三太郎さん
レビュアー:
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これは蓉子の亡くなった祖母の古い家で、蓉子と女子学生の紀久、与希子とそれに米国人のマーガレットの四名の若い女性たちの共同生活の中で起きる、「りかさん」をめぐる神話的な物語です。
梨木さんの長編を読むのは初めてですが、意外なほどするすると読めてしまいました。
が、作者が張り巡らした、若い三人の女性(蓉子、紀久、与希子)の各々の親族同士の複雑な関係と、蓉子と紀久の各々の祖母が持っていた二体の市松人形の因縁を読み説くのは結構疲れます。一種のサスペンスとしても読めるかも・・・
それはさて置き、この物語はいわくのある市松人形「りかさん」の所有者である蓉子の祖母が亡くなり、祖母の古い家で蓉子と女子学生の紀久、与希子とそれに米国人のマーガレットの四名の若い女性たちの共同生活の中で起きる、「りかさん」をめぐる神話的な物語です。
四人のなかで僕が最も印象的だったのは、内向的な紀久でした。彼女は虫が、特に大きな蛾が嫌いで、それなのに蚕からとる絹糸で紬を織るのを天職にしようとしている女性です。彼女のなかには初めから相矛盾する二つの側面が共存しています。持ち主の蓉子以外では、彼女が最も「りかさん」に感応するのはそのためでしょう。
紀久はとても不思議な女性で、恋人だと思っていた先輩の神埼が、マーガレットを妊娠させていたと知ったとき、強い情念に囚われましたが、それが神埼やマーガレットに対する直接的な怒りや恨みにはならないようなのです。自分のなかに怨念と祝福という相反する気持ちが同時に共存しうる、と彼女は言いました。その代わり、蓉子に、彼女の嫌う化学染料で真っ黒な糸を染めるように断固として要求するのです。その真っ黒い糸を織り込んだ紬は、彼女の怨念と祝福の心を同時に表現することになるでしょう。
この小説のタイトルにもなっているカラクサ文様は、どこまでも連続することがその本質であると言われ、本来混じりあえない二つの世界、たとえば天と地、現世と冥界、赤い糸と黒い糸、西洋と東洋とを繋ぎ、一瞬その境界線をあやふやにして世界の古い秩序を揺るがします。紀久の心の奥にある相反する二つの心を通じ合わせ、彼女の内面の危機を救うのもカラクサ文様だったかもしれません。
またカラクサ文様は、この物語のなかでは、ツタ、蜘蛛の糸、蛇、あるいはその化身である竜やドラゴンのメタファーでもあります。最後の場面で、人形の「りかさん」は蜘蛛の糸のようなディスプレイの中央に鎮座させられます。蛇の化身であるメドーサは蜘蛛のメタファーでもありますから、「りかさん」=蜘蛛=メドーサとも考えられますが、メドーサはギリシア神話の機織り娘のアラクネーと同一視されることがあるとかで、「りかさん」=蜘蛛=機織り娘と考えるのが自然かなあ。最後には、「りかさん」は炎に包まれ竜になって天に登って行くのですが。
さて、物語のなかで蓉子と紀久の各々の祖母が持っていた二体の市松人形の因縁が次第に明らかになり、またその人形の作者が、与希子と紀久の共通のご先祖であることが分かるのですが、この二体の人形がともに持っていた、斧(よき)、琴(こと)、菊(きく)の文様をあしらった着物は、「よきこときく=与希子と紀久」という語呂合わせみたいですね。二人の不思議な名前の由来は、梨木さんの言葉遊びだったのですね。
ところで、「りかさん」とは結局何者なのでしょう?蜘蛛の糸に乗り、最後に竜の姿になり、天と地を結ぶもの、たとえば光かも知れませんね。でも、僕は「りかさん」を敢えてトリックスターだと呼びたいです。「りかさん」の導きによって、それまで交わることのなかった与希子と紀久の精神世界は一瞬導通し、彼女らの運命はそれまでと違ったものになるでしょう。それに、真面目な「りかさん」は悪ふざけはしませんが、ちょっとしたいたずらはします。それは物語の最後のページに書かれています。
この物語には後日談があります(ミケルの庭)。「からくりからくさ」の物語の一年後、母親のマーガレットは中国に留学し、1歳になるミケルは蓉子と与希子と紀久が育てています。紀久の心の中にはミケルに対する愛憎の相反する二つの心があり、それが遠因でミケルは高熱を発する病に侵され、一時意識不明になりますが、紀久はミケルの意識が戻る直前に、ミケルを自分の後継者にしようと決意します。
「もし、ミケルが戻ってくれたら、私はいつか、私の知り得た全てのことをミケルに伝えよう。結婚もするまい。子供もつくるまい。」
僕は、20年後の紀久とミケルの物語を読んでみたいと強く思いました。
が、作者が張り巡らした、若い三人の女性(蓉子、紀久、与希子)の各々の親族同士の複雑な関係と、蓉子と紀久の各々の祖母が持っていた二体の市松人形の因縁を読み説くのは結構疲れます。一種のサスペンスとしても読めるかも・・・
