shawjinnさん
レビュアー:
▼
『キッチン』と『満月』にまつわるエトセトラ

角川文庫夏フェア2025に挑戦!参加レビューです。
『キッチン』
幼いころに両親をなくした桜井みかげ。唯一の肉親だった祖母と二人で暮らしていた。その祖母が亡くなったことで天涯孤独となったみかげに、生前、祖母と知り合いだったという田辺雄一が同居を提案する。雄一やその母親(実は父親)のえり子と何気ない日常を過ごすうちに、みかげは肉親の消失という絶望から立ち直っていく。
『満月───キッチン2』
絶望から立ち直ったみかげは田辺家を出て、料理研究家のアシスタントとして働きはじめる。そこに、えり子が殺された(!)という連絡が入る。雄一にとって最後の肉親であり、みかげにとっても家族以上の存在だったえり子の死によって、みかげと雄一の関係性に変化が生じる。
◇
『キッチン』は、大島弓子さんの少女漫画『七月七日に』の影響が強いといわれている。男性に生まれながら、女装して母親を演じる『七月七日に』の登場人物「母さま」が、元男性で性転換した『キッチン』の「えり子さん」のモチーフになっているというわけである。みなしごを保護して疑似家族となる点も共通している。
吉本ばななさんの作品は、このような少女漫画のカルチャーを上手く本歌取りして、日本社会のみならず、世界中に広めることに貢献しているといえるのではないか。わびやさびといった伝統的な日本文化以外の日本文化に対する気づきの起点にもなっている。コスモポリタンな地域性とでもいうべきか。
ただ、少女カルチャーの翻訳という観点からみると、小説は、漫画やアニメよりも不利かもしれない。《自己引用》とよばれている、
ともあれ、『キッチン』をきっかけにして、少女カルチャーは、開かれた伝播を開始したのである。「この世の女の子のマイナー性」といった、秘密にしておきたかったかもしれないニュアンスも含めて露見したのは、けっして望んでいた展開ではないのだろうけれども。
───目立てば、当然、批判も出る。たとえば、『七月七日に』には、登場人物が温かい家族のなかに回収されて終わるというパターンを徹底的に拒否するラディカルさがあるのに対して、『キッチン』や『満月』では、優等生的な甘ったるいオチを付けてまとめてしまっているという批判がある。また、天涯孤独の身となったみかげのもとに、性的な欲求抜きで、ひたすらみかげを大切にしてくれる青年が現れるのは、少女漫画の設定だとしても都合が良すぎて何だかな~という批判もある。
その一方で、凄くしんどいときに『キッチン』を読んだら、「そうか、どんなに辛くても、幸せになりたいと願っていいんだ」と思えてきて救われたという、心からの感謝もある。作品から漂う穏やかな保守性が、少女カルチャーに疎いオジサンへの訴求力を支えているという評価も。
このあたりは、受け取りかた次第ではあるけれども、最大公約数的にまとめると───少女カルチャー由来の、詩的で感傷的な独白にみえるけれども、実は平易で簡潔な文体を駆使することで、ヒリヒリするような孤独感や、軽やかな透明感や、スタイリッシュな悲しみや、丁寧な暮らしや、超常現象や、絶望からの再起まで、全てを書ききってしまうからこそ、大いに読者の共感をよんでいる───といったところになるのではないか。
なお、『キッチン』の重要キャラクターである、えり子さんは、最初から狙って性転換者だったわけではないようだ。つまり、はなから《『七月七日に』の真似をして小説を書こう♪》などという計画があったのではないということである。
息子が連れてきた若い女性と、母親との間には、どうしたって、嫁と姑のような雰囲気が生まれてしまうだろうからねえ。それを排除するための工夫からたどり着いた、後づけの本歌取りのようである。全てが計算ずくだと、策士策に溺れるといった事態に陥りやすいので、試行錯誤は大事なのだ。
───と、このように様々な考察が生まれるということは、それだけ、この作品がテクストとして優れているということを示しているのだと思う。何よりも、読んでいて、素直に楽しいし。短期的にみるとマイナスに思えるできごとも、長期的にみれば、大事な滋養になることに気づかされる。そういう物語である。
『キッチン』
幼いころに両親をなくした桜井みかげ。唯一の肉親だった祖母と二人で暮らしていた。その祖母が亡くなったことで天涯孤独となったみかげに、生前、祖母と知り合いだったという田辺雄一が同居を提案する。雄一やその母親(実は父親)のえり子と何気ない日常を過ごすうちに、みかげは肉親の消失という絶望から立ち直っていく。
『満月───キッチン2』
絶望から立ち直ったみかげは田辺家を出て、料理研究家のアシスタントとして働きはじめる。そこに、えり子が殺された(!)という連絡が入る。雄一にとって最後の肉親であり、みかげにとっても家族以上の存在だったえり子の死によって、みかげと雄一の関係性に変化が生じる。
