そのじつさん
レビュアー:
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人間の価値に上下はあるのか。

「カラマーゾフの兄弟」に激ハマりにハマったのは昨年の3月。
今年もドストエフスキーの作品にハマってみましょう!と手に取った本書。
すべりだしは、20代の主人公ラスコーリニコフの周辺描写とモノローグで構成されている。
彼は父なき後を支える一家の大黒柱となることを嘱望されていた。
しかし法律を学ぶ優秀な学生だった彼は、学費を工面出来なくなり、大学から遠ざかって久しい。
そればかりか食費や家賃にも事欠き教科書を質屋に入れてしまう始末。
食事もろくに取れず、物置きのような粗末な部屋に引きこもって誰とも会わずに過ごすラスコーリニコフは、ひとつの計画を脳内でもてあそび続けていた…。
始まるそうそう、ラスコーリニコフ青年の視点は、ロシアの都ペテルブルグの貧しい街角をさまよい歩く。
ときは7月、暑さと醜悪な町の様相に彼の病んだ心と体はますます蝕まれてゆく。
ウツウツとした自虐的つぶやきは高いプライドの裏返しだ。
彼は「頭が良すぎておかしくなった」と言われるタイプの人物だが、それゆえに体験よりも論理を重んじる傾向がある。
そんな彼が犯した「罪」。
その「罪」の現場から、刻々と変化してゆく彼の心境と身体の変化がこの1巻で徹底的に描かれる。
この主人公の饒舌さと後に示されるキワドい命題は、マンガ好きの私にあるものを思い起こさせた。
例えるなら…ときどき引き合いに出してしまう「週刊少年ジャンプ」に代表される少年マンガ。
特にそれのダークヒーローもの。
本書の訳者である亀山氏が以前出演したテレビ番組で発言していたことだが(爆笑問題の太田氏と話していた)、中学時代の亀山少年に影響を与えた「罪と罰」は、現代の少年たちが影響を受けるマンガ作品などにも共通するテーマが描かれている、とのことだった。
その時仄めかされていた『DEATH NOTE』(デスノート/原作 大場つぐみ・作画 小畑健)というマンガ作品を、この1巻を読みながら私も思い出していた。(読み比べてよく分かったが「デスノート」は「罪と罰」をリスペクトして描かれた変奏曲だと思う)
「生きていても毒にしかならない人間」と「それを見極めて大鉈をふるえる人間」の話が、ふと立ち寄った店内でラスコーリニコフの耳に入ってくる。
人間の価値に上下はあるのか。
たとえあったとしても、殺人は罪にならないのか?
そんな青臭い、でもそれだからこそ胸騒ぎのする問いかけを、多くのひとが見過ごせないだろう。
若い頃ほど「価値」や「上下」にこだわるものだと思う。それは自分の価値をこの社会で見出せるのか、試行錯誤の真っ最中の若者にとって死活問題だからだ。「価値」がなければ、生きている甲斐さえなくなってしまう。経験の浅さは0か1かの極端な選択を自分にせまってしまう。
そんな経験は誰もがいつか通った道だと思う。
そしてこの問いに辿り着くまで読んでしまった人は、もうこの本を下に置く事はできなくなっている。
ドストエフスキーの畳み掛けるようなプロットの波状攻撃の虜になっているに違いない。
哀しきアル中オヤジ・マルメラードフ、天使のような娼婦・ソーニャとの邂逅、友人ラズミーヒンは敵か味方か?妹の婚約者ルージンは真面目なバカか狡猾な悪党か?
