すずはら なずなさん
レビュアー:
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純粋で残酷な幼さもまた それはそれで更に怖ろしい。
漫画や昔話、そのほかの本に出てくる幼く可愛らしいお姫様も「~じゃ」「~だぞよ」なんて語尾で話すものがある。私はこの福田恆存訳サロメしか読んだことがないので 「なのだよ」「だよ」というサロメの話し方がさほど「少女らしくない」と思ったことも無かった。(16歳だと改めて聞くとそんなにまだこどもだったのかも思うけれど)
ビアズレーの挿絵は独特の雰囲気があって好きなのだけれど、描かれている女性(サロメ)は 現代日本の「可愛い」文化の中で捉えたらおよそ「美少女」の枠に入るものではない。
けれど、そんなことも置いておいて、この薄い本の内容の濃さ、耳に残る台詞、印象深さは圧倒的だ。
サロメの台詞。預言者の声、肌、髪などを順に褒めては拒まれ、拒まれてはけなし、また別の部位を褒め、の繰り返し、そしてまたサロメの要望を別のものに変えようとするヘロデ王と「ヨカナーンの首を」と、譲らないサロメとのやりとり。
月の様子を差し挟むことで 醸し出される美しさと怪しさ。
もともとは聖書の記述でヘロディアの娘(王女)が踊りの褒美に聖者ヨハネの首を所望し、ヨハネが処刑された下りがあるという。短い記述で、ヨハネの処刑は王妃であり母のヘロディアの言うとおりにしたまでのこととなっている。
そこに少女の「恋心」を絡めて物語を再構築したワイルドの発想が凄いと思うのだ。
誰をも魅了する美しい少女の姫、義理の父である王から汚れた大人の目で愛でられることは彼女には何の罪もない。夫の目を娘のサロメから離そうとするヘロディアの台詞は 子供を守る母のものでもあり、若い娘に嫉妬する女のものでもある。
その関係性の中に入ってくるのが王と王妃の婚姻を否定する聖者。(王妃はもとヘロデの兄嫁であり 律法で許されていない)。だが王は聖者に畏怖を感じ、捕えたもののどうすることもできないでいる。声に耳を傾けてさえいるのだ。王妃は自分を悪く言うヨカナーンを疎ましく思い、同じように思ってくれない王に対しいらだちを隠せない。
だが、ヨカナーンの首を欲したのは この物語ではサロメ自身だ。はっきりと、高らかに。
ヘロデのどんな他の褒美の申し出にもなびかない。欲しいのはヨカナーン。
ヨカナーン、ではあるのだが ヨカナーンの「皿に載せた首」なのだ。
叶わない恋、傷ついたプライド。支配欲、独占欲。
ひたすら恋する純粋な少女だと思えば一層 その変容が怖いのだ。
生首にキスする図をおぞましいと思いそれを狂気と呼ぶか それでも「純愛」というのか。
比較的短い台詞のやりとりで、ぐいぐい読者(観客)を惹きつけ 怒涛のラストまで連れて行く。ワイルドの傑作だと思う。
新訳が光文社から出ていると聞く。探したがまだ手にしていない。
野田秀樹が現代風アレンジを加え、多部未華子がサロメを演じる舞台もあるそうだ。
いまどきの言葉をはつらつとして語る「新しいサロメ」も気になるので、他の訳と読み比べたり、色々な舞台も観てみたいと思う。
ビアズレーの挿絵は独特の雰囲気があって好きなのだけれど、描かれている女性(サロメ)は 現代日本の「可愛い」文化の中で捉えたらおよそ「美少女」の枠に入るものではない。
けれど、そんなことも置いておいて、この薄い本の内容の濃さ、耳に残る台詞、印象深さは圧倒的だ。
サロメの台詞。預言者の声、肌、髪などを順に褒めては拒まれ、拒まれてはけなし、また別の部位を褒め、の繰り返し、そしてまたサロメの要望を別のものに変えようとするヘロデ王と「ヨカナーンの首を」と、譲らないサロメとのやりとり。
月の様子を差し挟むことで 醸し出される美しさと怪しさ。
もともとは聖書の記述でヘロディアの娘(王女)が踊りの褒美に聖者ヨハネの首を所望し、ヨハネが処刑された下りがあるという。短い記述で、ヨハネの処刑は王妃であり母のヘロディアの言うとおりにしたまでのこととなっている。
そこに少女の「恋心」を絡めて物語を再構築したワイルドの発想が凄いと思うのだ。
誰をも魅了する美しい少女の姫、義理の父である王から汚れた大人の目で愛でられることは彼女には何の罪もない。夫の目を娘のサロメから離そうとするヘロディアの台詞は 子供を守る母のものでもあり、若い娘に嫉妬する女のものでもある。
その関係性の中に入ってくるのが王と王妃の婚姻を否定する聖者。(王妃はもとヘロデの兄嫁であり 律法で許されていない)。だが王は聖者に畏怖を感じ、捕えたもののどうすることもできないでいる。声に耳を傾けてさえいるのだ。王妃は自分を悪く言うヨカナーンを疎ましく思い、同じように思ってくれない王に対しいらだちを隠せない。
だが、ヨカナーンの首を欲したのは この物語ではサロメ自身だ。はっきりと、高らかに。
ヘロデのどんな他の褒美の申し出にもなびかない。欲しいのはヨカナーン。
ヨカナーン、ではあるのだが ヨカナーンの「皿に載せた首」なのだ。
叶わない恋、傷ついたプライド。支配欲、独占欲。
ひたすら恋する純粋な少女だと思えば一層 その変容が怖いのだ。
生首にキスする図をおぞましいと思いそれを狂気と呼ぶか それでも「純愛」というのか。
比較的短い台詞のやりとりで、ぐいぐい読者(観客)を惹きつけ 怒涛のラストまで連れて行く。ワイルドの傑作だと思う。
新訳が光文社から出ていると聞く。探したがまだ手にしていない。
野田秀樹が現代風アレンジを加え、多部未華子がサロメを演じる舞台もあるそうだ。
いまどきの言葉をはつらつとして語る「新しいサロメ」も気になるので、他の訳と読み比べたり、色々な舞台も観てみたいと思う。
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実家の本棚の整理を兼ねて家族の残した本や自分の買ったはずだけど覚えていない本などを読んでいきます。今のところ昭和の本が中心です。平成にたどり着くのはいつのことやら…。
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- 出版社:岩波書店
- ページ数:104
- ISBN:9784003224526
- 発売日:2000年05月01日
- 価格:378円
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