shawjinnさん
レビュアー:
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三流詐欺師と写植技師と編集者の物語。読後感は良い。

本書は『Lie lie Lie』というタイトルで映画にもなっている。
相川真は詐欺師である。三十歳をこえた頃、父親が死んで家業の家具屋を継いだのだが、当初から資金繰りが大変だった。そして、手形のパクリに引っかかって会社は倒産してしまう。詐欺をはじめたのは、それがきっかけである。もう騙されるのは懲り懲りだ。
銀座の画廊で展覧会を開いていた千頭キキのところに転がり込んでいたときには、ショットガンとライフルでスプレー缶を撃って破裂させ、木の切り株に吹き付けるという作品づくりを面白半分に手伝っていた。そのキキから六百万円を借りて逃げようとしているところを見つかり、ショットガンで狙われるはめに。「今日のスプレー缶はあんただ。赤のスプレーね」。実は、キキは、西の方では知らないものはいない千頭組の組長のひとり娘であることが後に判明する。
そして、身を隠そうと生まれた街に戻ってきて、高校のときの知り合いである波多野善二のところに転がり込んだ。波多野は写植屋であり、電算写植機の前でオフセット印刷用の版下をつくり続けているような人物である。その波多野は、相川からもらった睡眠薬のナルムレストを飲んだところ、文章がどこからともなく降りてくるように。
ドタバタ生活の中で、相川が波多野にプルピートス(スペイン料理)をふるまう場面も。もちろん、プルピートスなどという洒落た名前は一切登場しないのだけれども。
波多野に写植を発注している印刷屋の若社長と一緒に、地元医師協会の四十年史を製作する事業の競合プレゼンに成功した二人。今度は、波多野が夢うつつで書いた文章を、幽霊が書いた小説として売り出そうと大手出版社を訪れる。そこに現れたのが、編集者の宇井美咲である。そして、物語は思わぬ方向に転回する。───
なお、宇井というのはこんな人物である。
◇
この小説のテーマのひとつは自動書記だと思う。まるで、はじめからそこにあったかのような作為のない文章群が、同時に素晴らしい作品にもなっているのであれば、こんなに良いことはない。といっても、クスリでラリっているだけであれば、意味不明の文章にしかならないだろうし、シニフィアンだけから成る存在の手による文章ならば、AIの一種である大規模言語モデル(LLM)の生成する文章が既に生み出されている───けれども、あんまり面白くない。心に映った情景をあてどもなく紡ぎ出すのは、心理の分析には役立ちそうである───とはいえ……。まあ、うまくいった物語は、やがて自分自身で動き出すようになるということであれば、それはありそうである。
何だろう。情報とエネルギーは等価なのだが、その情報自体の様式のなかに、自生的秩序が生み出されるか否かの秘密が隠されているような気がする。
相川真は詐欺師である。三十歳をこえた頃、父親が死んで家業の家具屋を継いだのだが、当初から資金繰りが大変だった。そして、手形のパクリに引っかかって会社は倒産してしまう。詐欺をはじめたのは、それがきっかけである。もう騙されるのは懲り懲りだ。
銀座の画廊で展覧会を開いていた千頭キキのところに転がり込んでいたときには、ショットガンとライフルでスプレー缶を撃って破裂させ、木の切り株に吹き付けるという作品づくりを面白半分に手伝っていた。そのキキから六百万円を借りて逃げようとしているところを見つかり、ショットガンで狙われるはめに。「今日のスプレー缶はあんただ。赤のスプレーね」。実は、キキは、西の方では知らないものはいない千頭組の組長のひとり娘であることが後に判明する。
そして、身を隠そうと生まれた街に戻ってきて、高校のときの知り合いである波多野善二のところに転がり込んだ。波多野は写植屋であり、電算写植機の前でオフセット印刷用の版下をつくり続けているような人物である。その波多野は、相川からもらった睡眠薬のナルムレストを飲んだところ、文章がどこからともなく降りてくるように。
ドタバタ生活の中で、相川が波多野にプルピートス(スペイン料理)をふるまう場面も。もちろん、プルピートスなどという洒落た名前は一切登場しないのだけれども。
相川はおれを無視して、またまな板の方に向かった。さくさくといい音がして、やがてセロリの芳香がおれの方まで漂ってきた。
じゃっ!
と爆発音がフライパンの中でとどろいて、二十秒ほどすると料理はでき上がっていた。調理人兼給仕の世界一清潔な男は、紙皿に料理を取り分けて運んできた。なるほど、皿の上は烏賊(いか)の墨でまっ黒だったが、ニンニクとセロリとオリーブオイルのうまそうな匂いがそこから立ちのぼっていた。山盛りになった輪切りのフランスパンをひとつ取ると、おれはプラスチックのフォークで烏賊を取り、パンに乗っけて齧(かじ)りついた。
波多野に写植を発注している印刷屋の若社長と一緒に、地元医師協会の四十年史を製作する事業の競合プレゼンに成功した二人。今度は、波多野が夢うつつで書いた文章を、幽霊が書いた小説として売り出そうと大手出版社を訪れる。そこに現れたのが、編集者の宇井美咲である。そして、物語は思わぬ方向に転回する。───
なお、宇井というのはこんな人物である。
「困りますか、文学論は」
女史は氷だらけになったロックグラスをかちゃりと置いて言った。
「糞食らえですわ」
一瞬、相川が息を呑んだ。
「″糞食らえ"ですか。これは……淑女にしては大胆なご発言だ」
女史は空のグラスをウェイターに示してから言った。
「失礼。言い直しますわ。私が聞かされるのは、何部売れるか売れないかが本音として横たわっている上での、業界人の文学論です。あんなものは相川さん、"うんこ召し上がれ"ですわ」
◇
この小説のテーマのひとつは自動書記だと思う。まるで、はじめからそこにあったかのような作為のない文章群が、同時に素晴らしい作品にもなっているのであれば、こんなに良いことはない。といっても、クスリでラリっているだけであれば、意味不明の文章にしかならないだろうし、シニフィアンだけから成る存在の手による文章ならば、AIの一種である大規模言語モデル(LLM)の生成する文章が既に生み出されている───けれども、あんまり面白くない。心に映った情景をあてどもなく紡ぎ出すのは、心理の分析には役立ちそうである───とはいえ……。まあ、うまくいった物語は、やがて自分自身で動き出すようになるということであれば、それはありそうである。
何だろう。情報とエネルギーは等価なのだが、その情報自体の様式のなかに、自生的秩序が生み出されるか否かの秘密が隠されているような気がする。
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- 出版社:文藝春秋
- ページ数:268
- ISBN:9784167585013
- 発売日:1997年09月01日
- 価格:490円
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