shawjinnさん
レビュアー:
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解説される、小説を面白く読むための技術が、新鮮で面白かった。
角川文庫夏フェア2025に挑戦!参加レビューです。
本書には、著者の三宅香帆さんが大学院で学んだ、文学を読むための「秘伝の技」が満載されている。その一方で、ぼくはといえば、大学で専門に勉強したのは物理学だし、文学については、あるテキストを一行一行詳細に読む真似事をしたことくらいしか経験がない。だから、本書の内容は、新鮮でとても面白かった。
特に、三島由紀夫の『金閣寺』の解説で、金閣寺をアイドルにたとえる記述が秀逸だと思った。
───小さいころから、それは美しい存在だと聞かされてきたアイドル。でも、実際に間近で見てみると、そこまで美しいわけじゃない。仕方がないので、アイドルのポスターを見て「本当はもっと美しいんでしょ。本当の姿をぼくに見せてよ」とつぶやく。
ある日、現実世界で友達から紹介された女の子に会ったときにも、妙にアイドルのことばかり頭に浮かんでくるので、結局、女の子から呆れられてしまう。学校にも行かなくなり、将来の展望も絶たれ、家出して海を見に行く。そして次のような着想を得るに至るのだ「あのアイドルを殺したらいいんじゃないか」。だって、アイドルの美が完成するのは、自分の手で焼いたときなのだから。───
これだ!もう、「金閣寺=アイドル」としか思えなくなってきた。しかも上手い設定である。比較例をあげてみよう。たとえば、そうだな~、アイドルを殺害した黒幕の動機が《瞳に星が宿るような価値ある人間の命を奪うことで快楽を感じるサイコパスだから》といった設定よりも、だいぶ出来映えが良いのではないか。こういう設定を思いつく三島由紀夫って、やっぱり凄いのかも。
それから、(1)フィクションを読んでいるときに、キャラクターには感情移入しなくても良いこと。また、(2)ストーリーの起承転結をただ楽しむよりも、小説に隠された作者の考え方を楽しんだほうが面白くなる小説は意外と多いこと。───といった説明にも膝を打った。そうそう。そうでしょうとも。
とはいえ、レビューを書くときに、ネタバレをどこまでやるべきかは、ぼく自身がよくわかっていないので、毎回手探りなのだけれども。個人的な好みを全開にすると、常にネタバレ山盛りで問題なし!になってしまいそうだし。
また、物語への入り込み欲というのも、特に歴史上の人物を描いているときなどには、注意が必要だと思う。何しろ、演出のためにキャラクターを際立たせていくと、史実とドンドン乖離していってしまうのだから。この現象は、小説だけでなく、舞台や映画やドラマなどでも頻繁に発生しているけれども、それで良いのだろうか?───まあ、ただ、歴史学の起源というのは、こういう素朴な物語による記憶のなかにあることもまた、確かなのだろうけれども。
あとは、『ピーター・パンとウェンディ』。ウェンディは、大人になってからでも、ピーターの姿を見れば「一緒に飛べたらいいのに」と思うことに変わりはない。だけど娘に「お母さんになったら、お母さんは飛べないでしょ」といわれてしまう現実もある。これについて本書では、悲しい場面だと書かれているけれども、それは違うんじゃないのかなあと思った。最終的にウェンディは「確かにそうね」と、自分の娘を誇らしく思って、目を細めるに相違ないのだ。娘が自分の庇護や自分の能力を超えていくことは、喜び以外の何物でもないのだし。
更に、夏目漱石について。彼は、自分の体調にも神経症にもずっと悩まされていたけれども、結局、生涯自殺することはなかった。最期まで病に苦しみきって亡くなったらしい。「どうだ。見てみろ。芥川に太宰に三島に川端!」。いや本当にそうだ。ぼくも前からずっとそう思っていた。
そして、一番気になったのが、小説じゃないと伝わらない思想について。───他人に伝えたい考え方や思想、あるいはテーマや風景について、普通に言葉にしただけでは、どうにも上手く伝わらないので、物語というかたちを取らざるを得ない。そうしないと外界に伝わらない思想がある。だから、小説なのだ───とのこと。
なるほどねえ。そうなんだろうなあ。───これを読んで、あらためて思ったのは、ぼく自身には、自然現象を解読するスタイルで、全てを説明したいという妄想があって、そのことは常に気にかけている・・・つもりである。まあ、たとえ無茶であっても、この妄想は、これからも大切にしていきたいと思った。
