生物多様性条約第10回締約国会議(COP10)が日本を議長国として開催され、地球環境への関心がこれまでになく高まっています。
本特集ページでは、生物多様性や生態系システムについて詳しく解説した『地球環境学事典』に注目し、環境問題に独自の視点で取り組むgreenz.jp 編集長 鈴木菜央氏に話をうかがいました。
さらに、「本が好き!」会員による、地球環境および生物に関する書籍のレビューを集め、まとめ読みできるようにしました。
この機会に、地球と環境について新しい視点で考えてみてはいかがでしょうか。
10月18日から名古屋で開催されるCOP10に注目が集まり、メディアでもさかんに取り上げられています。ところで、「生物多様性」がなぜ重要なのでしょうか?
僕も最初は「生物多様性*1」って何のことだろう? と思いました。そして、いろいろなところに取材に行くうちに、ある先生に質問してみました。
するとその先生が、「君の目の前にコップがあるだろう。君がこのコップでおいしい水を飲めるのは生物多様性のおかげなんだよ」と言うんです。
「君は今、息しているだろう。酸素が供給されているのは生物多様性のおかげなんだよ」「君の机はなんでできている?」「木ですね」「木はどっからきたのか知っているか」「なるほど」「石油はなんだ?」「昔の生物の死骸ですか?」と。
あらゆるものが、昔の生き物であったり、生き物がいることで形作られた無機物でできている。
その数年後、『自然資本の経済』という本を読んでいたら、自然の生態系サービス*2の経済的価値を試算した研究によると、アメリカドルで年平均33兆ドルにのぼるというんですね。ちなみにその年の人為的な経済活動による世界総生産は、年間約18兆ドルだった。そういう生態系サービスの恩恵を受けているから、メキシコから来るアボカドが、神奈川で作るアボカドより安いということが起きるんだな、と。
世の中いろいろ繋がっていて、その自然界の輪の中で生きている。「環境対策」というと、ガラスの向こう側、外のことのように感じるけど、まさに自分たちが立っているこの場所でのことなんですよね。
だからそれを、どういうふうに経済の話に組み込んでいくか。今は未来のためになる(エコ的な)商品が、高いですよね。未来のためになる商品は、本来は安くあるべきはずなんですよね。でも実際は未来のためにならない商品が安い。そういう状況を改めて、新しい経済の仕組みを作らなきゃ行けない。
こういうことを、みんなが理解して実際に形にしていく。その一歩としてCOP10というのは凄く重要なのかな、と僕は理解しています。
その生物多様性の重要性を考えていくタイミングで企画された『地球環境学事典』なんですが、実際に読んでみてどうでした?
日々のニュースで見ている出来事は、断片、断片で見えちゃうんですけど、その根底には大きな流れがあって、大きな変化があるわけです。それをつかむのに、凄く役に立つなと思います。
個人的には、環境って逃れられない問題だと思っています。すべての人は環境の中に生きているわけですし、環境と関係ない人は一人もいないはずです。ビジネスも当然切り離せない。地球が今どうなっているのか、これからどうなるのか、何をしたから未来はどうなるのか。因果関係ですよね。
一見関係ないさまざまなもの、たとえば、歴史の研究から、数学的なモデルの研究まで、環境という新しい人類最大のテーマの前に、あらゆる知恵が繋がってきている。
そういう意味で、地図ができるような感覚がしたんですよ。これを読んで頭の中に地図ができていくんだな、という感覚。
僕の知識も断片的なんです。よく見えているエリアと、よく見えていないエリアがある。それが、これ(地球環境学事典)を見て全体を俯瞰してみると、なるほど、僕が大学時代勉強していたことと、最近になって勉強したことは、実は繋がっているんだなと。そうすると、俄然、面白くなってくる。
知的好奇心が凄く満たされるというのあるし、それが、実際に自分の身に繋がっていて、自分の子供たちの未来につながっていて、僕の今のビジネスにも繋がっている。
そういう分野で、「知の地図」が描けるというのは、凄く面白いと思うし、ビジネスマンには凄く重要で、みんな読んだ方がいいんじゃないかな、と思いました。
(辞書のような『地球環境学事典』の分厚さに)ばら売りして電子書籍化してもいいんですけど、こうやって本にしてまとまるというのは、杭を一カ所に打ち込む感じで、やっぱり本って面白いなと思いました。
最新情報が日々入ってくる情報洪水の中で、立ち返る原点みたいなものがなくなっちゃっている。そこに碇を下ろせるというか、それが本の凄さだな、と思いました。
地球全体に、多種・多様な生物が存在していること。また、それによって複雑で豊富な生態系が存在していることを指す場合もある。
生物や生態系のもたらす自然資源による、人間の利益になるサービスのこと。食品や水の供給、気候などの調節、栄養循環や光合成による酸素の供給など、さまざまな面がある。
