茜さん
レビュアー:
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「哲学を文学に、文学を哲学に」変えようとするこの独特の文章は「フランス散文の傑作」と評される。
ルーアンの新聞に「日曜語録」として連載されたのを皮切りに、総計5000に上るアランの「プロポ」(哲学断章)。「哲学を文学に、文学を哲学に」変えようとするこの独特の文章は「フランス散文の傑作」と評される。幸福に関する93のプロポを収めた本書は、日本でも早くから親しまれてきたもの。
325ページの本書ですが、読了するまでにかなりの時間を要しました^^;
基本的に私は就寝する前に読書をするのだけれど、寝転んで読む姿勢になるのは必然的なワケで、ジャンルによっては段々と盛り上がってきて、それはある種の興奮状態となり読むという行為を継続できるのだけど、本書はまるでお釈迦様に説法されているような気分になり物凄く睡魔に襲われてしまったからだ。
学生時代につまらない授業をする先生の時間は寝る時間と決めていた私の悪癖が出てしまった様な気がします。
でも、決して退屈で面白くないというワケではない。
タメになる事がたくさん書いてあるし、人生という荒波に立ち向かうような術が書いてあったりします。
要するに私のキャパシティがオーバーしてしまい結果、処理能力が追い付かず敢え無くオーバーヒートで睡魔に襲われたと。。。^^;
「幸福論」なんて難しいタイトルですが内容はそんなに難しい物ではなかったです。
ただ、この本は傍に置いてふと手に取り断章を味わうというような読み方をされる類の本だと思いました。
以下は気に入った文章。
・幸福はいつもわれわれの手から逃げて行くといわれている。人からもらう幸福については、それは正しい。人からもらう幸福などは、まったく存在しないからだ。しかし、自分でつくる幸福というのはけっしてだまさない。
・賢者が言ったように、まず幸福になりたまえ。なぜなら、幸福は平和がもたらす結果ではない。幸福とは平和そのものであるから。
・礼儀作法をわきまえた人間とは、害が救いがたいようにならないうちに、気まずさを感じ、品よく話を逸らす人間のことである。しかし、言うべきことと、言ってはならないこととをあらかじめ察するようになり、そして確信が持てないときは、その家の主人に話の方向を一任してしまうようになると、そこにはさらに豊かな礼儀作法があるといえる。これらはすべて、思いがけずだれかを傷つけることがないようにするためである。
・君が将来幸福であるように思うとしたら、それはどういうことかをよく考えて見たまえ。それは今、君はすでに幸福をもっているからだ。期待を抱くこと、それはつまり幸福であるということなのだ。
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天然系変人B型♀です。ブログに読んだ本の忘備録を書いてます。
初志貫徹、実るほど頭を垂れる稲穂かな
読む本は表紙or題名or興味が沸いた本を選んでいますのでジャンルは雑多です。
暇な時はネット徘徊or読書orゲームしてます。
トライポフォビア^^;
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- 出版社:岩波書店
- ページ数:325
- ISBN:9784003365625
- 発売日:1998年01月01日
- 価格:735円
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