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ホセさん
ホセ
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越後の縮み問屋の跡取りが、三十年かけて一冊の本『北越雪譜』を江戸で板行(出版)するまでのお話。 木内昇らしい、控えめな主人公とその周り、その時代と、その空気を浮き彫りにしてくるエピソードに溢れていた。
643 木内昇 「雪夢往来」

越後の縮み問屋の跡取りが、三十年かけて一冊の本『北越雪譜』を江戸で板行(出版)するまでのお話。
木内昇らしい、控えめな主人公とその周り、その時代と、その空気を浮き彫りにしてくるエピソードに溢れていた。

木内昇は、新作が出たら必ず手に取るようにしている、数少ない作家だ。
いったい木内の作品のどこが、私を強く引っ張ってくるのだろう?

一つ目は、主人公をスーパーマンにしないところ。
それどころか、随分と「足りない」「偏った」人のお話の時もある。
また木内は、彼らが突き進んでいくこと(そういった物語が多いのだ)に、何故惹かれたのか、
という「動機」を、安易に書かないところかもしれない。

木内は、主人公よりも「周りの者に(テーマらしき事を)主張させて」、
その結果「主人公には行動させるだけ」ということが多いと感じている。
一人ひとりの欲望は捨て置けないけれど、大きく動くためには周りの人や事象が絡んでいる、と見切っているようだ。

本作でも、主人公の鈴木儀三治(『北越雪譜』筆者名は、彼の俳号の「鈴木牧之」。本述では儀三治で統一する)は、
板行までにこぎつけるパワフルな男でも、江戸で名を挙げたいと強い上昇志向を持つギラギラした男でも無い。
若い頃に父の計らいで、江戸に一ヶ月の滞在を許された時に、私塾に通い詰めた
そこで侍の子息たちに興味深く尋ねられ、答えた越後の事を、「法螺だ、ホラ」と笑われ、取り合ってもらえなかった。

儀三治に悔しさはあっただろうが、悔しさだけが原動力では無さそうだ。
自分たち越後の者は江戸の事を聞き及んでいるのに、江戸の人は越後の事を全く知らないことへの驚き、
また自分が暮らしている、この楽しい土地を知って貰いたいという、湧き出るような希求に見えた。
粘り強く板業に取り組み、毎晩遅くまで筆をとっているが、普段の儀三治は「とにかく穏やか」だ。

さあ、越後の暮らしや雪の深さ、その雪のための道具だったり、言い伝えの化け物などなどを綴った儀三治は、
江戸で世話になった私塾の先生(亡くなっており息子)に、原稿を送り、少々のお金を添えて板行の紹介を頼む。

最初に白羽を立てられたのは、戯作者の山東京伝。江戸では五本指に入るほど名高い。
京伝は興味を持つが、相談された京伝の板元(版元)は、自腹では印刷しないので、
越後のその何某に、五十両送らせるように答える。

自分の店を大きく建て替えても三十両で済むほどの大金で、儀三治は京伝の筋を諦める。
次に塾長が持ち込んだのも戯作者で、京伝よりも有名な滝沢馬琴。
この馬琴が、何ともねじ曲がって、執念深い悪役として描かれている。

馬琴から「自分の著作がひと段落ついたら手掛ける」と言われ続け、儀三治は十年以上待たされる。
諦めて大阪の版元とやり取りするが、ここで音頭を取った絵師も身罷ってしまった。
江戸の京伝も亡くなり、弟の京山が何とかしようと馬琴を訪ねるが、何と馬琴は原稿を捨ててしまったと言う。
儀三治は改めて書いて、京山とその息子の京水の絵をもって、板行すべくタッグを組んだ。

木内昇らしく、儀三治の周りのドラマは地味だ。
敢えて言うなら、四回もの婚姻があり、そのうち儀三治を盛り立ててくれたのは、病気で亡くなった宇多だけ。
宇多が死後も時折現れて、ぶっきらぼうに儀三治を励ましている。

一方、江戸の京伝、弟の京山、そして滝沢馬琴の周りのドラマは激しい。
駆け出しの頃に京伝に世話になったにも関わらず、名をあげた後の馬琴は、京伝を目の敵にする。
当の京伝は、懐の大きい男に描かれていて、とても魅力的だが、早逝してしまう。
京伝に声を掛けられて、侍の身から戯作者になった弟の京山が、厳しい馬琴と対峙する、という構図だ。