greenz.jp 編集長。76年バンコク生まれ。NGOによる自給自足コミュニティ、外資系建築コンサルティング、『月刊ソトコト』の編集・営業を経て、独立。「クリエイティブで持続可能な世界に変えるグッドアイデアを毎日伝える」Webマガジン greenz.jp を創刊。
本好きのための書評でつながる読書コミュニティ「本が好き!」に掲載された書評の中で、地球環境に関連するものを独自にピックアップしました。
『The Cove』という近年公開された和歌山県太地町のイルカの追い込み漁を描いたドキュメント映画が話題になった今(2009年のアカデミー賞ドキュメンタリー映画賞受賞)、読むべき本だ。
存在は知っていたけれど、著者の作品はフィクション中心に読んでいたため読んでいなかった『イルカとぼくらの微妙な関係』。今回、改題し、文庫化されたのを機会に読んでみた。
元の本は1997年8月に出版されたため、ちょっと古いが、本文中のデータについては2010年のデータが併記されていたり、著者による「文庫版のための少し長いあとがき」が加えられているため、内容は古くない。むしろ、『The Cove』という近年公開された和歌山県太地町のイルカの追い込み漁を描いたドキュメント映画が話題になった今(2009年のアカデミー賞ドキュメンタリー映画賞受賞)、読むべき本だ。
特に、その映画を踏まえて書かれた「文庫版のための少し長いあとがき」は、なぜあの映画が世界的に話題になったのかを知るためのいい参考文献だと思う。あの映画が物議をかもした時、私自身は観ていないにも関わらず、単純な動物愛護、野生動物保護対日本の伝統的な漁、食習慣という図式でしか考えられなかったが、この本を読むと、そんな単純なものではないことに気付かされる。
このレビューの全文を読む僕が今もっとも注目する生物エッセイスト「トモミチ先生」による「私用事林」のフィールドノート。今回も、先生のセンス・オブ・ワンダーが炸裂している。
このあいだ、「魚をどうやって見分けているの?」と訊かれた。その場には魚類に詳しい人が僕のほかにもう一人いたが、その人と声がかぶった。「「雰囲気」」そう、いきものの判別は「アブラビレがあるから…」とか「体高が高いから」とか、そういう図鑑的な手法でやっているわけではない。
もちろん、同じ属の種を同定するとなると話は別だけど、ちょっと遠くから見て「あれは〇〇かな」って言うのは、そこに生物の細かな特徴を見出しているのではなく、ぼんやりとした、しかし本質的なイメージを見出しているのである。
「たとえば、ウォーターバックというアフリカのウシ科の哺乳動物について、私はその動物を特徴づけるイメージを脳のなかに確かにもっている」
そう、この感覚である。生物観察には、こういう明確にハウツーを定められないところがある。本書にあった「なぜ著者だけがヘビを見つけられたのか」みたいな話でも似たようなことが言える。生物観察の技術は極めてファジイであり、そこが面白いところである。
このレビューの全文を読む本当は豚の気持ちなど理解することはできない。でも心に留めておかなければいけない重い現実である。
じっと見つめる無垢な子豚の目が印象的な写真集(絵本)である。表紙の題が「ぶた」と「にく」を離して表記しているように、この本が語りかけるテーマは「いのちの営み」と「人間の責任」である。
私たちは、田畑に食べるために作物を作る。そして食べるために家畜を養う。植物は血を流さず、声を上げない。しかし動物は人間同様に赤い血を流し苦しみの叫び声をあげる。スーパーに並んだ肉片からはその叫びはもはや聞こえはしない。けれど日々の食を支えているのが命を奪う人間の行為であることを記憶にとどめておかなければならない。
くしくも子豚の誕生から写真は始まっている。美味しく生産性の高い肉を提供できる豚の飼育であっても、母豚の愛情、子供の生き生きとした成長はどのページの写真もとても美しい。しかし10ヵ月後、豚は肉として売られ殺される。その現実はあまりに重い。
このレビューの全文を読む祖母から手渡された大切な一冊です。野菜や魚といった食材が、どこのものがより良いか詳しく書かれている本です。この本を読んで、改めて、人間が口にする食べ物がどこからきているものなのかを、ないがしろにはしていけない大事さを学びました。
私たちが口にするもの、普段何気なく食べているもの-出来あえのものだったり、簡単にすませられるものだったり、特に意識をしないで食べ物をとることも多いと思います。
なかなか、田舎などにある自然の食材というものは、都会でなくとも今の現代社会では、あまり手に入りにくい素材なのかもしれません。。
この本を読んだとき、思わずそう実感しました。
このレビューの全文を読む「生命とは自己複製を行うシステム」であるだけなく「生命とは動的平衡にある流れ」でもある。新しい生命感を与えてくれる一冊!
