ちょっぴりお堅い研究論文風の構成ではあるが、そこはそれ、昔懐かしい物語の主人公たちが、それぞれの世界にしっかり連れて行ってくれる。
たとえば『若草物語』の四人姉妹。
ジョーとベス、メアリーとエミリーの組み合わせは容易に想像がつくし、メアリーとジョーも年の近さから共通項があるのはわかるが、あのジョーとあのエミリーにこういう共通点があったとは!ちょっと思いつかなかったなあ。
『家なき娘』の主人公ペリーヌの亡き母はインド人で亡父はフランス人。
彼女は幼年期をインドで過ごしはしたが、母語のフランス語の他に母から教えられた英語を武器に世渡りをしていくバイリンガル。
フランスの男性作家が描いたこの物語には、空想的社会主義思想が反映されているという。
一方まるで生粋のフランス人のようなフランス語を話すという『小公女』のセーラは、幼年期をインドで過ごしたイギリス人。
英国社会の外からきた普通のイギリス人の少女らしくない女の子は、社会の矛盾を指摘し、その行き詰まりを打開し、制度を問い直し批判と革新を担うことができるという役どころ。
しかしこれまた、最後には結構こじんまりとまとまったレディになってしまうのよねえ。
そしてみんな大好き(?)『赤毛のアン』。
実をいうと私はこの物語が昔からすごく苦手だった。
それにしてもリンドグレーンの『長くつ下のピッピ』が、赤毛のアンのパロディだったという説は有名だったの?!私は初耳!!
そう言われてみれば、思い当たる節が。
思えば私も、ピッピに先に惚れたから、アンが尚更苦手だったのかもしれないなあ。
そしてまた『続・あしながおじさん』と『ジェイン・エア』の危ない関係に思わずのけぞる?!
気に入った少女を好きなように教育し、十分育ったところで妻に迎えるといういわゆるピグマリオン・コンプレックスは一見男性のファンタジーのように思えるのに、それを描くのはいつも女性作家だという指摘は非常に興味深い。
そうそう、私も常々思っていたのよ!
あしながおじさんのジュディはなぜ作家にならずに、資産家夫人に収まってしまったのかって!
まあこんな具合に、それぞれの物語を書かれた時代と照らして分析するその過程はわかりやすく、面白いく、思わずあれもこれも改めて読んでみたくなってしまう。
もっともネタとしての面白さは十分あるものの、書かれた時代と密接な関係を持っているのはなにも少女小説だけではないわけで、それで結局……という「総論」としてのインパクトが今ひとつ弱いような気がしないでもなかった。



本も食べ物も後味の悪くないものが好きです。気に入ると何度でも同じ本を読みますが、読まず嫌いも多いかも。2020.10.1からサイト献本書評以外は原則★なし(超絶お気に入り本のみ5つ★を表示)で投稿しています。
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この書評へのコメント
- keena071511292018-01-26 20:03
>幼年期をインドで過ごし
『秘密の花園』の主人公
メアリーもこのクチですが
この共通性に何か意味はあるのでしょうか?
>あしながおじさんのジュディはなぜ作家にならずに
>資産家夫人に収まってしまったのか
僕は『赤毛のアン』のアンについて
全く同じ意見を持っていて
奨学金を受けることが出来るほど
優秀なアンでしたが
結局 単なる主婦に収まっています
奨学金というのは
その人の将来性への投資だと思いますが
アンの勉学欲を満たすだけで終わってしまいました
高校生の頃に読んだときは気がつかなかったのですが
大人になって読んでみると
この作品は何か“イヤな感じ”がします
出来事がアンにとっていろいろ都合が良過ぎるんですよね
クリックすると、GOOD!と言っているユーザーの一覧を表示します。 - かもめ通信2018-01-26 21:46
ヒロインが幼年期をインドで過ごすという設定は
当時の「世相」という共通性の他に
きっちりと分け隔てられていた階層や世間的なタブーを打ち破る存在として
インドで育った“常識外れな”ヒロインが求められていたからだとありましたね。
実際のところインド育ちの子どもたちの話す英語はどうしても訛りがちなので
子どもだけでも英国に送り返して
上流階級にふさわしい英語を身につけさせる必要があるともされていたようです。
ジュディやアンの“その後”については
やはり時代的な制約や作者の限界などいろいろあるのでしょうね。
この本でもその辺のことにも多少は触れられていました。
また先日読んだ本にもありましたが児童文学の場合は特に
子どもに買い与える大人の意向にもある程度添うことを求められるという
問題も大きいのかもしれせんね。クリックすると、GOOD!と言っているユーザーの一覧を表示します。 - keena071511292018-01-27 06:40
>>かもめ通信さん
奨学金は他者の援助で勉学するものです
ならば奨学金で学んだ者は
それを他者に還元する義務があるのではないでしょうか?
そういう意味では“単なる会社員”でも駄目だと思います
別に弁護士や学者になるとか
そういうことだけではなくて
小さなことで良いのでも“借りを返す姿勢”を
見せて欲しかったですクリックすると、GOOD!と言っているユーザーの一覧を表示します。 - かもめ通信2018-01-27 07:34
“社会貢献”とはなにか、という問題に踏み込むとまたちょっとややこしいことになりそうなので、そもそもの本題にもどしますが、たしかアンは、奨学金の受給資格は得たものの、そのまま大学には進学しなかった…と記憶しているのですが、違ったでしょうか?
随分昔に一度読んだきりなので間違っているかもしれませんが、マシューが死に一度は進学を諦めて教師となり、その後お金を貯めて再び大学をめざし、卒業後は校長にもなったのではなかったかと…。
確かにその後、結婚をし多くの子をもうけて“主婦”とはなりましたが、「職業婦人」と母親業とはなかなか両立できない時代でもあったのではないかと思います。
私は「赤毛のアン」は苦手でしたが、アンはよくやったと思った記憶が。クリックすると、GOOD!と言っているユーザーの一覧を表示します。 - keena071511292018-01-27 22:00
>奨学金の受給資格は得たものの
>そのまま大学には進学しなかった
あれ そうだったかな?
僕は3回くらいこの作品を読んでいますが
読めば読むほど嫌いになっていったので
記憶が歪んでいるのかもしれませんクリックすると、GOOD!と言っているユーザーの一覧を表示します。 - keena071511292018-01-28 21:38
>>かもめ通信さん
>苦手なのに3回も読んだ
僕はこの作品が好きだったんですよね
だから元々 村岡花子訳を持っていて
松本侑子訳が出たときに
両者を見比べながら読み返してみました
すると昔は気づかなかった
この作品のイヤな部分が次々に見えてきて
昔のように「好き」と言えなくなってしまいました
今回 かもめ通信さんとやり取りする中で
「僕はこの作品が嫌いになってしまったんだな」と
改めて自覚しました
いつになるか解りませんが
近いうちに『赤毛のアン』を読み返して
今の僕の考えを書評にまとめてみようと思います
ちなみに僕が嫌いなのは“アン・シャーリー”という
キャラクターではなく
ルーシー・モンゴメリという作者の人間性です
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