ときのきさん
レビュアー:
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変わるもの変わらぬもの、それから
八丁堀近く、因幡町藤左衛門長屋の大家・藤介には気にかかる店子がいた。久瀬棠庵というその男、本草学者を名乗る本の虫で、家賃の払いは悪くないのだが何をして稼いでいるのか見当がつかない。そんなある日、棠庵宅のむかいに孫娘と暮らしていた老人が急死する。藤介の前に現れた孫娘は、自分が殺したと告白するが、遺体の状況は証言と微妙に矛盾する。事情を知った棠庵は老人の死因を馬癇という虫のせいだというのだが……
長屋の大家である藤介と、本草学者・久瀬棠庵を主人公とした連作短編集だ。毎回、ふたりが長屋を舞台にした謎の病がらみの事件に巻き込まれ、棠庵が名探偵よろしく典籍から人中に巣食い病の原因となっている“虫”を突き止め解決する、というフォーマットで展開する。
本草学は中国由来の薬物学で、薬用となる植物、鉱物、動物などの研究をする学問だ。各短編の扉には過去に採録された“虫”が史料から引用されている。かつては、こうした奇怪なみてくれの虫が人体に寄生し、さまざまな病を引き起こすと考えられていた。
現在の読者が知るように、もちろんこのような虫は実在しないし、病気の原因は別に存在する。では、当時の人々は、虫の存在を信じていたのだろうか?実際、長屋のひとびとや世間は、虫の仕業という説明で納得し、棠庵は知らぬ間に名声を博したりする。だが、当の棠庵自身は懐疑的であり、虫とは、過去の研究者たちが病とそれへの対応の仕方を記録するために用いた便宜的な表現、と考える。文献の記述を辿りながら、まだそれと名指す言葉の生まれる前の病を推定し、手探りの対処をおこなう。
持ち込まれるどの事件も病そのものが問題の本体というわけではない。病を治せば全て丸く解決、とはならないので、複雑に入り組んだ事態を丸く収めるために方便として棠庵は虫を利用する。時代は18世紀終盤。オランダから渡ってきた蘭学も発展し、病はバチや呪いやたたりではなく、特定器官の失調によってもたらされるという共通認識の広まりを背景にしているからこそ虫という説明も成立する。何も棠庵ひとりが現代からタイムスリップした合理主義者のように思考できるというわけではない。ひとびとが依拠している“リアル”が変化する時期を描いた作品でもあるのだ。
棠庵と藤介のかけあいには変則的なバディものの味わいがあって、長屋に住む面々も読み進めるうちにおなじみの顔ぶれとして親しみがわいてくる。彼らの関係は腐れ縁というのがまさに適切で、心温まる人情長屋ものなどでは全くないが、率直でしばしば辛辣なやりとりにはぬるくない程度のひとの温もりがやはり通ってもいる。何かとままならず、やりきれない渡世で、袖すりあったひとびとが、貧しいながらも明るく騒々しく、手前の気持ちになるべく忠実にあろうとする。
欠けたるところ余分なところ、色も形も異なる一葉の集まりがざわざわと擦れあい揺さぶりあって、それなりにまっとうに生きていく。ビブリオマニアで奇人の棠庵も、俗人の藤介も、事件の関係者同様それぞれに抱えているものがある。虫という奇態な言葉を通してはいるが、悩みあり笑いあり悲しみと喜びありの、つまりは普通人の生活の物語だ。
すっかり変わってしまった現代から、フィクションとして仮構された過去の中に今と変わらぬものを観る。それは時代小説のもたらす慰めだ。だが懐かしく温かい過去だけがひとを力づけるわけではない。いそがしく移り変わりゆく世界で、戸惑いながらも変化とともに生きていく凸凹した不揃いなひとびとの姿もまた、読者に励ましを与えてくれるのではないだろうか。
長屋の大家である藤介と、本草学者・久瀬棠庵を主人公とした連作短編集だ。毎回、ふたりが長屋を舞台にした謎の病がらみの事件に巻き込まれ、棠庵が名探偵よろしく典籍から人中に巣食い病の原因となっている“虫”を突き止め解決する、というフォーマットで展開する。
本草学は中国由来の薬物学で、薬用となる植物、鉱物、動物などの研究をする学問だ。各短編の扉には過去に採録された“虫”が史料から引用されている。かつては、こうした奇怪なみてくれの虫が人体に寄生し、さまざまな病を引き起こすと考えられていた。
現在の読者が知るように、もちろんこのような虫は実在しないし、病気の原因は別に存在する。では、当時の人々は、虫の存在を信じていたのだろうか?実際、長屋のひとびとや世間は、虫の仕業という説明で納得し、棠庵は知らぬ間に名声を博したりする。だが、当の棠庵自身は懐疑的であり、虫とは、過去の研究者たちが病とそれへの対応の仕方を記録するために用いた便宜的な表現、と考える。文献の記述を辿りながら、まだそれと名指す言葉の生まれる前の病を推定し、手探りの対処をおこなう。
持ち込まれるどの事件も病そのものが問題の本体というわけではない。病を治せば全て丸く解決、とはならないので、複雑に入り組んだ事態を丸く収めるために方便として棠庵は虫を利用する。時代は18世紀終盤。オランダから渡ってきた蘭学も発展し、病はバチや呪いやたたりではなく、特定器官の失調によってもたらされるという共通認識の広まりを背景にしているからこそ虫という説明も成立する。何も棠庵ひとりが現代からタイムスリップした合理主義者のように思考できるというわけではない。ひとびとが依拠している“リアル”が変化する時期を描いた作品でもあるのだ。
棠庵と藤介のかけあいには変則的なバディものの味わいがあって、長屋に住む面々も読み進めるうちにおなじみの顔ぶれとして親しみがわいてくる。彼らの関係は腐れ縁というのがまさに適切で、心温まる人情長屋ものなどでは全くないが、率直でしばしば辛辣なやりとりにはぬるくない程度のひとの温もりがやはり通ってもいる。何かとままならず、やりきれない渡世で、袖すりあったひとびとが、貧しいながらも明るく騒々しく、手前の気持ちになるべく忠実にあろうとする。
欠けたるところ余分なところ、色も形も異なる一葉の集まりがざわざわと擦れあい揺さぶりあって、それなりにまっとうに生きていく。ビブリオマニアで奇人の棠庵も、俗人の藤介も、事件の関係者同様それぞれに抱えているものがある。虫という奇態な言葉を通してはいるが、悩みあり笑いあり悲しみと喜びありの、つまりは普通人の生活の物語だ。
すっかり変わってしまった現代から、フィクションとして仮構された過去の中に今と変わらぬものを観る。それは時代小説のもたらす慰めだ。だが懐かしく温かい過去だけがひとを力づけるわけではない。いそがしく移り変わりゆく世界で、戸惑いながらも変化とともに生きていく凸凹した不揃いなひとびとの姿もまた、読者に励ましを与えてくれるのではないだろうか。
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海外文学・ミステリーなどが好きです。書評は小説が主になるはずです。
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- 出版社:文藝春秋
- ページ数:0
- ISBN:9784163918679
- 発売日:2024年08月07日
- 価格:2420円
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