素通堂さん
レビュアー:
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時は金、ではない。時は……
とある町の外れの円形競技場跡に、一人の少女が住んでいました。
彼女の名前はモモ。彼女には家族もなく、どこから来たのかも分かりません。
モモはまだ子どもなのに、たった一人で暮らしていました。困ったことがあれば、町の誰かが助けてくれたからです。
もちろん、モモも何かをしてもらってばかりではありません。彼女もまた、町の人々の役に立っていたのです。
といっても彼女には財産もなければ知恵もありません。ただ、彼女はありあまる時間を持っているだけ。
そして(これが何より大切なことですが)モモはその時間を誰かのために使うことを、少しも「もったいない」とか、「無駄だ」なんて思わないのでした。
だから町の人々は困ったことがあるとモモのところへ行きます。
するとモモは何も言わず、ずっと話を聞いてくれるのです。
そうすると不思議なことに、モモが何も言わなくても、誰もが問題を自分で解決することができるのでした。
さて、そんな町にある日、怪しげな男たちが現れます。
彼らは灰色の顔をして灰色のスーツ、口には葉巻をくわえていました。
男たちは町の人々に言います。
「あなたたちはまったく時間を無駄にしている! なんてもったいない! さあ、皆さん、我ら時間貯蓄銀行へあなたの時間をお預けください! 時は金なりですぞ!」
さて、そんな彼らにすっかり説得されてしまった町の人々は、みな時間を節約し、その代わりに豊かな生活を手に入れてゆきます。
だけど、時間を倹約しているのにも関わらず、むしろそうすればするほど、人々はいっそう忙しくなっていきます。
なぜなら、時間貯蓄銀行の男たちは、人々が節約した時間をすっかり奪っていたからです。
これではいけない! モモは亀のカシオペイアと共に、時間を管理するマイスター・ホラの元に向かうのでした。
「時は、金なり」という格言があります。
その起源はギリシャの哲学者ディオゲネスにまで遡ることができるようですが、この言葉が有名になったきっかけは、1733年にベンジャミン・フランクリンが出版したカレンダー「貧しきリチャードの暦」のようです。
お金持ちになりたければ、時間がお金であることを知りなさい。
この物語は、そんな格言に対する作者エンデの異議申し立てだと言えるでしょう。
時間がお金のようなものであるならば、時間を貯蓄することができるはずです。そしてそれを運用することも。
だけど世の中には時間を節約する方法はたくさんあるのに、そうして生まれたはずの「余った時間」の扱い方については、誰も教えてくれません。
それどころか、誰もが皆、時間を節約すればするほど、より忙しくなっていくようです。
まるで時間を節約しているというよりも、むしろ時間を奪われているかのように。
もしも時間がお金であるならば、その時間は自分のためだけに使うことこそが正しい運用法なのかもしれません。
もしくは、誰かの時間を奪うことが。
では、もしもエンデが言うように「時は金、ではない」としたら、時間とは一体どのようなものでしょうか。
モモはマイスター・ホラの元で「時間」を見るのでした。そして、思わずこう言うのです。
モモは灰色の男たちを追跡するとき、片手に一輪の花を持ちます。
それはモモの花。モモの、自分だけの時間の象徴として。
エンデに言わせれば、こういうことなのかもしれません。
「時は、花なり」
花が咲くためには、肥やしがいります。
そして花に肥やしをやれば、その肥やしはやがてなくなりますね。過ぎ去った時間がもう取り戻せないように。
でもその肥やしはどこかに消えてなくなったのではなく、花の中に栄養となって残っているのです。
もちろん、肥やしだけたくさん持っていても仕方のないこと。花を育てるには、土壌が必要でしょう。
僕たちの心、という土壌が。
でも、それだけではありません。
土壌があり、肥やしがあっても、花は、それだけでは咲くことはできません。
太陽や、水がなければいけない。どこか外の世界から与えてもらう力がなければ。
誰かの優しい言葉をかけてもらったり、誰かに何かをしてもらったり、そういうことがあってこそ、花は咲くことができる=僕たちの思い出は生まれるのです。
去りゆく時、めぐり来る時、時間は誰にでも平等に訪れます。
だけど、例えば一年という時間、誰にとっても同じその時間の中で、僕たちは自分だけの花を咲かせることができるのですね。
昨年はこちらに参加したことで、僕は本当に皆さまから素敵な花を咲かせていただきました。
それらの思い出は決して枯れることなく、いつまでも心の中に咲き続けていきます。
これからもマイペースに参加させていただく所存でございます。
今年もどうぞ、よろしくお願いいたします。
そして今年一年、皆さまの心の中に色とりどりの花が咲き乱れますように!!
Happy New Year!!!
