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紅い芥子粒
レビュアー:
戦争で家を焼かれ親を亡くした子どもたちの心は、どれほど痛めつけられていたことか。冷酷で残忍で卑怯な昌吉の心も。
児童養護施設で育った作者の自伝的小説。

ナザレト・ホームという名の児童養護施設を出て二十数年が経ち、いまはテレビ局で働いている利雄。久しぶりに、ホームを訪れた。

懐かしくて来たわけではなかった。そこにあるのは、忌まわしい思い出。
たまたま近くへ来たので、外から様子を見るだけで帰るつもりだったのに。
むかし世話になった修道士にみつかり、中に招き入れられた。

利雄がナザレト・ホームに来たのは、昭和24年の春、中学三年生になったとき。
母ひとり子ひとりの暮らしだったが、その母が結核療養所に入院したからだった。

タイトルの四十一番とは、利雄が施設からもらった洗濯番号だった。
他の子のものとまちがわないよう、洗濯物につける番号だが、その番号が施設で子どもを指す代名詞のようになっていた。
洗濯番号は、入所した順に一番から順につけられる。
利雄は、ナザレト・ホームの四十一番目の入所者なのだった。

ホームの事務室には、当時から二十余年経っても、一番から順に洗濯番号の木札がかけられていた。
一番、二番、三番……番号と下に記された名前を見ていくと、ひとりひとりの顔と、ああ、あいつはこんなやつだったと、なつかしさが浮かぶ。しかし。
十五番にきたとき、利雄の心は凍りついた。

十五番は同室の先輩、昌吉。ホームの仕事をしながら大学受験勉強をしていた。
大学に行くお金なんてあるはずもなく、支援してくれる人もいないのに。
鬱屈した感情のはけぐちにされたのか、利雄は昌吉から執拗ないじめを受けた。
陰湿な暴力。そして、取り返しのつかない結果を招いた重大な事件……


ナザレト・ホームは、けっして悪いところではない。ちゃんとごはんを食べさせてくれるし、学校へも行かせてくれる。望めば高校まで行かせてくれる。
しかし、時代は昭和24年。戦争で家を焼かれ親を亡くした子どもたちの心は、どれほどいためつけられていたことか。残忍で冷酷で卑怯な昌吉の心も。

ホームを出て二十余年が経ち、番号の木札たちに再会した利雄。風に揺れる木札たちがぶつかり合う音に耳を傾ける。それは、当時の子どもらが笑いさざめく声にも聞こえる。しかし、昌吉の木札からは、何の音も聞こえてこないのだった。


他に「汚点」「あくる朝の蝉」が収載されている。
二作とも養護施設でのいじめを扱っている。
「あくる朝の蝉」で、主人公の少年が祖母にひきとりを懇願する場面がある。
「あそこ(施設)に居るしかないと思えばちっともいやなところじゃないよ。先生もよくしてくれるし、学校へも行けるし、友だちもいるしね」
「そりゃそうだねぇ。文句を言ったら罰が当たるもの」
「で、でも、行くあてが少しでもあったら一秒でも我慢できるようなところでもないんだ。ばっちゃ、考えといてください。お願いします」
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紅い芥子粒
紅い芥子粒 さん本が好き!1級(書評数:563 件)

読書は、登山のようなものだと思っています。読み終わるまでが上り、考えて感想や書評を書き終えるまでが下り。頂上からどんな景色が見られるか、ワクワクしながら読書という登山を楽しんでいます。

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