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紅い芥子粒
レビュアー:
いじめは、明るみに出さなければ止まらない。いじめられていたら、逃げなければ救われない。逃げて、逃げて、逃げて、生き延びて。
中学生の”ぼく”は、いじめられている。
”ぼく”の目は斜視で、それをからかわれているうちに、いじめに発展した。
いじめているのは、成績がよくスポーツができて端正な顔立ちの二宮とそのとりまきたち。
暴力的で、陰湿で、残虐ないじめだった。

同じクラスで、女子の間にもいじめがあった。二宮たちと同じようなグループが女子にもあって、コジマという子がいじめられていた。コジマは、臭いとかきたないとかいわれて、いじめられていた。

ある日、ぼくの机の中に、手紙が入っていた。<わたしたちは仲間です>
コジマからの手紙だった。
”ぼく”とコジマは、人目を忍んで会うようになる。
洗濯していない服。汚れたままの靴。何日も洗わない髪。
コジマは、自分がそうしていなければならない理由を語る。
不潔や臭いがいじめの口実にされていたとしても、それを直さない理由を語る。
いじめを受け入れることで強くなれるのだという。
そして、”ぼく”の斜視の目が好きだという。

"ぼく”とコジマは、家庭の境遇も似ていた。
”ぼく”には、血のつながりのないかあさんと、めったに家に帰ってこないとうさん。
コジマには、お金のために再婚したかあさんと、血のつながりのないとうさん。


いじめで大ケガさせられても、”ぼく”は、翌日も這うようにして登校する。
意地になっているわけではない。コジマのように受け入れて強くなろうとしているわけでもない。ただ、なぜか休めない。
親も先生も、ぼくがいじめられていることに気づかない。先生は、うすうす気づいているのかもしれないが、本人からの訴えがないから、気づかないふりをしている。

いつも二宮のそばで、冷笑しながら見ている百瀬がいう。
いじめるのもいじめられるのもただの偶然さ、意味も理由もないんだよ……

はてしなく続くいじめ。
いじめに快楽を求める子たちはもちろん、異様にがまんづよい”ぼく”も、悟りを開いたようなコジマも、冷酷な百瀬も、みんなおかしい。
いじめは、あかるみに出さなければ止まらない。
いじめられていたら、逃げなければ救われない。
逃げて、逃げて、逃げて、生きのびることだ。
物語は、12月の銀杏並木に黄金の光さす光景でおわる。
それが、ヘヴンに続く道なのかどうか……
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紅い芥子粒
紅い芥子粒 さん本が好き!1級(書評数:560 件)

読書は、登山のようなものだと思っています。読み終わるまでが上り、考えて感想や書評を書き終えるまでが下り。頂上からどんな景色が見られるか、ワクワクしながら読書という登山を楽しんでいます。

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