彼女の名前はモモ。彼女には家族もなく、どこから来たのかも分かりません。
モモはまだ子どもなのに、たった一人で暮らしていました。困ったことがあれば、町の誰かが助けてくれたからです。
もちろん、モモも何かをしてもらってばかりではありません。彼女もまた、町の人々の役に立っていたのです。
といっても彼女には財産もなければ知恵もありません。ただ、彼女はありあまる時間を持っているだけ。
そして(これが何より大切なことですが)モモはその時間を誰かのために使うことを、少しも「もったいない」とか、「無駄だ」なんて思わないのでした。
だから町の人々は困ったことがあるとモモのところへ行きます。
するとモモは何も言わず、ずっと話を聞いてくれるのです。
そうすると不思議なことに、モモが何も言わなくても、誰もが問題を自分で解決することができるのでした。
さて、そんな町にある日、怪しげな男たちが現れます。
彼らは灰色の顔をして灰色のスーツ、口には葉巻をくわえていました。
男たちは町の人々に言います。
「あなたたちはまったく時間を無駄にしている! なんてもったいない! さあ、皆さん、我ら時間貯蓄銀行へあなたの時間をお預けください! 時は金なりですぞ!」
さて、そんな彼らにすっかり説得されてしまった町の人々は、みな時間を節約し、その代わりに豊かな生活を手に入れてゆきます。
だけど、時間を倹約しているのにも関わらず、むしろそうすればするほど、人々はいっそう忙しくなっていきます。
なぜなら、時間貯蓄銀行の男たちは、人々が節約した時間をすっかり奪っていたからです。
これではいけない! モモは亀のカシオペイアと共に、時間を管理するマイスター・ホラの元に向かうのでした。
「時は、金なり」という格言があります。
その起源はギリシャの哲学者ディオゲネスにまで遡ることができるようですが、この言葉が有名になったきっかけは、1733年にベンジャミン・フランクリンが出版したカレンダー「貧しきリチャードの暦」のようです。
お金持ちになりたければ、時間がお金であることを知りなさい。
この物語は、そんな格言に対する作者エンデの異議申し立てだと言えるでしょう。
時間がお金のようなものであるならば、時間を貯蓄することができるはずです。そしてそれを運用することも。
だけど世の中には時間を節約する方法はたくさんあるのに、そうして生まれたはずの「余った時間」の扱い方については、誰も教えてくれません。
それどころか、誰もが皆、時間を節約すればするほど、より忙しくなっていくようです。
まるで時間を節約しているというよりも、むしろ時間を奪われているかのように。
もしも時間がお金であるならば、その時間は自分のためだけに使うことこそが正しい運用法なのかもしれません。
もしくは、誰かの時間を奪うことが。
では、もしもエンデが言うように「時は金、ではない」としたら、時間とは一体どのようなものでしょうか。
モモはマイスター・ホラの元で「時間」を見るのでした。そして、思わずこう言うのです。
「あたし、ちっとも知らなかった。人間の時間があんなに……」――ぴったりすることばをさがしましたが、見つかりません。しかたなく、こうむすびました――「あんなに大きいなんて」
モモは灰色の男たちを追跡するとき、片手に一輪の花を持ちます。
それはモモの花。モモの、自分だけの時間の象徴として。
エンデに言わせれば、こういうことなのかもしれません。
「時は、花なり」
花が咲くためには、肥やしがいります。
そして花に肥やしをやれば、その肥やしはやがてなくなりますね。過ぎ去った時間がもう取り戻せないように。
でもその肥やしはどこかに消えてなくなったのではなく、花の中に栄養となって残っているのです。
もちろん、肥やしだけたくさん持っていても仕方のないこと。花を育てるには、土壌が必要でしょう。
僕たちの心、という土壌が。
でも、それだけではありません。
土壌があり、肥やしがあっても、花は、それだけでは咲くことはできません。
太陽や、水がなければいけない。どこか外の世界から与えてもらう力がなければ。
誰かの優しい言葉をかけてもらったり、誰かに何かをしてもらったり、そういうことがあってこそ、花は咲くことができる=僕たちの思い出は生まれるのです。
去りゆく時、めぐり来る時、時間は誰にでも平等に訪れます。
だけど、例えば一年という時間、誰にとっても同じその時間の中で、僕たちは自分だけの花を咲かせることができるのですね。
昨年はこちらに参加したことで、僕は本当に皆さまから素敵な花を咲かせていただきました。
それらの思い出は決して枯れることなく、いつまでも心の中に咲き続けていきます。
これからもマイペースに参加させていただく所存でございます。
今年もどうぞ、よろしくお願いいたします。
そして今年一年、皆さまの心の中に色とりどりの花が咲き乱れますように!!
Happy New Year!!!
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twitterで自分の個人的な思いを呟いてたら見つかってメッセージが来て気持ち悪いのでもうここからは退散します。きっとそのメッセージをした人はほくそ笑んでいることでしょう。おめでとう。
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- 出版社:岩波書店
- ページ数:409
- ISBN:9784001141276
- 発売日:2005年06月16日
- 価格:840円
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