本書には、著者の三宅香帆さんが大学院で学んだ、文学を読むための「秘伝の技」が満載されている。その一方で、ぼくはといえば、大学で専門に勉強したのは物理学だし、文学については、あるテキストを一行一行詳細に読む真似事をしたことくらいしか経験がない。だから、本書の内容は、新鮮でとても面白かった。
特に、三島由紀夫の『金閣寺』の解説で、金閣寺をアイドルにたとえる記述が秀逸だと思った。
───小さいころから、それは美しい存在だと聞かされてきたアイドル。でも、実際に間近で見てみると、そこまで美しいわけじゃない。仕方がないので、アイドルのポスターを見て「本当はもっと美しいんでしょ。本当の姿をぼくに見せてよ」とつぶやく。
ある日、現実世界で友達から紹介された女の子に会ったときにも、妙にアイドルのことばかり頭に浮かんでくるので、結局、女の子から呆れられてしまう。学校にも行かなくなり、将来の展望も絶たれ、家出して海を見に行く。そして次のような着想を得るに至るのだ「あのアイドルを殺したらいいんじゃないか」。だって、アイドルの美が完成するのは、自分の手で焼いたときなのだから。───
これだ!もう、「金閣寺=アイドル」としか思えなくなってきた。しかも上手い設定である。比較例をあげてみよう。たとえば、そうだな~、アイドルを殺害した黒幕の動機が《瞳に星が宿るような価値ある人間の命を奪うことで快楽を感じるサイコパスだから》といった設定よりも、だいぶ出来映えが良いのではないか。こういう設定を思いつく三島由紀夫って、やっぱり凄いのかも。
それから、(1)フィクションを読んでいるときに、キャラクターには感情移入しなくても良いこと。また、(2)ストーリーの起承転結をただ楽しむよりも、小説に隠された作者の考え方を楽しんだほうが面白くなる小説は意外と多いこと。───といった説明にも膝を打った。そうそう。そうでしょうとも。
とはいえ、レビューを書くときに、ネタバレをどこまでやるべきかは、ぼく自身がよくわかっていないので、毎回手探りなのだけれども。個人的な好みを全開にすると、常にネタバレ山盛りで問題なし!になってしまいそうだし。
また、物語への入り込み欲というのも、特に歴史上の人物を描いているときなどには、注意が必要だと思う。何しろ、演出のためにキャラクターを際立たせていくと、史実とドンドン乖離していってしまうのだから。この現象は、小説だけでなく、舞台や映画やドラマなどでも頻繁に発生しているけれども、それで良いのだろうか?───まあ、ただ、歴史学の起源というのは、こういう素朴な物語による記憶のなかにあることもまた、確かなのだろうけれども。
あとは、『ピーター・パンとウェンディ』。ウェンディは、大人になってからでも、ピーターの姿を見れば「一緒に飛べたらいいのに」と思うことに変わりはない。だけど娘に「お母さんになったら、お母さんは飛べないでしょ」といわれてしまう現実もある。これについて本書では、悲しい場面だと書かれているけれども、それは違うんじゃないのかなあと思った。最終的にウェンディは「確かにそうね」と、自分の娘を誇らしく思って、目を細めるに相違ないのだ。娘が自分の庇護や自分の能力を超えていくことは、喜び以外の何物でもないのだし。
更に、夏目漱石について。彼は、自分の体調にも神経症にもずっと悩まされていたけれども、結局、生涯自殺することはなかった。最期まで病に苦しみきって亡くなったらしい。「どうだ。見てみろ。芥川に太宰に三島に川端!」。いや本当にそうだ。ぼくも前からずっとそう思っていた。
そして、一番気になったのが、小説じゃないと伝わらない思想について。───他人に伝えたい考え方や思想、あるいはテーマや風景について、普通に言葉にしただけでは、どうにも上手く伝わらないので、物語というかたちを取らざるを得ない。そうしないと外界に伝わらない思想がある。だから、小説なのだ───とのこと。
なるほどねえ。そうなんだろうなあ。───これを読んで、あらためて思ったのは、ぼく自身には、自然現象を解読するスタイルで、全てを説明したいという妄想があって、そのことは常に気にかけている・・・つもりである。まあ、たとえ無茶であっても、この妄想は、これからも大切にしていきたいと思った。
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- ページ数:0
- ISBN:9784041128084
- 発売日:2023年12月22日
- 価格:880円
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