Yasuhiroさん
レビュアー:
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夜の散歩を趣味とする19歳の女性が淡々と綴る、仲の良い宮坂家六人のちょっと風変わりな日常。
江國香織を読んでいくシリーズ、今回は1996年発表の「流しのしたの骨」です。題名は本当は怖い童話「カチカチ山」の一節から取られています。狸が撲殺したお婆さんを肉汁にしてお爺さんに食べさせ、笑いながら「流しのしたの骨を見ろっ」と叫んで逃げる場面です。
はてさてどんな怖い話が待ち受けているのか、と思いきや、成人間近の女性が両親と三女一男の宮坂家6人それぞれの日常を晩秋から春まで点描して終わってしまう不思議な雰囲気の物語でした。
主人公宮坂こと子は19歳、趣味は「夜の散歩」。と来れば私は反射的にRCサクセションの名曲「夜の散歩をしないかね」を思い出してしまいますが、あの歌のように素敵な雰囲気を醸す恋人がいます。
三女一男の姉弟の三女で、彼女が晩秋から春までに起こる出来事を点描する形で物語は綴られます。はっきりした起承転結があるわけではないのですが、こと子目線でのこの家やこの町の情景描写が魅力的ですし、このちょっと変わっているけれどとても(異常にと言ってもよいかもしれない)仲が良く結束が固い宮坂家の家族に湧き上がる問題がなんとなく解決されていく様子が面白いです。
姉や弟の問題とは、
・弟律は中学三年生でおとなしくまじめだけれど、ある趣味がもとで停学処分を食らってしまいます。
・次女しま子は一番の変わり者。ろくでもない恋をするかと思えば、突然女性の恋人を連れてきてその女性が妊娠しているからその子を私が引き取って育てる、と言い出します。
・長女そよ子は一番のしっかり者でおっとりとしていますが実は一番頑固。結婚して家を出ていますが程なく実家へ帰ってきて離婚を言い出します。
そんな子供たちに振り回される両親は気の毒ではありますが、それでも子供たちの味方でありこの家族は非常に結束が固い印象を受けます。今回江國さんが描こうとしたのは個人ではなく「家」「家族」なのかもしれません。
そういう意味では、こと子としま子が夜の帰り道遠くに見える我が家にライトが灯り壁のタイルが光っているのを眺めるシーンや、電車で子供が膝立ちになって車窓から外を覗くように二人が部屋の窓から外の景色を見るシーンなどは「家」の内外が強く意識されていて象徴的です。
そしてその家族の結束を破るものに対しては強い拒否反応を見せます。タイトルにもなっているシーンがそれを象徴しています。頼まれもしないのに、そよ子のマンションに離婚後の後片付けの手伝いに出かけたこと子としま子は台所を片付け始めます。こと子がふと流しの下を開けて見るシーン。
流しの下に骨が埋まっていたわけじゃないけれど、剥き出しの水道管に離婚した姉夫婦の巣の見てはならないなにかを感じ取る妹。江國さんの感性の鋭さがこの何気ない一文に集約されている気がします。
母が大切にしているハムスター・ウィリアムの悲劇はあったものの、宮坂家は春を迎えます。成人したこと子は「親の扶養義務」という名の足枷から解放され、恋人の影響もあり大学進学を考え始めます。そして家族全員で写真館に出かけるところで物語は静かに幕を閉じます。
裏表紙にあるように
こうばしい日々
きらきらひかる
たとえ記憶からこぼれ落ちるとしても
つめたいよるに
はてさてどんな怖い話が待ち受けているのか、と思いきや、成人間近の女性が両親と三女一男の宮坂家6人それぞれの日常を晩秋から春まで点描して終わってしまう不思議な雰囲気の物語でした。
主人公宮坂こと子は19歳、趣味は「夜の散歩」。と来れば私は反射的にRCサクセションの名曲「夜の散歩をしないかね」を思い出してしまいますが、あの歌のように素敵な雰囲気を醸す恋人がいます。
三女一男の姉弟の三女で、彼女が晩秋から春までに起こる出来事を点描する形で物語は綴られます。はっきりした起承転結があるわけではないのですが、こと子目線でのこの家やこの町の情景描写が魅力的ですし、このちょっと変わっているけれどとても(異常にと言ってもよいかもしれない)仲が良く結束が固い宮坂家の家族に湧き上がる問題がなんとなく解決されていく様子が面白いです。
姉や弟の問題とは、
・弟律は中学三年生でおとなしくまじめだけれど、ある趣味がもとで停学処分を食らってしまいます。
・次女しま子は一番の変わり者。ろくでもない恋をするかと思えば、突然女性の恋人を連れてきてその女性が妊娠しているからその子を私が引き取って育てる、と言い出します。
・長女そよ子は一番のしっかり者でおっとりとしていますが実は一番頑固。結婚して家を出ていますが程なく実家へ帰ってきて離婚を言い出します。
そんな子供たちに振り回される両親は気の毒ではありますが、それでも子供たちの味方でありこの家族は非常に結束が固い印象を受けます。今回江國さんが描こうとしたのは個人ではなく「家」「家族」なのかもしれません。
そういう意味では、こと子としま子が夜の帰り道遠くに見える我が家にライトが灯り壁のタイルが光っているのを眺めるシーンや、電車で子供が膝立ちになって車窓から外を覗くように二人が部屋の窓から外の景色を見るシーンなどは「家」の内外が強く意識されていて象徴的です。
そしてその家族の結束を破るものに対しては強い拒否反応を見せます。タイトルにもなっているシーンがそれを象徴しています。頼まれもしないのに、そよ子のマンションに離婚後の後片付けの手伝いに出かけたこと子としま子は台所を片付け始めます。こと子がふと流しの下を開けて見るシーン。
扉のなかは暗く、屹立した壜の脇に水道管がとおっていて、寒々しく、不穏な感じだった。
流しの下に骨が埋まっていたわけじゃないけれど、剥き出しの水道管に離婚した姉夫婦の巣の見てはならないなにかを感じ取る妹。江國さんの感性の鋭さがこの何気ない一文に集約されている気がします。
母が大切にしているハムスター・ウィリアムの悲劇はあったものの、宮坂家は春を迎えます。成人したこと子は「親の扶養義務」という名の足枷から解放され、恋人の影響もあり大学進学を考え始めます。そして家族全員で写真館に出かけるところで物語は静かに幕を閉じます。
裏表紙にあるように
不思議で心地よくいとおしい物語でした。
こうばしい日々
きらきらひかる
たとえ記憶からこぼれ落ちるとしても
つめたいよるに
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馬鹿馬鹿しくなったので退会しました。2021/10/8
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