生命とは何だろう。多くの人は、繁殖をするもの、すなわちDNAの複製を繰り返し、次々に子孫に伝えていくものであると、思っているのではないだろうか。難しい言い方をすれば、「生命とは自己複製を行うシステムである」ということである。しかし、ここで一つ困ったことが出てくる。ウィルスである。ウィルスは、自分では栄養摂取も呼吸もしない。ある条件を与えると、結晶化もするのである。これが、生物と言えるのだろうか。しかしウィルスは増殖することができる。生物の細胞を借りて、自己のDNAを複製させることにより増えるのである。昔から、ウィルスは、生物か無生物かの二元論では割り切れないものという扱いをされていた。
しかし、今回読んだ「生物と無生物のあいだ」(福岡伸一:講談社)という本では、はっきりとウィルスは生物ではないと言い切っている。この本は、分子生物学の立場から、生命とは何かについて論じたものである。
このレビューの全文を読む「少しぐらい水害にあってもいいじゃないか」と社会に向かって堂々と発言できる河川工学者は、本当にすごい。
それは、「水害を絶滅することを至上目的」と考えている業界にいながら、その思想に洗脳されなかったということからだ。水害のリスクを下げることは重要だが、それによって他の重要なものが失われているのでは?と疑問を投げかけることは、タブーであったのだろう。
業界ごとに支配的な考え方がある。もとは根拠のあった考え方であったが、やがて「越えてはならない一線」となり、「内部」では否定することが許されないものとなる。そういった思想が、僕には、山のように見える。しかし一方で、本書の著者のように、それらの「常識」に屈しなかった先人がいる、ということは希望を与えてくれる。あ、わずかに脱線してしまった。
このレビューの全文を読むぼくは猟師になった京都の山で狩猟を営む33歳(本書出版時)の猟師。それも京大を卒業して猟師になったという異色の著者が書いたノンフィクションです。現代の猟というものがよく分かる一冊になっています。
「狩猟」という言葉を見ると思い出すのは、故稲見一良の〈猟犬探偵〉シリーズを代表とする狩猟作品だ。今でも再読する度に、野生のイノシシ肉や鴨肉が食べたくなる。
著者は京都の山で狩猟を営む33歳(本書出版時)の猟師。それも京大を卒業して猟師になったという異色の人である。
稲見が描いた狩猟は主に猟銃を使ったものだが、本書の著者はワナ猟専門だ。
ワナ猟といえば、あのギザギザの付いた歯がバチン! と動物の足をはさむトラバサミを思い浮かぶ人が多いのではないかと思うが、あれは小型獣専用の道具。著者が主に獲るシカやイノシシにはククリワナというものを使う。一本の鋼鉄のワイヤでできていて、先には輪が作ってある。木の幹に固定して隠されたククリワナの輪に獲物の足が入ると、一気にその輪がしまるという仕組みだ。
しかし、ワナで捕えただけでは当然、獲物を仕留めた訳ではない。ワナから逃れようと暴れている獲物を見付けた猟師は、頭を棒やパイプなどで「どつき」失神させた後、ナイフで頚動脈を切ったり心臓を一突きしたりしてとどめを差すのだ。
このレビューの全文を読むアメリカで起きているミツバチの大量死を扱ったノンフィクションです。集団知性としてのミツバチの魅力、自然界が本来持つ復元力といった事象は声高な警鐘といった浅薄なものを超え、読者に迫ってきます。
これはスゴイ本。
これまでも畑で野菜をちょぼちょぼと育てていたのだが、最近、本格的にはじめた。趣味の家庭菜園なので、どうせなら有機・無農薬栽培をしてみようと思い、いくつか本を読んでみた。その中で改めて気付かされたことがある。
受粉しないと野菜や果実はできないのだ。
なにを当たり前のことを言われるに違いないのだが、野菜や果物がなる過程がこれまですっかり頭から抜け落ちていた。
花が受粉する際の花粉の担い手は虫たちである。その代表格ともいえるものがミツバチだ。これまでほとんど意識されることのなかった農業の要石というべきミツバチ。そのミツバチが消えていっている。本書はアメリカの状況をレポートしたものだが、日本もまた昨年から働きバチが大量死し、農業に深刻な影響が出るのではないのかと懸念されている。決して座視できる問題ではないのだ。
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