すずはら なずなさん
レビュアー:
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ほんの少しの偶然で、出会った人と過ごすいくつかの時間。
歪みやずれや奇妙さはごく普通の現実と隣り合っていて、ほのかな居心地の悪さと、静かな安らぎを読者に与える。
どの物語も小さな違和感を抱えている。
ファンタジーとか夢または 特定の登場人物のこころの病や歪みと捉えてしまうのは少し違う。主人公や他の登場人物が、そういった「奇妙とも思える」出来事や、たまたま出会った相手の語る思い出話、ささいな小道具に対して 読者と同じく少しだけ違和感を感じつつも、「受け入れる」からなのかもしれない。
そして読者もまたそういう小さな「歪み」や「奇妙さ」「不気味さ」を抱えた作者の世界に 惹かれ、やがてはここでしか得られないような「居心地の良さ」まで感じてしまうのだ。
飛行機で隣り合わせた異国の老婦人は亡くなった日本のペンフレンドを訪ねたという。ペンフレンドの写真は本人とは違う俳優のものだったけれど がっかりしたり怒るわけでもない彼女の挿話はほほえましい。でも小さな老婦人に合わせて 持ち物や食べ物まで小さく見えるというその様子やカバンから出てくる沢山のものの羅列などが微妙な非現実感を、そしてその後 彼女が異変をきたし、隣り合わせて話を聞いていたただけの関係のその男の腕で息絶えてしまう展開は 日常的な感覚だけでは捉えきれない。
認知症の人たちのアコーディオンの音が響く狭い路地の「お料理教室」には 排水管掃除の業者がやって来る。詰まった汚物(野菜の切れ端やタコの足といったもの)がどんどんシンクに逆流して溜まっていく。そういったことすら 事件では無く、「当たり前」のような風景となる。
野菜売りのおばあさんにもらった不思議な植物はやがて発光し出し、訪ねて行ってもおばあさんの住んでいるはずの場所には家も畑もない。
背泳ぎの選手の弟は狭い隙間がお気に入りだ。やがて彼は片手を上げた状態で下すことができないままになり、水泳を諦めざるを得なくなる。その腕の「結末」。
匂いを収集する恋人は さまざまな匂いとその素となるものをビンに詰めて保管している。その匂いと素の細々とした記述。偏執的とも感じられる収集の中に見つけたもの。
ふとしたことで知り合った少女と中年の男性はささやかな逢瀬を重ねる。彼の家のハムスターは病気で「まぶた」を手術で切り取られ目をつぶることがない。
異国のそっくりな双子の老人は支えあって生きている。足の悪い弟の方はずっと家から出ることがない。ナチスの迫害と家族の離散、自分を責め続けた父親 父の開業していた医院とその後 兄が開いていた花屋の思い出。
どの物語もめったに出会うことのない(全て「有り得ない」と言ってしまうことはできないと思う)出来事ばかりだけれど 他では見られない細かな描写やアイテムが、また、空想と現実の混ざり具合や配分が 時間に置き去りにされた細い路地に迷い込んだような小さな不安感となつかしさを感じさせる。
この短編集では「旅」(初めての場所を訪ねるというのも含め)が扱われているものが多い。日常の生活場所と、いつも傍にいる相手から空間的にも精神的にもへだたりを持ち、旅先で見知らぬ人と出会い、過ごす。未知の詩人の女性の住まいだった「記念館」に入り、故人が過ごした場所でその家の主の生と死を 存在と不在を肌に感じる「詩人の卵巣」の主人公のように、読者もそれぞれの物語の中で、見知らぬ相手の生と死や、不思議な植物や持ち物に寄り添いながら過ごすのだ。
ファンタジーとか夢または 特定の登場人物のこころの病や歪みと捉えてしまうのは少し違う。主人公や他の登場人物が、そういった「奇妙とも思える」出来事や、たまたま出会った相手の語る思い出話、ささいな小道具に対して 読者と同じく少しだけ違和感を感じつつも、「受け入れる」からなのかもしれない。
そして読者もまたそういう小さな「歪み」や「奇妙さ」「不気味さ」を抱えた作者の世界に 惹かれ、やがてはここでしか得られないような「居心地の良さ」まで感じてしまうのだ。
飛行機で隣り合わせた異国の老婦人は亡くなった日本のペンフレンドを訪ねたという。ペンフレンドの写真は本人とは違う俳優のものだったけれど がっかりしたり怒るわけでもない彼女の挿話はほほえましい。でも小さな老婦人に合わせて 持ち物や食べ物まで小さく見えるというその様子やカバンから出てくる沢山のものの羅列などが微妙な非現実感を、そしてその後 彼女が異変をきたし、隣り合わせて話を聞いていたただけの関係のその男の腕で息絶えてしまう展開は 日常的な感覚だけでは捉えきれない。
認知症の人たちのアコーディオンの音が響く狭い路地の「お料理教室」には 排水管掃除の業者がやって来る。詰まった汚物(野菜の切れ端やタコの足といったもの)がどんどんシンクに逆流して溜まっていく。そういったことすら 事件では無く、「当たり前」のような風景となる。
野菜売りのおばあさんにもらった不思議な植物はやがて発光し出し、訪ねて行ってもおばあさんの住んでいるはずの場所には家も畑もない。
背泳ぎの選手の弟は狭い隙間がお気に入りだ。やがて彼は片手を上げた状態で下すことができないままになり、水泳を諦めざるを得なくなる。その腕の「結末」。
匂いを収集する恋人は さまざまな匂いとその素となるものをビンに詰めて保管している。その匂いと素の細々とした記述。偏執的とも感じられる収集の中に見つけたもの。
ふとしたことで知り合った少女と中年の男性はささやかな逢瀬を重ねる。彼の家のハムスターは病気で「まぶた」を手術で切り取られ目をつぶることがない。
異国のそっくりな双子の老人は支えあって生きている。足の悪い弟の方はずっと家から出ることがない。ナチスの迫害と家族の離散、自分を責め続けた父親 父の開業していた医院とその後 兄が開いていた花屋の思い出。
どの物語もめったに出会うことのない(全て「有り得ない」と言ってしまうことはできないと思う)出来事ばかりだけれど 他では見られない細かな描写やアイテムが、また、空想と現実の混ざり具合や配分が 時間に置き去りにされた細い路地に迷い込んだような小さな不安感となつかしさを感じさせる。
この短編集では「旅」(初めての場所を訪ねるというのも含め)が扱われているものが多い。日常の生活場所と、いつも傍にいる相手から空間的にも精神的にもへだたりを持ち、旅先で見知らぬ人と出会い、過ごす。未知の詩人の女性の住まいだった「記念館」に入り、故人が過ごした場所でその家の主の生と死を 存在と不在を肌に感じる「詩人の卵巣」の主人公のように、読者もそれぞれの物語の中で、見知らぬ相手の生と死や、不思議な植物や持ち物に寄り添いながら過ごすのだ。
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電車通勤になって 少しずつでも一日のうちに本を読む時間ができました。これからも マイペースで感想を書いていこうと思います。
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- 出版社:新潮社
- ページ数:221
- ISBN:9784101215228
- 発売日:2004年11月01日
- 価格:420円
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