hackerさん
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主演女優ルイズ・ブルックスの名前を映画史に刻んだ無声映画『パンドラの箱』(1929年)の原作です。
本書のことは、ゆうちゃんさんの書評で知りました。感謝いたします。
まず、映画の話から始めます。オーストリア出身のG・W・パプスト(1885-1967)は、無声映画時代から活躍した映画監督ですが、その代表作として必ず挙がるのが『パンドラの箱』(1929年)です。しかし、パプストの代表作というより前に、主演のルルを演じたルイズ・ブルックスの名を長く後世に残すことになって映画というべきでしょう。殊に、この映画における彼女のボブ・ヘアの髪形は、一種のアイコンとして映画界では知られるようになり、ゴダールも、アンナ・カリーナが売春婦を演じた『女と男のいる舗道』(1962年)でも、マーシャ・メリルが不倫をする人妻を演じた『恋人のいる時間』(1964年)でも、ヒロインにこの髪形をさせています。そして、映画『パンドラの箱』の原作「ルル二部作」が、本書になります。
本書は、『地霊』(1896年)と、その続篇『パンドラの箱』(1904年)という二つの戯曲が収められています。作者のフランク・ヴェデキント(1864-1918)は、この二部作を完成させるのに、10年かかったそうです。作者の出生地はハノーファー王国でしたが、この国は1866年にプロイセンに吸収されました。父親は長年アメリカで医業に携わっていた人物で、アメリカ国籍を所有しており、作者が幼少の頃、スイスに移住しています。つまり、単純なドイツ生まれのドイツ育ちという経歴の持ち主ではありません。このことが、本書に感じられるドイツ社会への冷めた眼の一因ではないかと、訳者による解説では述べられています。
この二部作は、簡単に言うと、ルルという女性をめぐり、彼女の魅力に憑かれた男女が、次々に破滅したり死を迎えたりするという話です。ルルは、感情のおもむくままに、ほとんど誰とでも寝ます。ただ、「体を売って金をもらったことはない」と言い、売春だけはしていなかったのですが、『パンドラの箱』のラストでは、食べるためにやむを得ず体を売るようになり、ジャック・ザ・リッパーを連想するジャックという客に殺されてしまいます。
映画を最初に観た時に驚いたのは、ルルの生き様よりも、レズビアンをしっかり描いていることで、おそらく同性愛をはっきり描いた最初の映画の一本ではないかと思います。原作を読んだのは今回初めてなのですが、これは原作でも描写されていたことで、舞台でこれを演じるのは、時代を考えると、かなり画期的な戯曲だったことが分かります。レズビアンだけでなく、半ズボンをはいた15歳の少年を見て「変な気になってくるよ」という、ホモセクシュアルを感じさせる登場人物もいます。
ルルの素性については、あまり語られておらず、10歳の頃から裸足で花を売っていたというぐらいです。父親とされるシゴルヒという男は、実父なのか、義父なのかはっきりしませんが、この二人が肉体関係がありました。また、ルルは三番目の夫を射殺し、後に夫の連れ子を愛人にしたりします。現代劇でもあまりお目にかかれないぐらい、自由奔放なキャラクターですが、『パンドラの箱』の中で、作者は、登場人物の一人にこう言わせています。
「この国の現代文学がどうしようもないのは、あまりに文学的すぎるからなんだ。僕らは作家や学者のあいだで問題になるような問題しか扱わない。同業者仲間の見方でしたものが見れない。もう一度力強い偉大な芸術に辿りつくつもりならば、できるだけ、本などは決して読んだこともない人間とつきあうようにしなければ駄目だ。ただただ単純な動物的本能に従って行動するような人間とつきあわなければね」
ですから、執筆当時には、演劇の世界では普通は考えられなかったようなこういう展開は、かなり意識していたことが分かります。
また、訳者は、技法的な面でも本書は注目すべき点が多いことを指摘しています。例えば、『地霊』は四幕劇ですが古典的な「場」が設定してあるのに対し、三幕劇の『パンドラの箱』には「場」が設定されていません。こうすると、時間の連続性を強調することになるわけで、湯水のように金を使っていたルルとその取り巻きの転落の速さや、売春婦となったルルが次から次へと客を取る様の一種の凄まじさを、観客は感じ取るようになります。また、次のような訳注もあります。
「(『パンドラの箱』の)第一幕の前半は、対話形式にはなっているが、対話はほとんど嚙みあわず、それぞれの人物がモノローグをしゃべっている。ヴェデキントは、こういう『すれちがいの会話』の創始者であった」
現在では、珍しくなくなった「すれちがいの会話」の起源が『パンドラの箱』だというのは、初めて知りました。そういう点でも、興味深い作品でした。ただ、これは仕方ないのですが、今読むとなると、ここで述べたことにあまり驚かなくなってしまっている、ということはあります。それでもやはり、パイオニア的意味合いも含め、演劇の歴史の中では重要な作品であるのは、間違いないと思います。