それはさて置き、この物語はいわくのある市松人形「りかさん」の所有者である蓉子の祖母が亡くなり、祖母の古い家で蓉子と女子学生の紀久、与希子とそれに米国人のマーガレットの四名の若い女性たちの共同生活の中で起きる、「りかさん」をめぐる神話的な物語です。
四人のなかで僕が最も印象的だったのは、内向的な紀久でした。彼女は虫が、特に大きな蛾が嫌いで、それなのに蚕からとる絹糸で紬を織るのを天職にしようとしている女性です。彼女のなかには初めから相矛盾する二つの側面が共存しています。持ち主の蓉子以外では、彼女が最も「りかさん」に感応するのはそのためでしょう。
紀久はとても不思議な女性で、恋人だと思っていた先輩の神埼が、マーガレットを妊娠させていたと知ったとき、強い情念に囚われましたが、それが神埼やマーガレットに対する直接的な怒りや恨みにはならないようなのです。自分のなかに怨念と祝福という相反する気持ちが同時に共存しうる、と彼女は言いました。その代わり、蓉子に、彼女の嫌う化学染料で真っ黒な糸を染めるように断固として要求するのです。その真っ黒い糸を織り込んだ紬は、彼女の怨念と祝福の心を同時に表現することになるでしょう。
この小説のタイトルにもなっているカラクサ文様は、どこまでも連続することがその本質であると言われ、本来混じりあえない二つの世界、たとえば天と地、現世と冥界、赤い糸と黒い糸、西洋と東洋とを繋ぎ、一瞬その境界線をあやふやにして世界の古い秩序を揺るがします。紀久の心の奥にある相反する二つの心を通じ合わせ、彼女の内面の危機を救うのもカラクサ文様だったかもしれません。
またカラクサ文様は、この物語のなかでは、ツタ、蜘蛛の糸、蛇、あるいはその化身である竜やドラゴンのメタファーでもあります。最後の場面で、人形の「りかさん」は蜘蛛の糸のようなディスプレイの中央に鎮座させられます。蛇の化身であるメドーサは蜘蛛のメタファーでもありますから、「りかさん」=蜘蛛=メドーサとも考えられますが、メドーサはギリシア神話の機織り娘のアラクネーと同一視されることがあるとかで、「りかさん」=蜘蛛=機織り娘と考えるのが自然かなあ。最後には、「りかさん」は炎に包まれ竜になって天に登って行くのですが。
さて、物語のなかで蓉子と紀久の各々の祖母が持っていた二体の市松人形の因縁が次第に明らかになり、またその人形の作者が、与希子と紀久の共通のご先祖であることが分かるのですが、この二体の人形がともに持っていた、斧(よき)、琴(こと)、菊(きく)の文様をあしらった着物は、「よきこときく=与希子と紀久」という語呂合わせみたいですね。二人の不思議な名前の由来は、梨木さんの言葉遊びだったのですね。
ところで、「りかさん」とは結局何者なのでしょう?蜘蛛の糸に乗り、最後に竜の姿になり、天と地を結ぶもの、たとえば光かも知れませんね。でも、僕は「りかさん」を敢えてトリックスターだと呼びたいです。「りかさん」の導きによって、それまで交わることのなかった与希子と紀久の精神世界は一瞬導通し、彼女らの運命はそれまでと違ったものになるでしょう。それに、真面目な「りかさん」は悪ふざけはしませんが、ちょっとしたいたずらはします。それは物語の最後のページに書かれています。
この物語には後日談があります(ミケルの庭)。「からくりからくさ」の物語の一年後、母親のマーガレットは中国に留学し、1歳になるミケルは蓉子と与希子と紀久が育てています。紀久の心の中にはミケルに対する愛憎の相反する二つの心があり、それが遠因でミケルは高熱を発する病に侵され、一時意識不明になりますが、紀久はミケルの意識が戻る直前に、ミケルを自分の後継者にしようと決意します。
「もし、ミケルが戻ってくれたら、私はいつか、私の知り得た全てのことをミケルに伝えよう。結婚もするまい。子供もつくるまい。」
僕は、20年後の紀久とミケルの物語を読んでみたいと強く思いました。
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1957年、仙台に生まれ、結婚後10年間世田谷に住み、その後20余年横浜に住み、現在は仙台在住。本を読んで、思ったことあれこれを書いていきます。
長年、化学メーカーの研究者でした。2019年から滋賀県で大学の教員になりましたが、2023年3月に退職し、10月からは故郷の仙台に戻りました。プロフィールの写真は還暦前に米国ピッツバーグの岡の上で撮ったものです。
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- 出版社:新潮社
- ページ数:447
- ISBN:9784101253336
- 発売日:2001年12月01日
- 価格:620円
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