と未消化なんですよね・・・。

    水島広子さん、ちょっと調べてみましたが面白そうですね。いつになるかはわかりませんがいずれ読んでみるかもしれません。

  8. ごみら2018-08-05 20:45

    ああだこうだ言う、それが楽しかったりしますよね。

    水島さんについては、すみませんでした。
    布教活動みたいなことになってしまって。
    意見の押し売りであったことを一言お詫び申し上げます。

  9. バルバルス2018-08-05 20:49

    そうなんです。つい先走ったりヒートアップしてしまったり。

    いえいえとんでもない。こういう外部刺激があるのがこういうサイトの愉しみの一つですから。

  10. サカナ男爵2018-09-30 10:52

    麻酔が切れた時の反動というのは、吾輩も身に覚えがあります。
    「あれ? ひょっとして、自分っていらない?」って思った時の、あの足元が崩れていく感は何とも言えないです。

    組織なり家族なりに一生懸命貢献しようとしていた人がいなくなることで、かえってうまく回り始めるというのは、なんとも残酷ですね。

  11. バルバルス2018-09-30 13:15

    ”それ”に気づき始めるときの「あれ?」「あれ?」「こ、これは」「痛たたたた!」っていう段階が凄くイヤですね(-"-)

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