◇
『キッチン』は、大島弓子さんの少女漫画『七月七日に』の影響が強いといわれている。男性に生まれながら、女装して母親を演じる『七月七日に』の登場人物「母さま」が、元男性で性転換した『キッチン』の「えり子さん」のモチーフになっているというわけである。みなしごを保護して疑似家族となる点も共通している。
吉本ばななさんの作品は、このような少女漫画のカルチャーを上手く本歌取りして、日本社会のみならず、世界中に広めることに貢献しているといえるのではないか。わびやさびといった伝統的な日本文化以外の日本文化に対する気づきの起点にもなっている。コスモポリタンな地域性とでもいうべきか。
ただ、少女カルチャーの翻訳という観点からみると、小説は、漫画やアニメよりも不利かもしれない。《自己引用》とよばれている、
私がこの世でいちばん好きな場所は台所だと思う───といった記述であるとか、《文体変化》とよばれている 、
しんと暗く、何も息づいていない。見なれていたはずのすべてのものが、まるでそっぽを向いているではないですか───といった記述であるとか、こういった独特の文体のニュアンスを翻訳するのは、かなり難しいので。
ともあれ、『キッチン』をきっかけにして、少女カルチャーは、開かれた伝播を開始したのである。「この世の女の子のマイナー性」といった、秘密にしておきたかったかもしれないニュアンスも含めて露見したのは、けっして望んでいた展開ではないのだろうけれども。
───目立てば、当然、批判も出る。たとえば、『七月七日に』には、登場人物が温かい家族のなかに回収されて終わるというパターンを徹底的に拒否するラディカルさがあるのに対して、『キッチン』や『満月』では、優等生的な甘ったるいオチを付けてまとめてしまっているという批判がある。また、天涯孤独の身となったみかげのもとに、性的な欲求抜きで、ひたすらみかげを大切にしてくれる青年が現れるのは、少女漫画の設定だとしても都合が良すぎて何だかな~という批判もある。
その一方で、凄くしんどいときに『キッチン』を読んだら、「そうか、どんなに辛くても、幸せになりたいと願っていいんだ」と思えてきて救われたという、心からの感謝もある。作品から漂う穏やかな保守性が、少女カルチャーに疎いオジサンへの訴求力を支えているという評価も。
このあたりは、受け取りかた次第ではあるけれども、最大公約数的にまとめると───少女カルチャー由来の、詩的で感傷的な独白にみえるけれども、実は平易で簡潔な文体を駆使することで、ヒリヒリするような孤独感や、軽やかな透明感や、スタイリッシュな悲しみや、丁寧な暮らしや、超常現象や、絶望からの再起まで、全てを書ききってしまうからこそ、大いに読者の共感をよんでいる───といったところになるのではないか。
なお、『キッチン』の重要キャラクターである、えり子さんは、最初から狙って性転換者だったわけではないようだ。つまり、はなから《『七月七日に』の真似をして小説を書こう♪》などという計画があったのではないということである。
途中まで女のお母さんで書いていたら(中略)ものすご~く失敗しちゃって、一からやり直したときに、「え~い、もうオカマにしちゃえ」っていう風にしたんですね。(『吉本隆明✕吉本ばなな』ロッキング・オン、1997年2月25日)
息子が連れてきた若い女性と、母親との間には、どうしたって、嫁と姑のような雰囲気が生まれてしまうだろうからねえ。それを排除するための工夫からたどり着いた、後づけの本歌取りのようである。全てが計算ずくだと、策士策に溺れるといった事態に陥りやすいので、試行錯誤は大事なのだ。
───と、このように様々な考察が生まれるということは、それだけ、この作品がテクストとして優れているということを示しているのだと思う。何よりも、読んでいて、素直に楽しいし。短期的にみるとマイナスに思えるできごとも、長期的にみれば、大事な滋養になることに気づかされる。そういう物語である。
掲載日:
外部ブログURLが設定されていません
投票する
投票するには、ログインしてください。
読んでいて面白い~と思った本の読書記録です。
この書評へのコメント

コメントするには、ログインしてください。
書評一覧を取得中。。。
- 出版社:角川書店
- ページ数:200
- ISBN:9784041800089
- 発売日:1998年06月23日
- 価格:420円
- Amazonで買う
- カーリルで図書館の蔵書を調べる
- あなた
- この書籍の平均
- この書評
※ログインすると、あなたとこの書評の位置関係がわかります。






