儀三治は宇多の他にも、支えられている。
特に近所の造り酒屋の幸吉は、儀三治をけしかけて江戸滞在に同行しているし(幸吉は私塾なんぞには行かないが)、
少しとぼけた話しぶりで儀三治の「背中を押す」、貴重なバイプレーヤーだ。

板行を前に、どうしても越後の地を見て画を描きたいという息子京水の申入れを汲んで、京山は二人で越後の儀三治を訪ねる。
画の心得が少しある儀三治が、幾つかを文に添えて送っていたのだが、いざ当地に来てみると、
こんな風に道具は使われているんだ、
山や野に在る木や植物は江戸と違ってこんな感じなんだ、
と京水は感じ入って、筆を進める。

着いて最初の晩に「なぜこの書を板行したいと考えたのですか?」と京山に尋ねられた儀三治は、答えに詰まる。
最初の思いから長い年月が経ち、その間には「江戸で名をあげたい」「自分の名を書に残したい」といった欲があった事を思い出す。
儀三治は昔から、当地の言い伝えられる化け物を見ることがあったのだが、
そうした欲が顔を出し始めてから、化け物は姿を現わさなくなっていた。

京山と京水親子の滞在中に、中風(脳卒中)で儀三治は倒れてしまうが、土地の案内は、娘のくわが気張ってくれた。
帰国が近づいてきた京山親子に、儀三治が「欲が湧いた時もありましたが・・・」と前置きして、
それでも、長い間板行を望んでいたのは、
「この地のことを書いておるとき、私は心くつろいでおりました」
と話す。

京山も越後滞在中に、掛り中の自著について筆をとることがあったのだが、
江戸に居る時より、ずいぶんと滑らかに筆が進んでいる事に、驚いていた。

本著は、儀三治=鈴木牧水が「越後雪譜」を出版するまでの大河ドラマに、ずっと見えていたが、
読後になって、これは木内昇が改めて「私は書く事が好きです、書き続けます!」と、
儀三治を使って高らかに宣言しているのではないかと思い至った。

江戸の描写や、時々の御触れを読み重ねていくと、当時の江戸の空気・風を感じられた気になっていた。

お話を全て読んでから、時にはしばらく時間が経ってから、
著作の大きな枠組みを感じられたり、気が付いたり、また想像したくなる。
そんなところが、私にとって木内昇の、二つ目の大きな魅力である。

(2025/2/16)
PS 雪のお話が多いから、雪華図を是非引用させてもらおうと、京山京水が儀三治に勧めて実現するのが、
  土井利位の『雪華図説』(下図)。
  あれ、と調べてみたら土井利位は、前述21 西條奈加「六花落々」の、「雪の殿様」だった。
  「六花落々」は土井と、その御学問相手に登用された尚七が、「雪華図説」を板行するまでのお話。
  (私のブログでは「山本周五郎「さぶ」が心に残っている人は一読されたし」と勧めていた)
  ここにも、気づいて観察し、書き、伝えることに打ち込んだ人たちが居り、
  その彼らと儀三治が繋がっているのに気づいた時には、表し難いほど愉快だった。

PPS 同じような「私は書きます!」宣言を、西加奈子「サラバ!」で感じたと、又吉直樹が解説で述べていた。
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ホセ
ホセ さん本が好き!1級(書評数:667 件)

語りかける書評ブログ「人生は短く、読むべき本は多い」からの転記になります。
殆どが小説で、児童書、マンガ、新書が少々です。
評点やジャンルはつけないこととします。

ブログは「今はなかなか会う機会がとれない、本読みの友人たちへ語る」調子を心がけています。
従い、私の記憶や思い出が入り込み、エッセイ調にもなっています。

主要六紙の書評や好きな作家へのインタビュー、注目している文学賞の受賞や出版各社PR誌の書きっぷりなどから、自分なりの法則を作って、新しい作家を積極的に選んでいます(好きな作家へのインタビュー、から広げる手法は確度がとても高く、お勧めします)。

また、著作で前向きに感じられるところを、取り上げていくように心がけています。
「推し」の度合いは、幾つか本文を読んで頂ければわかるように、仕組んでいる積りです。

PS 1965年生まれ。働いています。

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