さあ、急げ2巻へ。
今年もドストエフスキーの作品にハマってみましょう!と手に取った本書。
すべりだしは、20代の主人公ラスコーリニコフの周辺描写とモノローグで構成されている。
彼は父なき後を支える一家の大黒柱となることを嘱望されていた。
しかし法律を学ぶ優秀な学生だった彼は、学費を工面出来なくなり、大学から遠ざかって久しい。
そればかりか食費や家賃にも事欠き教科書を質屋に入れてしまう始末。
食事もろくに取れず、物置きのような粗末な部屋に引きこもって誰とも会わずに過ごすラスコーリニコフは、ひとつの計画を脳内でもてあそび続けていた…。
始まるそうそう、ラスコーリニコフ青年の視点は、ロシアの都ペテルブルグの貧しい街角をさまよい歩く。
ときは7月、暑さと醜悪な町の様相に彼の病んだ心と体はますます蝕まれてゆく。
ウツウツとした自虐的つぶやきは高いプライドの裏返しだ。
彼は「頭が良すぎておかしくなった」と言われるタイプの人物だが、それゆえに体験よりも論理を重んじる傾向がある。
そんな彼が犯した「罪」。
その「罪」の現場から、刻々と変化してゆく彼の心境と身体の変化がこの1巻で徹底的に描かれる。
この主人公の饒舌さと後に示されるキワドい命題は、マンガ好きの私にあるものを思い起こさせた。
例えるなら…ときどき引き合いに出してしまう「週刊少年ジャンプ」に代表される少年マンガ。
特にそれのダークヒーローもの。
本書の訳者である亀山氏が以前出演したテレビ番組で発言していたことだが(爆笑問題の太田氏と話していた)、中学時代の亀山少年に影響を与えた「罪と罰」は、現代の少年たちが影響を受けるマンガ作品などにも共通するテーマが描かれている、とのことだった。
その時仄めかされていた『DEATH NOTE』(デスノート/原作 大場つぐみ・作画 小畑健)というマンガ作品を、この1巻を読みながら私も思い出していた。(読み比べてよく分かったが「デスノート」は「罪と罰」をリスペクトして描かれた変奏曲だと思う)
「生きていても毒にしかならない人間」と「それを見極めて大鉈をふるえる人間」の話が、ふと立ち寄った店内でラスコーリニコフの耳に入ってくる。
人間の価値に上下はあるのか。
たとえあったとしても、殺人は罪にならないのか?
そんな青臭い、でもそれだからこそ胸騒ぎのする問いかけを、多くのひとが見過ごせないだろう。
若い頃ほど「価値」や「上下」にこだわるものだと思う。それは自分の価値をこの社会で見出せるのか、試行錯誤の真っ最中の若者にとって死活問題だからだ。「価値」がなければ、生きている甲斐さえなくなってしまう。経験の浅さは0か1かの極端な選択を自分にせまってしまう。
そんな経験は誰もがいつか通った道だと思う。
そしてこの問いに辿り着くまで読んでしまった人は、もうこの本を下に置く事はできなくなっている。
ドストエフスキーの畳み掛けるようなプロットの波状攻撃の虜になっているに違いない。
哀しきアル中オヤジ・マルメラードフ、天使のような娼婦・ソーニャとの邂逅、友人ラズミーヒンは敵か味方か?妹の婚約者ルージンは真面目なバカか狡猾な悪党か?
さあ、急げ2巻へ。
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マンガ大好き。マンガ・小説が中心です。
浮世の雑事に気を取られ、一年近く留守にしておりました。
少しずつ再開して参ります。
この書評へのコメント
- そのじつ2014-03-02 10:41
SETさんの書評、拝読いたしました(´V`)♪
あの粘つくようなラスコーリニコフの自意識の感触がうわーっと蘇る書評!
重なったり離れたりしながら、彼の物語についていく疲労感と熱に浮かされたような気持ちの集中(インフルエンザで寝てるとき読んだので(^-^;))といった身体的記憶も蘇りました。
私は物語の骨子にスポットを当てて書きましたが、SETさんは読んでいる最中の醍醐味を見事に表現されているなと思いました。
『デスノート』は言われてみれば!ですよね。
予備知識を持って読んだこともあり、ピタリとハマりました。
また亀山訳の若々しさが、少年マンガ世界に近づけているのかもしれません。
2巻ではまたジャンプで有名なアノ人と比べて書評を書こうと思ってます(^^)クリックすると、GOOD!と言っているユーザーの一覧を表示します。 
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- 出版社:光文社
- ページ数:488
- ISBN:9784334751685
- 発売日:2008年10月09日
- 価格:860円
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