素通堂さん
レビュアー:
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雪は舞い降りるときが美しく、水はその流れる様が美しい。
12月になって、冬らしくなってきましたね。僕の住んでいる辺りの初雪はまだ先だろうけれど、どこかの雲の中では今、雪のひとひらが生まれているのでしょうか。
ある寒い冬の日、雪のひとひらは空の上で生まれます。彼女はやがて地上に舞い降りて町に積もる雪となり、やがて春が来て水になって川を流れていきます。
雪であったころは橇に踏まれたり、雪だるまにされたり。川に流れてからは水車に巻かれたり、下水道に流されたり。
そんなさまざまな経験を経ながら、海へと流れてゆきます。
この物語はひとひらの雪を女性になぞらえています。
だからこの物語の中の出来事、先に述べた橇に踏まれることや雪だるまにされることや水車に巻かれることや下水道に流されること、というのは人間の体験できることではないのですが、それにもかかわらず、この物語を読んだ人は「自分にもそういうことがあったような気がする」という気持ちになることでしょう。
最初この物語を読んだとき、僕はこの物語が雪を擬人化したものだと思っていました。
でも、もしかしたらそうではないのかもしれません。
僕たち人間が生物ではない雪ですら擬人化することができるというよりも、むしろ僕たち人間が生きるということが、実はあまりに自然に似ているのかもしれない。
老子に「上善は水の若(ごと)し」という有名な言葉があります。
水は万物の生長をりっぱに助けて、しかも競い争うことがなく、多くの人がさげすむ低い場所にとどまっている。そういう生き方が美しいのだ、と。
水というのは、自分の意志があって流れるものではありません。それはただそういうものとして流れているものです。
人が生きることもまた同じように、石にぶつかったり、急流に飲み込まれたりしながらも、それでも流れ続けていくのでしょう。そこに意味があろうとなかろうと。
雪のひとひらは何度も心の中で思います。「私はなんのために生まれてきたのだろう」と。
その答えは結局示されません。僕たちが生きていく中でそんな答えに巡り合うことがないように。
自分が生まれてきたことに意味なんてないのだとすれば、ならば生きるということは空しいことなのでしょうか。
でも彼女は思うのです。自分は「終始役立つものであり、その目的を果たすために必要とされるところに、終始居合わせていた」と。
結局のところ、その時その時でやるべきことを、役立つであろうことをやり続けることが生きるということ。そしてそのようなことを続けてきた者のみが、その自分のなしてきたことを振り返って、そこに意味を感じることができるのかもしれません。
雪が美しいのは雲の中でつくられている時ではなく、空から降っている時であり、どこかに積もっている時です。
人の美しさ、人が生きる意味というのもまた同じ。そんなものはあらかじめ用意されているわけはないし、特別な存在として生まれてくる人なんていないでしょう。ただその生きてきた道のりが、その流れが特別なのです。
「自分なんて所詮…」そんなことをつい考えてしまうけれど、でも、僕もあなたも、空から舞い降りて流れてゆく雪のひとひらなのですね。
ある寒い冬の日、雪のひとひらは空の上で生まれます。彼女はやがて地上に舞い降りて町に積もる雪となり、やがて春が来て水になって川を流れていきます。
雪であったころは橇に踏まれたり、雪だるまにされたり。川に流れてからは水車に巻かれたり、下水道に流されたり。
そんなさまざまな経験を経ながら、海へと流れてゆきます。
この物語はひとひらの雪を女性になぞらえています。
だからこの物語の中の出来事、先に述べた橇に踏まれることや雪だるまにされることや水車に巻かれることや下水道に流されること、というのは人間の体験できることではないのですが、それにもかかわらず、この物語を読んだ人は「自分にもそういうことがあったような気がする」という気持ちになることでしょう。
最初この物語を読んだとき、僕はこの物語が雪を擬人化したものだと思っていました。
でも、もしかしたらそうではないのかもしれません。
僕たち人間が生物ではない雪ですら擬人化することができるというよりも、むしろ僕たち人間が生きるということが、実はあまりに自然に似ているのかもしれない。
老子に「上善は水の若(ごと)し」という有名な言葉があります。
水は万物の生長をりっぱに助けて、しかも競い争うことがなく、多くの人がさげすむ低い場所にとどまっている。そういう生き方が美しいのだ、と。
水というのは、自分の意志があって流れるものではありません。それはただそういうものとして流れているものです。
人が生きることもまた同じように、石にぶつかったり、急流に飲み込まれたりしながらも、それでも流れ続けていくのでしょう。そこに意味があろうとなかろうと。
雪のひとひらは何度も心の中で思います。「私はなんのために生まれてきたのだろう」と。
その答えは結局示されません。僕たちが生きていく中でそんな答えに巡り合うことがないように。
自分が生まれてきたことに意味なんてないのだとすれば、ならば生きるということは空しいことなのでしょうか。
でも彼女は思うのです。自分は「終始役立つものであり、その目的を果たすために必要とされるところに、終始居合わせていた」と。
結局のところ、その時その時でやるべきことを、役立つであろうことをやり続けることが生きるということ。そしてそのようなことを続けてきた者のみが、その自分のなしてきたことを振り返って、そこに意味を感じることができるのかもしれません。
雪が美しいのは雲の中でつくられている時ではなく、空から降っている時であり、どこかに積もっている時です。
人の美しさ、人が生きる意味というのもまた同じ。そんなものはあらかじめ用意されているわけはないし、特別な存在として生まれてくる人なんていないでしょう。ただその生きてきた道のりが、その流れが特別なのです。
「自分なんて所詮…」そんなことをつい考えてしまうけれど、でも、僕もあなたも、空から舞い降りて流れてゆく雪のひとひらなのですね。
雪のひとひらはうれしくてうれしくて、ぼうっとする思いでした。自分ではしんじつ誰よりおびえあがっていたつもりなのに、それをよくやるなと思っていてくれるひとがあったのです。
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twitterで自分の個人的な思いを呟いてたら見つかってメッセージが来て気持ち悪いのでもうここからは退散します。きっとそのメッセージをした人はほくそ笑んでいることでしょう。おめでとう。
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- 出版社:新潮社
- ページ数:159
- ISBN:9784102168059
- 発売日:2008年11月27日
- 価格:460円
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