まず、映画の話から始めます。オーストリア出身のG・W・パプスト(1885-1967)は、無声映画時代から活躍した映画監督ですが、その代表作として必ず挙がるのが『パンドラの箱』(1929年)です。しかし、パプストの代表作というより前に、主演のルルを演じたルイズ・ブルックスの名を長く後世に残すことになって映画というべきでしょう。殊に、この映画における彼女のボブ・ヘアの髪形は、一種のアイコンとして映画界では知られるようになり、ゴダールも、アンナ・カリーナが売春婦を演じた『女と男のいる舗道』(1962年)でも、マーシャ・メリルが不倫をする人妻を演じた『恋人のいる時間』(1964年)でも、ヒロインにこの髪形をさせています。そして、映画『パンドラの箱』の原作「ルル二部作」が、本書になります。
本書は、『地霊』(1896年)と、その続篇『パンドラの箱』(1904年)という二つの戯曲が収められています。作者のフランク・ヴェデキント(1864-1918)は、この二部作を完成させるのに、10年かかったそうです。作者の出生地はハノーファー王国でしたが、この国は1866年にプロイセンに吸収されました。父親は長年アメリカで医業に携わっていた人物で、アメリカ国籍を所有しており、作者が幼少の頃、スイスに移住しています。つまり、単純なドイツ生まれのドイツ育ちという経歴の持ち主ではありません。このことが、本書に感じられるドイツ社会への冷めた眼の一因ではないかと、訳者による解説では述べられています。
この二部作は、簡単に言うと、ルルという女性をめぐり、彼女の魅力に憑かれた男女が、次々に破滅したり死を迎えたりするという話です。ルルは、感情のおもむくままに、ほとんど誰とでも寝ます。ただ、「体を売って金をもらったことはない」と言い、売春だけはしていなかったのですが、『パンドラの箱』のラストでは、食べるためにやむを得ず体を売るようになり、ジャック・ザ・リッパーを連想するジャックという客に殺されてしまいます。
映画を最初に観た時に驚いたのは、ルルの生き様よりも、レズビアンをしっかり描いていることで、おそらく同性愛をはっきり描いた最初の映画の一本ではないかと思います。原作を読んだのは今回初めてなのですが、これは原作でも描写されていたことで、舞台でこれを演じるのは、時代を考えると、かなり画期的な戯曲だったことが分かります。レズビアンだけでなく、半ズボンをはいた15歳の少年を見て「変な気になってくるよ」という、ホモセクシュアルを感じさせる登場人物もいます。
ルルの素性については、あまり語られておらず、10歳の頃から裸足で花を売っていたというぐらいです。父親とされるシゴルヒという男は、実父なのか、義父なのかはっきりしませんが、この二人が肉体関係がありました。また、ルルは三番目の夫を射殺し、後に夫の連れ子を愛人にしたりします。現代劇でもあまりお目にかかれないぐらい、自由奔放なキャラクターですが、『パンドラの箱』の中で、作者は、登場人物の一人にこう言わせています。
「この国の現代文学がどうしようもないのは、あまりに文学的すぎるからなんだ。僕らは作家や学者のあいだで問題になるような問題しか扱わない。同業者仲間の見方でしたものが見れない。もう一度力強い偉大な芸術に辿りつくつもりならば、できるだけ、本などは決して読んだこともない人間とつきあうようにしなければ駄目だ。ただただ単純な動物的本能に従って行動するような人間とつきあわなければね」
ですから、執筆当時には、演劇の世界では普通は考えられなかったようなこういう展開は、かなり意識していたことが分かります。
また、訳者は、技法的な面でも本書は注目すべき点が多いことを指摘しています。例えば、『地霊』は四幕劇ですが古典的な「場」が設定してあるのに対し、三幕劇の『パンドラの箱』には「場」が設定されていません。こうすると、時間の連続性を強調することになるわけで、湯水のように金を使っていたルルとその取り巻きの転落の速さや、売春婦となったルルが次から次へと客を取る様の一種の凄まじさを、観客は感じ取るようになります。また、次のような訳注もあります。
「(『パンドラの箱』の)第一幕の前半は、対話形式にはなっているが、対話はほとんど嚙みあわず、それぞれの人物がモノローグをしゃべっている。ヴェデキントは、こういう『すれちがいの会話』の創始者であった」
現在では、珍しくなくなった「すれちがいの会話」の起源が『パンドラの箱』だというのは、初めて知りました。そういう点でも、興味深い作品でした。ただ、これは仕方ないのですが、今読むとなると、ここで述べたことにあまり驚かなくなってしまっている、ということはあります。それでもやはり、パイオニア的意味合いも含め、演劇の歴史の中では重要な作品であるのは、間違いないと思います。
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「本職」は、本というより映画です。
本を読んでいても、映画好きの視点から、内容を見ていることが多いようです。
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- 出版社:岩波書店
- ページ数:310
- ISBN:9784003242919
- 発売日:1984年12月17日
- 価格:735円
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